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<研究活動>
| 2006年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| 2005年度 | |||
| シンポジウム・講演会・朗読会 ビデオ上映会 |
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| 2004年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| 2003年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| 2002年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| ビデオ上映会 | |||
| 2001年度 | |||
| 講演会・朗読会 上智大学コミュニティ・カレッジ春期講座「ドイツ連邦と各州」 |
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| 2000年度 | |||
| 講演会・朗読会 上智大学コミュニティ・カレッジ春期講座「ドイツ連邦共和国50年の歩み」 |
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| 1999年度 | |||
| ゲーテ生誕250年記念シンポジウム 現代におけるゲーテの影響 講演会・朗読会 上智大学コミュニティ・カレッジ秋期講座「−欧州連合の歴史的背景−」 |
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| 1998年度 | |||
| シンポジウム 欧州連合とドイツ語圏諸国 シンポジウム スイス−その変貌と持続性− 講演会・朗読会 展覧会 上智大学コミュニティ・カレッジ秋期講座「スイス−誰も知らなかった国−」 |
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| 2006年度 | ||||
| 講演会・朗読会 | ||||
| オーストリア人作家 Peter Glaser自作朗読会 | ||||
| 2005年4月24日(月) 15:30〜17:00 | ||||
| 上智大学 中央図書館 L-921 | ||||
| Evelyn Schulz氏(ミュンヘン大学)講演会 | ||||
| 2005年4月27日(木) 17:00〜18:30 | ||||
| 上智大学 中央図書館 L-812 | ||||
| 「都市遊歩者の都市発見―東京散歩と都市空間の表象地図」 | ||||
| ジャン・ライツ講演会(ルクセンブルク文化省) | ||||
| 2006年6月5日(月)15:15-17:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-812 | ||||
| 「ルクセンブルクの文化とヨーロッパ」 | ||||
| ティル・ヴェーバー講演会(琉球大学助教授) | ||||
| 2006年6月29日(木) 17:00〜19:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-812 | ||||
| 「映画を使ったドイツ語教授法」 | ||||
| 林エルケ講演会(本学講師) | ||||
| 2006年7月6日(木) 17:00〜18:30 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-812 | ||||
| 「語法の助動詞SOLLENの適切な理解と使用のために」 | ||||
| Veronika Ehrich教授(テュービンゲン大学)講演会 | ||||
| 2006年9月13日(水) 15:30〜17:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-912 | ||||
| 「意味構造と強制:動詞と動詞派生名詞」 | ||||
| マルクス・エンダース教授(フライブルク大学)講演会 | ||||
| 2006年10月20日(金) 13:30〜15:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-912 | ||||
| 「キリスト教的人間学」 | ||||
| リュック・フリーデン氏(ルクセンブルク法務 兼 財務大臣)講演会 | ||||
| 2006年10月24日(火) 14:00〜15:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-921 | ||||
| 「欧州統合プロセスは危機なのかチャンスなのか?―ルクセンブルクの視点から―」 | ||||
| セルジ・ロッシュ レクチャーコンサート (カトリック・センターとの共催) |
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| 2006年11月6日(月) 15:15〜16:00 | ||||
| 上智大学 2号館 カトリック・センター | ||||
| Das KlosterEchternach und die mittelalteriche Buchkunst | ||||
| フランツォーベル(オーストリア人作家)自作朗読会 | ||||
| 2006年11月6日(月) 15:30〜17:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-812 | ||||
| ニコラウス・ミュラー=ショル講演会(ボッフム大学教授) | ||||
| 2006年11月9日(木) 15:30〜17:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-812 | ||||
| レッシングの戯曲草案「スパルタクス」 ―ドイツ国民劇場の根源へのハイナー・ミュラーのコメント― |
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| アントニオ・ミシローリ講演会 | ||||
| 2006年11月14日(火) 13:40〜15:00 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-912 | ||||
| EU憲法―イタリアの立場から― | ||||
| ベルンハルト・ルメール講演会(ミュンヘン・カトリック大学) | ||||
| 2006年11月20日(月) 11:00〜12:30 | ||||
| 上智大学 3-221教室 | ||||
| 現代ドイツ政治の論点―青年層の政治参加を中心に― | ||||
| シンポジウム 「ヨーロッパ統合と境界地域の可能性-ドイツ語圏の国境地域における言語とアイデンティティから」 |
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| 2006年11月20日(月) 17:00〜19:00 | ||||
| 上智大学 2号館17階1702会議室 | ||||
| ベルギー、アルザス 泉邦寿(上智大学) ルクセンブルク ジャン=クロード・オロリッシュ(上智大学) 南チロル 山川和彦(麗澤大学) オーデル・ナイセ線 木村護郎クリストフ(上智大学) |
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| ズザンネ・エルファディンク講演会(慶應義塾大学講師) | ||||
| 2006年12月11日(月) 17:00〜18:30 | ||||
| 上智大学 11―419教室 | ||||
| ドイツのまちづくりと景観 | ||||
| レナーテ・ジャコムッツィ講演会 | ||||
| 2006年12月21日(木) 17:00〜18:30 | ||||
| 上智大学中央図書館 L-921 | ||||
| ジークムント・フロイト:「メディアの意味論」 | ||||
| ビデオ上映会 | ||||
| 2006年6月22日(木) | ||||
| 映画:『ベルリン天使の詩』 | ||||
| 講演:渋谷 哲也(東京国際大学) | ||||
| テーマ:「歴史・場所・エモーション ―ヴィム・ヴェンダースによるベルリン統一前夜」 | ||||
| 2006年6月23日(金) | ||||
| 映画:『ラン・ローラ・ラン』 | ||||
| 講演:ライノルト・オプヒュルス鹿島(上智大学) | ||||
| テーマ:「『恋愛』」と「『運命』」の構造」 | ||||
| 2005年度 | ||||
| シンポジウム | ||||
| 国際シンポジウム「ドイツにおける普遍的学術研究の伝統」 Die deutsche Tradition der Universalwissenschaften |
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| 10月29(土)、30(日)9:15〜17:30 | ||||
| 10号館講堂、中央図書館L-921、L-911 | ||||
| ドイツにおける日本像の過去と現在 |
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| 12月7日(水) 17:30〜19:30 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 発題者 ユェルグ・マウツ(上智大学) 「ドイツにおけるマルコ・ポーロ受容」 永田ザビーネ(上智大学) 「天国と地獄の間で−初期ヨーロッパの日本受容」 ゲアハート・シェーパース(ICU) 「1910〜20年代のドイツ文学におけるエキゾチズム」 トーマス・ペーカー(学習院大学) 「英雄とサムライ−日本とナチス・ドイツのイデオロギー的関係」 Reinold Ophuls-Kashima(上智大学) 「「彼がめざすのは勝利のみ」− 相撲力士にみる日本の集団表象の構造と機能」 吉田治代(立教大学) 「坂口安吾の'Writing Back'」 パネルディスカッション: 発題者6名 司会: 木村護郎クリストフ(上智大学) |
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| “緑のスポーツ”の未来像 ドイツに学ぶスポーツ・自治・環境 (慶応義塾大学文学部独文研究室共催) |
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| 12月10日(土) 14:00〜17:00 | ||||
| 7号館 14階 特別会議室 | ||||
| 基調講演:「ドイツに学ぶ地方都市ルネッサンス」 傍士 銑太(日本政策投資銀行) |
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| パネルディスカッションT:「身体文化と環境」 | ||||
| パネルディスカッションU:「自然と共生する『コミュニティ』の再生」 | ||||
| パネリスト:浅見 昇吾 (上智大学外国語学部助教授) | ||||
| 永見 靖 (環境省総合環境政策局) | ||||
| 傍士 銑太 (日本政策投資銀行) | ||||
| マエキタ ミヤコ (広告メディアクリエイティヴNGO「サステナ」代表) | ||||
| 師岡 文男 (上智大学文学部教授) | ||||
| 司会:粂川 麻里生 (慶應義塾大学文学部助教授) | ||||
| 講演会・朗読会 | ||||
| ヴォルフガング・ハックル教授(インスブルック大学)講演会 | ||||
| 5月19日(木) 15:30〜17:30 | ||||
| 中央図書館 L-921 | ||||
| 千賀裕太郎教授(東京農工大)講演会 | ||||
| 5月26日(木) 17:00〜18:30 | ||||
| 中央図書館 L-921 | ||||
| ヴィッヒャ教授(ザルツブルク大学)講演会 | ||||
| 6月3日(金) 13:30〜15:00 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 「EUにおける中立国家 オーストリア」 | ||||
| ルメール教授(ミュンヘン・カトリック財団専門学校)講演会 | ||||
| 6月7日(火) 15:30〜17:00 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 「名誉職--ボランティア -ボランティア活動の新しい条件-」 | ||||
| グルーバー教授(ウイーン大学)講演会 | ||||
| 7月14日(木) 17:15〜19:45 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 「ヨーロッパ化、国際化とオーストリアの大学」 | ||||
| ヴィットストック教授(慶応大学)講演会 (大学連携・環境ワークショップ) | ||||
| 9月22日(木) 13:00〜 | ||||
| −ドイツ語で環境を考える−「ドイツにおける市民運動としての環境運動」 | ||||
| ゴルトシュニック教授(グラーツ大学)講演会 | ||||
| 10月3日(月) 15:30〜17:00 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| Rückblick auf Altösterreich aus dem amerikanischen Exil - Hermann Brochs Studie "Hofmannsthal und seine Zeit" | ||||
| アリス・ボルテラウアー氏(グラーツ大学非常勤講師)講演会 | ||||
| 10月6日(木) 17:00〜18:30 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 「アーダルベルト・シュティフターと同時代人における1848年革命」 | ||||
| ハンス=ティース・レーマン教授(フランクフルト大学)講演会 | ||||
| 10月13日(木) 15:30〜17:00 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 「ドイツ新時代の演出家演劇」 | ||||
| キャスリン・レグラ氏(オーストリア人作家)自作朗読会 | ||||
| 11月21日(月) 15:30〜17:00 | ||||
| 中央図書館 L-812 | ||||
| 尾関 周二教授(東京農工大・生態学)講演会 | ||||
| 1月12日(木) 17:00〜18:30 | ||||
| 中央図書館 L-911 | ||||
| 「環境思想の現在 −ドイツにおけるÖkophilosophieの意義を中心に−」 | ||||
| ビデオ上映会 | ||||
| 7月1日(金)15:30〜19:00 | ||||
| テーマ: 「1920年代の光と影 ワイマール時代のドイツを描く」 | ||||
| 映 画: 『バーグラーズ 最後の賭け』(日本語字幕) 『ベルリン・アレクサンダー広場 第5話』(日本語字幕) |
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| 7月2日(土)13:00〜18:00 | ||||
| テーマ: 「R.W.ファスビンダー 甘美なる絶望のメロドラマ」 | ||||
| 映 画: 『マルタ』(英語字幕) 『ベロニカ・フォスのあこがれ』(英語字幕) |
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| 講 演: 渋谷哲也 (学習院大学非常勤講師) | ||||
| 2004年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| アンティエ・フォルマー氏を囲む懇談会 | |||
| 2004年4月22日(木) 15時〜16時 | |||
| 上智大学中央図書館 L-911会議室 | |||
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ハインツ D. ハイズル氏自作朗読会 |
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| 2004年5月24日(月) | |||
| 上智大学中央図書館 L-921会議室 | |||
| die rechtfertigung des alltäglichen oder drei worthäuser in der straße des jungen er | |||
| フランク・ハルトマン氏講演会 | |||
| 2004年6月8日(火) | |||
| 上智大学中央図書館 L-812会議室 | |||
| 「EUにおけるドイツの役割」 | |||
| レクチャーコンサート ピアノ伴奏・解説(日本語): 三上 かーりん (本学元講師) 歌(バリトン): 小川 哲生 (本学講師) |
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| 2004年6月10日(火) | |||
| 上智大学6号館 カトリックセンター 地下ホール | |||
| ミュラーの詩によるシューベルト歌曲「美しき水車小屋の娘」 | |||
| パスカル・ラミー氏(欧州委員会 通商担当委員)講演会 | |||
| 2004年6月22日(火) | |||
| 上智大学10号館講堂 | |||
| 「Globalisation and Trade:how do we ensure there is space for development」 | |||
| アンネッテ・シャーナー氏(環境技術コンサルティング会社 イリス代表取締役・早稲田大学講師)講演会 | |||
| 2004年6月29日(火) | |||
| 上智大学中央図書館 L-812会議室 | |||
| 「ドイツにおける環境教育」 | |||
| ヘルベルト・ツェーマン氏(ウィーン大学教授)講演会 | |||
| 2004年10月12日(火) | |||
| 上智大学 7号館 14階 特別会議室 | |||
| 「革新と伝統。トーマス・ベルンハルトの文学」 | |||
| オーストリア人作家 ヨーゼフ・ヴィンクラー氏 自作朗読会 | |||
| 2004年11月11日(木) | |||
| 上智大学 中央図書館 8階 L-812会議室 | |||
| ディートマー・ゴルトシュニック教授(グラーツ大学) 講演会 | |||
| 2004年11月15日(月) | |||
| 上智大学 中央図書館 8階 L-812会議室 | |||
| 世紀転換期ウィーンの社会・文化史的諸前提とアルトゥール・シュニッツラー『グストル少尉』 | |||
| ドイツ連邦共和国 ゲルハルト・シュレイダー首相 -学生との対話- | |||
| 2004年12月1日(金) 10:00〜11:30 | |||
| 上智大学 10号館講堂 | |||
| 中世シンポジウム | |||
| 3月26日(土) 14:00〜17:45 | |||
| 中央図書館 L-812 | |||
| Exklusion und Toleranz in der deutschen Literatur des Mittelalters | |||
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| 2003年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| ヴェンデリーン・シュミット=デングラー教授講演会 | |||
| 2003年7月14日(月) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学中央図書館8階 L-812会議室 | |||
| ホフマンスタールと現代 ―現代における古典的なものについて― | |||
| 木村直司上智大学名誉教授講演会 | |||
| 2003年9月27日(土) 15時30分〜16時30分 | |||
| 上智会館5階第6会議室 | |||
| ゲーテ文献学頌―ゲルマニスティクに関する反時代的考察 | |||
| ヴォルフガング・ヴィースミュラー教授 (インスブルック大学)講演会 | |||
| 2003年10月16日(木)17時00分〜18時30分 | |||
| 上智大学 中央図書館 L-911会議室 | |||
| 現代の批判的鏡としての歴史 ―アーダルベルト・シュティフターの歴史小説『ヴィテコー』― | |||
| ゲルハルト・ノイマン教授(ミュンヘン大学)講演会 | |||
| 2003年10月24日(金)15時30分〜17時00分 | |||
| 上智大学 中央図書館 L-812会議室 | |||
| 「白い神話」―クライスト『ペンテジレア』における生成の核としてのメタファー― | |||
| ハンス=ティース・レーマン教授(フランクフルト大学)講演会 | |||
| 2003年10月30日(木)16時〜17時 | |||
| 上智大学 中央図書館 L-812会議室 | |||
| 中世シンポジウム | |||
| 2003年11月1日(土)14時〜18時 | |||
| ヨーロッパの原点としての中世 | |||
| ジュセッペ・スキアヴォーネ教授講演会 | |||
| 2003年11月5日(水)15時30分〜17時 | |||
| 上智大学 中央図書館 L-812 | |||
| EUの拡大プロセスと外交政策の役割 | |||
| オーストリア人作家マルギト・シュライナー氏自作朗読会 | |||
| 2003年11月10日(月)15時30分〜17時 | |||
| 上智大学 中央図書館 L-812 | |||
| "Heißt lieben" | |||
| 2002年度 | |||
| 講演会・朗読会 | |||
| トーマス・ブルシッヒ氏自作朗読会 | |||
| 2002年6月6日(木) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学中央図書館8階 L-812会議室 | |||
| "Leben bis Maenner" | |||
| ゴルトシュニック教授(グラーツ大学)講演会 | |||
| 2002年10月3日(木) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学中央図書館8階 L-812会議室 | |||
| デュレンマットの悲喜劇『Achterloo』における戦争と平和 | |||
| ハンス=ティース・レーマン教授 (フランクフルト大学) 講演会 | |||
| 2002年10月24日 (木) 13時30分〜15時 | |||
| 上智大学中央図書館8階 L-812会議室 | |||
| 統一後のドイツ演劇 | |||
| オーストリア人作家ヴォルフ・ハース氏自作朗読会 | |||
| 2002年11月14日(木) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学 中央図書館 L-812会議室 | |||
| 「きたれ、甘き死よ」 | |||
| レクチャーコンサート(日本語) | |||
| 2002年12月6日(金) 17時〜18時30分 | |||
| 上智大学 8号館 410教室 | |||
| 三上かーりん(解説、ピアノ伴奏)、坪田信子(メゾ・ソプラノ)、小田哲生(バリトン) | |||
| ゲーテの小説『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』から ミニョンと竪琴弾きの数奇な運命を探る |
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| シューベルト 「君よ知るや南の国」 ほか | |||
| カール・アハム教授(グラーツ大学)講演会 | |||
| 2003年2月12日(水) 17時15分 〜 18時45分 | |||
| 上智大学中央図書館 L-812会議室 | |||
| 神話と現代 | |||
| ビデオ上映会 | |||
| 5月8日(水) | "Nordkurv" | ||
| 6月5日(水) | "Helden wie wir" | ||
| 2001年度 |
|||
| 講演会・朗読会 | |||
| リースル・ウイヴァリイ氏自作朗読会 | |||
| 2002年1月18日(金) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学中央図書館 L-812会議室 | |||
| 『真実空間の中で』(Im Wahrheitsraum) | |||
| ロベルト・メナッセ氏自作朗読会 | |||
| 2001年11月20日(火曜日) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学 7号館 特別会議室 | |||
| "Die Vertreibung aus der Hoelle"(2001) | |||
| マティアス・フレーゼ氏講演会 (ヴェストファーレン州立地域史研究所 専任研究員) |
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| ドイツ連邦共和国「転換」としての1960年代 ―民主化と社会の覚醒― |
|||
| 2001年11月6日(火曜日) 15時30分〜17時 | |||
| 上智大学 中央図書館 812号室 | |||
| ドイツ連邦共和国の1960年代は政治的にも社会的にも文化的にも覚醒と変革の時期であり、内政上の意見対立の時期でもあった(例えば世代間紛争)。 本講演では,政治・社会・文化の領域を概観した上で、「政治と世論」「改革原則に基づく社会設計」「変化する生活様式」という問題を議論する。 |
|||
| マルティン・R・ディーン氏自作朗読会 | |||
| "Die verborgenen Gaerten"、 "Monsieur Fume oder Das Glueck der Vergesslichkeit" | |||
| 2001年10月4日(木) 15時15分〜17時 | |||
| 上智大学中央図書館 L-812会議室 | |||
| 三上かーりん 小川哲生 レクチャーコンサート | |||
| ゲーテの詩における「人生の光と影」 | |||
| さすらい人の夜の歌、海の静けさ、魔王 他 | |||
| 三上かーりん(本学講師) | |||
| 小川哲生(バリトン・国立音大講師) 三上かーりん(伴奏) |
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| 7月13日(金) 15時30分〜17時30分 | |||
| 上智大学 10号館講堂(1階) | |||
| 日本語 | |||
| バイエリッシェ・ヒポ・フェラインス証券会社
在日代表 ペーター・バロン氏講演会 |
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| Restructuring EUROland | |||
| government control and ownership - privatization - capital markets - tax reform - shareholder value - unemployment - new jobs - productivity - sustainable growth - social security | |||
| 6月26日(火) 15時15分〜17時 | |||
| 上智大学中央図書館8階 L-812会議室 | |||
| 英語(質疑は日本語、ドイツ語でも可) | |||
| 和独 | |||
| 上智大学コミュニティ・カレッジ春期講座 | |||
| 2001年度上智大学コミュニティ・カレッジ春期講座 | |||
| ドイツ連邦と各州 | |||
| 4月16日〜7月9日、月曜日 | |||
| ハインツ・ハム | |||
| 本講座の目的は、ドイツ連邦共和国のシステムと歴史について学ぶことである。ドイツ連邦共和国は、フランスなどの他のヨーロッパの国々と異なり、集合国家としての連邦と構成国家としての16の州とによって構成されている。各州は地方行政区域ではなく、独自の国家権力を備えた自治体であり、その規模、成り立ちもさまざまで、それぞれの歴史と風土に支えられて独自の文化を培っている。本講座では連邦と各州の関係を学び、各州の歴史、社会、経済、文化、地理などの特徴を分析し、さらにドイツ統一、連邦制からくる矛盾、長所、短所を学ぶ。最終回では州の多様性と連邦制から予見できるドイツおよびヨーロッパの将来像を描く。連邦と州の関係の分析は、欧州連合(EU)内の主権国家の政治的再編成の考察に有意義であろう。 | |||
| 連邦と各州の関係 | ハインツ・ハム | ||
| バイエルン州 | 菅田栄一 | ||
| バーデン・ヴュルテンベルク州 | ユェルグ・マウツ | ||
| ヘッセン州、ザールラント州、ラインラント・プファルツ州 | ハインツ・ハム | ||
| ノルトライン・ヴェストファーレン州 | 若林吉彦 | ||
| ニーダーザクセン州 | ハインツ・ハム | ||
| ブレーメン、ハンブルク | 吉田有 | ||
| チューリンゲン州、ザクセン州、ザクセン・アンハルト州 | 粂川麻里生 | ||
| シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州、メクレンブルク・フォーアポンメルン州 | ハインツ・ハム | ||
| ポツダム、ベルリン | ハインツ・ハム | ||
| ドイツ統一 | 河崎健 | ||
| ドイツ、ヨーロッパの将来像 | ハインツ・ハム | ||
|
上智大学コミュニティ・カレッジホームページはこちら 「上智大学コミュニティ・カレッジ2001年春期」 P.23参照) |
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| 2000年度 |
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| 講演会・朗読会 | ||||
| フライブルク大学教授ウルリヒ・ヘルベルト氏講演会 教授の専門は、ナチ時代の外国人労働者政策、戦後補償問題、ホロコースト研究、20世紀におけるドイツの右翼知識人、ドイツ連邦共和国の民主化過程などです。 |
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| テーマ: | ドイツ連邦共和国の民主化過程、1950〜1975 | |||
| 日時: | 2000年2月27日 | |||
| レジュメ: | ナチ時代史の最近の研究によって、ナチスの政治とイデオロギーがドイツ人に対していかに大きい影響力をもっていたかが解明されてきた。しかしながら、ドイツ連邦共和国は1970年代すでに、自由な政治文化の西洋民主主義が確立した国として世界的に認められている。すなわち、1950年代から1970年代初頭にかけて、顕著な変革過程が生じたことは明らかである。この期間にドイツ連邦共和国の国家と社会は、根本的に民主化(自由化)されたのである。この民主化(自由化)過程を本講演で考察する。 | |||
| 国立西洋美術館主任研究官佐藤直樹氏講演会 (日本語・スライド使用) |
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| テーマ: | 皇帝と美術−カロリング朝からルネサンスまで− | |||
| 日時: | 2000年11月21日 | |||
| オーストリア人作家ロベルト・シンデル氏自作朗読会 | ||||
| テキスト: | Gebuertig | |||
| 日時: | 2000年11月6日 | |||
| フライブルク大学教授 ベルント・マルティン氏講演会 | ||||
| テーマ: | マルティン・ハイデッガー(1923-1928) マールブルク−フライブルク | |||
| 日時: | 2000年10月20日 | |||
| 吉田慎吾氏講演会 | ||||
| テーマ: | 日独間コミュニケーションの問題点 −国際放送30年の経験をふまえて− |
|||
| 日時: | 2000年7月13日 | |||
| オーストリア人作家アントニオ・フィアン氏自作朗読会 | ||||
| テキスト: | "Buechermacher" 、"Auf halber Hoehe" | |||
| 日時: | 2000年6月27日 | |||
| スイス人作家パウル・ニゾン氏自作朗読会 | ||||
| テーマ: | 美を求めて | |||
| 日時: | 2000年5月16日 | |||
| オーストリア大使館一等書記官 リヒャルト・クューネル氏講演会 |
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| テーマ: | オーストリアの現在の政治情勢について | |||
| 日時: | 2000年4月25日 | |||
| 上智大学コミュニティ・カレッジ春期講座 | ||||
| 2000年度上智大学コミュニティ・カレッジ春期講座 | ||||
| テーマ: | −ドイツ連邦共和国50年の歩み− | |||
| 共催: | ドイツ語圏文化研究所 | |||
| コーディネーター: | ハインツ・ハム | |||
| 4月17日 | 序論−欧州統合への道− | ハインツ・ハム(ドイツ文学科) | ||
| 24日 | 議会制度と選挙 | 古池 好(武蔵野音楽大学教授) | ||
| 5月 8日 | ドイツ連邦共和国の首相たち | 河崎 健(ドイツ語学科) | ||
| 15日 | 独仏の関係 | ユェルグ・マウツ(ドイツ語学科) | ||
| 22日 | 東方政策 | 河崎 健(ドイツ語学科) | ||
| 29日 | 社会言語学から見た戦後ドイツ社会 | 高橋由美子(ドイツ語学科) | ||
| 6月 5日 | 過去の克服 | 井上茂子(史学科) | ||
| 12日 | 戦後ドイツの出版事情−翻訳ものを中心に− | 吉田 有(ドイツ語学科) | ||
| 19日 | 戦後思想『破局と再生− ヴァルター・ベンヤミンからハイナー・ミュラーへ』 |
粂川麻里生(ドイツ語学科) | ||
| 26日 | 戦後文学−ベルからグラスまで− | 人見 宏(ドイツ語学科) | ||
| 7月 3日 | ドイツ基本法とドイツ統一 | 小林宏晨(日本大学教授) | ||
| 10日 | 結論−ヨーロッパにおけるドイツの未来像− | ハインツ・ハム(ドイツ文学科) | ||
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(「上智大学コミュニティ・カレッジ2000年春期」 P.33参照) |
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| 1999年度 |
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| シンポジウム | ||||
| ゲーテ生誕250年 シンポジウム 『現代におけるゲーテの影響』 |
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| 1999年10月28日/29日 | ||||
| 共催: | 東京ドイツ文化センター | |||
| 後援: | スイス大使館、オーストリア大使館、ドイツ大使館 | |||
| 協力: | ルフトハンザ ドイツ航空、スイス航空、プロ・ヘルヴェティア文化財団、日本ゲーテ協会 | |||
| 10月28日(木) | ||||
| 司会: | 上智大学教授 ハインツ・T・ハム | |||
| 序奏: | ブラームス弦楽六重奏曲変ロ長調 作品18より第2、4楽章 上智大学管弦楽団有志 |
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| 挨拶: | 上智大学学長 ウィリアム・カリー | |||
| 開会の辞: | ドイツ連邦共和国大使 ウーヴェ・ケストナー | |||
| 挨拶: | 東京ドイツ文化センター所長 ハインツ・H・ベッカー | |||
| 記念講演: | 「教養理念はドイツ・イデオロギーか」 (日本語レジュメ) ケルン大学教授 ヴィルヘルム・フォスカンプ |
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| 映画「ファウスト」(演出:グリュントゲンス) | ||||
| 講演: | 「ゲーテと中国古典」 (日本語レジュメ) 北京大学教授 張 玉書 |
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| 講演: | 「ゲーテの『ファウスト』― 近代的性急さの悲劇」 フンボルト財団事務総長 マンフレート・オステン |
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| 講演: | 「韓国文化の中のゲーテ」 (日本語レジュメ) 檀国大学教授 金 鍾大 |
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| 講演: | 「ここにしかアメリカはない」― ゲーテと新世界 プリンストン大学教授 ワルター・ヒンデラー |
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| パネルディスカッション: | 「ゲーテの世界市民性」 当日発表者全員 |
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| 10月29日(金) | ||||
| 司会: | 上智大学助教授 ジャン・クロード・オロリッシュ | |||
| 講演: | 「韓国における『ファウスト』上演― 受容の諸問題」 (日本語レジュメ) 漢陽大学教授 李 源洋 |
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| 講演: | 「ゲーテの作品に見られるスイス」 チューリヒ工科大学教授 アドルフ・ムシュク |
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| 講演: | 「中国におけるゲーテ受容 ―ウェルテル熱からウェルテル翻訳熱へ」 四川大学教授 楊 武能 |
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| 講演: | 「オーストリアにおけるゲーテ」 インスブルック大学教授 ヴェルナー・M・バウアー |
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| 映画「若きヴェルテルの悩み」(演出:マルコ・アルトゥーロ・マレーリ) | ||||
| 講演: | 「世界文学としてのイギリス文学」 オックスフォード大学教授 T. J.・リード |
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| 講演: | 「ゲーテと日本人のメンタリティー」 (日本語レジュメ) 上智大学教授 木村 直司 |
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| 講演: | 「知られざるゲーテ―ドイツ人とその詩人」 (日本語レジュメ) ワイマール古典主義財団教授 ロータール・エールリヒ |
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| パネルディスカッション: | 「ゲーテと国民文化」 当日発表者全員 |
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| 閉会の辞: | ドイツ語圏文化研究所長 木村 直司 (日本語) | |||
| 講演会・朗読会 | ||||
| バイロイト大学教授 ワルター・ゲープハルト氏講演会 | ||||
| テーマ: | 「ニーチェとゲーテ」 | |||
| 日時: | 1999年12月21日 | |||
| コロキウム 「ルクセンブルク大使 ピエール・グラメーニャ氏を囲む懇談会」 |
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| テーマ: | ルクセンブルクと日本の関係 | |||
| 日時: | 1999年12月16日 | |||
| ベルリン日独センター事務総長フォルカー・クライン氏講演会 | ||||
| テーマ: | 「現在の日独関係」 | |||
| 日時: | 1999年7月7日 | |||
| ウィーン大学教授ペーター・ヴィージンガー氏講演会 | ||||
| テーマ: | 「言語の面から見た現代オーストリア文学」 | |||
| 日時: | 1999年5月23日 | |||
| 上智大学コミュニティ・カレッジ秋期講座 | ||||
| 1999年度上智大学コミュニティ・カレッジ秋期講座 | ||||
| テーマ: | −欧州連合の歴史的背景− | |||
| 共催: | ドイツ語圏文化研究所 | |||
| コーディネーター: | 木村直司 | |||
| 10月05日 | EUとヨーロッパ中世 | 木村直司(ドイツ文学科) | ||
| 10月12日 | 神聖ローマ帝国の興亡 | 中井晶夫(史学科名誉教授) | ||
| 10月19日 | 啓蒙主義とヨーロッパ | J-C・オロリッシュ(ドイツ語学科) | ||
| 10月26日 | マリア・テレジアとその時代 | 北島玲子(ドイツ文学科) | ||
| 11月09日 | ロマン主義の政治思想 | 佐藤朋之(ドイツ文学科) | ||
| 11月16日 | ウィーン体制と3月革命 | 中井晶夫(史学科名誉教授) | ||
| 11月30日 | オーストリア・ハンガリー二重帝国 | 八幡康貞(元比較文化学科教授) | ||
| 12月07日 | プロイセンとドイツ帝国 | ハインツ・ハム(ドイツ文学科) | ||
| 12月14日 | ワイマール共和国と民主主義 | ハインツ・ハム(ドイツ文学科) | ||
| 12月21日 | クーデンホフ・カレルギーのヨーロッパ思想 | J-C・オロリッシュ(ドイツ語学科) | ||
| 01月11日 | 第三帝国下のヨーロッパ | 井上茂子(史学科) | ||
| 01月18日 | ドイツ連邦共和国50年 | 木村直司(ドイツ文学科) | ||
| (「上智大学コミュニティ・カレッジ1999年秋期」 P.28参照) | ||||
| 1998年度 | ||||
| シンポジウム | ||||
| 「欧州連合とドイツ語圏諸国」 | ||||
| 1998年12月12-13日 | ||||
| 12月12日 | ||||
| 司会: | 上智大学文学部教授 ハインツ・T・ハム | |||
| 開会の辞: | 駐日オーストリア大使 Dr. マーティン・ヴコヴィッチ | |||
| 講演: | 「国際政治から見たヨーロッパ統合」 上智大学法学部教授 猪口邦子 |
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| 講演: | 「ヨーロッパとは何か」 上智大学外国語学部講師 ジャン-クロード・オロリッシュ |
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| 講演: | 「ヨーロッパの再生」 常磐大学人間科学部教授 ヘルムート・ロイスカンドル |
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| 講演: | 「EUとドイツ経済」 駐日ドイツ公使 Dr.ウルリッヒ・ユンカー |
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| 講演: | 「EUの環境政策」 駐日ルクセンブルク大使 ピエール・グラメーニャ |
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| パネルディスカッション: | 当日発表者全員 | |||
| 12月13日 | ||||
| 司会: | 上智大学外国語学部講師 ジャン-クロード・オロリッシュ | |||
| 講演: | 「欧州通貨統合と日本」 日本興業銀行特別調査室参事 吉野忠彦 |
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| 講演: | 「EUと独仏の立場」 上智大学外国語学部教授 中村雅治 |
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| 講演: | 「EUと各国法」 上智大学法学部教授 滝澤正 |
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| 講演: | 「EU、NATOと中東欧」 静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授 六鹿茂夫 |
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| 講演: | EUと文化・民族」 立教大学社会学部教授 宮島喬 |
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| パネルディスカッション: | ||||
| 閉会の辞: | ドイツ語圏文化研究所長 木村直司 | |||
| 「スイス−その変貌と持続性−」 | ||||
| 1998年10月24日 | ||||
| 司会: | 上智大学外国語学部講師 ジャン-クロード・オロリッシュ | |||
| 開会の辞: | 上智大学学長 大谷啓治 | |||
| 挨拶: | 駐日スイス大使 Dr. ヨハネス・J・マンツ | |||
| 記念講演: | 「スイス人として日本に生きて」 上智大学名誉教授 トーマス・インモース |
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| 講演: | 「ヨーロッパにとってのスイスの意味」 元チューリッヒ州成人人文学教育機関学長 ロベルト・シュネーベリ |
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| 講演: | 「スイス社会の構造−婦人・少数者問題を中心に−」 ローザンヌ大学社会学教授 ルネ・レヴィ |
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| 講演: | 「多元的文化の国スイス」 元上智大学比較文化学部教授 八幡康貞 |
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| 講演: | 「『ユーロ』導入とスイス経済」 北海道開発庁予算課長 岡本佳郎 |
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| パネルディスカッション: | 当日発表者全員 | |||
| 閉会の辞: | ドイツ語圏文化研究所長 木村直司 | |||
| 講演会・朗読会 | ||||
| コロキウム 「ザクセン州首相 K.ビーデンコプフ博士を囲む懇談会」 |
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| テーマ: | ザクセン州、ドイツ及び東欧 | |||
| 日時: | 1999年2月16日 | |||
| ドイツ連邦共和国大使 フランク・エルベ氏講演会 | ||||
| テーマ: | 「統一後のドイツの役割」 | |||
| 日時: | 1998年5月7日 | |||
| チェコ・カレル大学名誉教授 エドアルト・ゴルトシュテュッカー氏講演会 |
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| テーマ: | 「プラハのユダヤ人ドイツ語文学」 | |||
| 日時: | 1998年10月7日 | |||
| スイス人作家フェリックス・インゴルト氏講演会 | ||||
| テーマ: | 「文学的テクストはいかにして生ずるか」 | |||
| 日時: | 1998年11月17日 | |||
| 展覧会 | ||||
| ケルン大聖堂建設750年記念パネル展示会 | ||||
| テーマ: | 「人間・天使・怪獣」 −大聖堂装飾細部− | |||
| 日時: | 1998年5月6〜8日 | |||
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| 1998年8月15日にケルン大司教区は大聖堂建設750年記念を祝う。聳え立つ大聖堂の二つの塔はケルンの象徴であり、ケルン市民の誇りでもある。しかしその内部に保存されている豊富な装飾や調度については知る人は少ない。ここにはヨーロッパの優れた芸術品というだけではなく、この教会750年の歴史を物語るオリジナルな数多くの装飾品がある。 そこで今回ケルン大司教区は、大聖堂建築記録保管所や写真家ラインハルト・マッツ及びアクセル・シェンク両氏の協力を得て移動展示会を企画した。ほぼ90点に及ぶこれらの写真は大聖堂見学者がふつう見過ごすか、或いは少なくとも適当な距離から観察すべき詳細な部分、その再現である。はじめは大聖堂建築の簡単な説明、ついで著名な芸術品の魅力的な細部のカラー写真がある。大聖堂の誇る「聖三王の聖遺骨匣」(1200年頃)や、画家シュテファン・ロッホナーの「ケルン市守護聖人の祭壇画」(1445年頃)の克明な描写などである。また余り知られていない「内陣座席」の木彫り芸術(1308年〜1311年頃)、そして正面のペトロ玄関入口のオリジナルな人物彫刻(1380年頃)ここには予想外に豊富なモティーフ、細かな描写、人体の芸術的表現がみられるのである。 | ||||
| 上智大学コミュニティ・カレッジ秋期講座 | ||||
| 1998年度上智大学コミュニティ・カレッジ秋期講座 | ||||
| テーマ: | 「スイス−誰も知らなかった国−」 | |||
| コーディネーター: | 飯塚重男 | |||
| 10月07日 | イントロダクション −スイス研究の今日的意味− |
飯塚重男 (法学科) |
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| 10月14日 | スイス概観−自然、地理− | 八幡康貞 (元比較文化学科教授) |
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| 10月21日 | スイス概観−社会@− | 江口公典 (地球環境法学科) |
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| 10月28日 | スイス概観−社会A− | 八幡康貞 | ||
| 11月04日 | スイス概観−文化− | 八幡康貞 | ||
| 11月11日 | スイスの歴史−中世− | 佐藤るみ子 (亜細亜大学、聖学院大学非常勤講師) |
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| 11月18日 | スイスの歴史−近世− | 佐藤るみ子 | ||
| 11月25日 | スイスの歴史−現代− | 中井晶夫 (上智大学名誉教授) |
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| 12月02日 | スイスの経済−産業− | 石榑信孝 (日本航空前チューリッヒ支店長) |
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| 12月09日 | スイスの経済−金融− | 岡本芳郎 (前JETROチューリッヒ事務所所長) |
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| 12月16日 | スイスの政治体制(1) | 関根照彦 (明治学院大学講師) |
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| 1月13日 | スイスの政治体制(2) | 関根照彦 | ||
| 1月20日 | スイスと日本、「二つの島国」の未来 | 八幡康貞 | ||
スイス・シンポジウム開会の辞
学長 大谷啓治
本日、ここに、駐日スイス大使Johanncs Manz 閣下のご臨席のもとに、スイスからお二人の研究者をお迎
えし、本学において、国際シンポジウム「スイス−その変貌と持続性」を開催することができますことは、私の心からの喜びとするところであ
ります。なお、このシンポジウムは、プログラムにもあります通り、本学名誉教授Thomas
Immoos 先生の傘寿を記念するものと聞いておりますが、私の衷心からの祝意を申し述べさせて頂きたいと存じます。
さて、スイスは数年前建国700年をお祝いしたと聞いておりますが、わが国とスイスとの間に公式の外交・通商関係が結ばれましたのは、1864年2月のことでありました。スイスは、日本が和親通商条約を結んだ国の8番目の国であります。
この交渉のため来日されたエメ・アンベール(Humbert,
Aimé)は当時の日本社会を具に観察し、その結果を「幕末日本図絵」2巻に纏め、
1870年、パリで公刊し、スイスはもとより広くヨーロッパに日本を紹介いたしました。
これに対し、スイスを訪れた最初の日本の使節は、1867年の徳川昭武一行でありました。一行はこの
年開かれたパリ万国博覧会に参加するため渡仏した際、ジュネーブ、ベルリンなどを訪問しております。その後、1873年には、岩倉具視も
スイスを訪れておりますが、正式の外交ルートが開かれましたのは、1879年、駐仏公使がスイス公使を兼ねた時であると言うことでありま
す。また、わが国におけるスイス紹介は、福沢諭吉の「条約十一ヶ国記」に始まるとされておりますが、明治時代の初頭、シラーの「ウィリアム・テル」が翻訳されますと、その実在が信じられたためか「自由の闘士テル」として明治の自由民権運動の英雄と崇められたと言うことであ
ります。その後、社会主義者安部磯雄は、1904年、「地上之理想国・瑞西」を公刊し、スイスを最大限に賛美したと言うことです。この本
は、1947年に復刊され、戦後の日本に少なからぬ影響を与えたと言われております。こうして作り上げられた民主主義・永世中立の国スイスというイメージが日本人のスイス・イメージの原型となっていると思います。
本日、ここに開催されますシンポジウムが、日本とスイスの両国の相互理解を一層深める契機となります
ことを確信しつつ、開会のご挨拶と致します。
シンポジウム「スイス−その変貌と持続性」
スイス大使挨拶(Dr. Johannes J. Manz)
学長 大谷啓治先生、インモース先生、ご列席の皆様、
本日、皆様にご挨拶の言葉を述べさせて頂くことができますのは、私にとりまして大変大きな喜びであり、
また光栄なことであります。光栄と申しますのは、このシンポジウムがトマス・インモース教授80歳の誕生日のお祝いとして開催されるからで
あります。率直にいいまして、インモース教授は過去47年間、日本において他のどんなスイス人よりもわが国のために尽力されたのであります。喜びと申しますのは、ここ上智大学の図書館にかくも多くのスイスの友人たちがご来場になり、スイスの持続性と変貌について論じて下さること
になったからであります。
さて皆様、私どもは今年、インモース先生の80歳の誕生日だけではなく、スイスのインメンゼー湖畔にあるベトレヘム宣教会の、日本の盛岡地方における布教活動50年をお祝いすることができます。これら二つのお祝いは、個人および精神的なものと密接に結びついておりますので、今日という日をとくに盛大にお祝いする正当ないわれがあるのであります。
インモース先生、私の着任以来、私どもはいろいろな機会に会い、小さなサークルで親密なお話をしたり、大きな催物に参加したりしました。その際、私は先生から多くのことを学ぶことができました。日本と日本人について、盛岡における布教活動について、また日本におけるスイス人の歴史についてなど、1982年のOAG叢書「スイス人はいかに日本を発見したか」の中で先生が的確に記述されているとおりであります。
ここでインモース先生のご経歴とご活動について少し触れさせて頂きたいと思います。先生は、最初1978年に東京で、10年後さらにスイスのゴルトアウで出版された自伝的詩集「司祭は永遠なり」や1962年の「エデンの園の歌人」などの短編集の中で、自ら自分の生涯について語っておられますが、これらの表題から呼び起こされるような詩的イメージで語ることは私には到底できません。ですから主要な点だけを列挙しますと、
1951年に来日
1960年に「フリードリヒ・リュッケルトの詩経の翻訳」に関する論文で学位取得
1962年に上智大学ドイツ文学科教授
1983年にオーストリア共和国大栄褒賞を受賞
1985年にウィーン大学の宗教学客員教授
1988年にスイス国シュヴィーツ州文化賞を受賞
これらの伝記的事項ははなはだ不完全ながら、先生の学問研究の3つの重点と、先生の生涯の3つの地理的
活動拠点を明確に示しております。すなわち、一方で宗教学・哲学・心理学、他方でスイス・日本・オーストリアであります。先生の古稀記念論文集「蝋型の中の黄金」を読むと個々の事柄が詳細に分かりますが、残念ながら時間がありませんので、いまそれらを数え上げることはできません。しかしながら、インモース先生とスイス大使館の間には、全く個人的な関係、いわば血縁関係とでもいうべきものがあります。それは1944年にフリブールで出版された著書の表題「ある魂をめぐる戯れ」などではなく命にかかわる深刻な事態でありました。1979年に先生は、心臓の手術を受けなければならないことになりました。それは大がかりな難しい手術でありました。輸血に必要な特定の型の血液を必死になって探していた医師たちはそれを遂にスイス大使館で見出し、こうして大使館は先生の命を救うため助力することができたのであります。幸いにも結果は良好で、1979年以来ほぼ20年が過ぎ去り、去る9月15日、先生はめでたく80歳の誕生日を祝うことができました。本当におめでとうございます。
会場の皆様、本日はかくも多数、上智大学までお越しくださいましてありがとうございます。これによって
証明されますのは、スイスの持続性と変貌について情報を得ようとする関心が日本においても、いかに大きいかということであります。1972年にインモース先生は日本について「変わらざる民族」という表題の本を出されましたが、このシンポジウムが、スイス人も変わらない民族だという結論に達しなければよいと思います。
皆様はここに出席しておられることにより、誕生日のお祝いを受けるインモース先生に敬意と祝意を表され
ております。1946年以来スイスの国外に住んでおられる先生がまさに、わが国と特別な仕方で緊密に結ばれておりました。同時にそれは、いかなる価値が保持するに値し、いかなる価値が変貌を余儀なくされるかという問題でもありました。スイスの持続性と変貌とは、今日まさに、きわめてアクチュアルな問題なのであります。
ご静聴ありがとうございました。
日本におけるスイス人としての私の人生
トマス・インモース
私の日本との出会いを記述しようとすると、内的な必然性に従って、日本が私のもっている可能性の展開のために提供してくれたすべてのものに対する感謝の表現へと発展していく。
「金のりんご」
1951年1月5日、神戸に上陸したとき、私は最初の大きな失望を味わった。爆撃によって焼き払われた港町の廃墟には、優雅きわまりない芸術趣味の国での高尚な美的生活というユートピアを思い出させるものは何一つなかった。このユートピアは、ロンドン大学のアーサー・ウォーリー教授の講義を聞いている間に私の心に閃いたものであった。翌日、奈良を訪れたとき、私は本来のカルチャー・ショックを体験した。薄暗い寺院の中で金色に輝く数々の巨大な仏像は、私に異様な印象を与えただけではなく、一種の嫌悪感さえ惹き起こした。この全く異種の文化にいつか親しむことができるかどうか、私は疑わざるをえなかった。それから猿沢池のほとりでお弁当を食べたときには、旅の荷物をほどかずに、帰国することを考えたほうが賢明ではないかという考えさえ浮かんできた。ところがその時、隣のベンチに腰掛けていた小さな女の子が立ち上がり、私のところへやってきてお辞儀をし供物をするような格好で私にミカンを一つ差し出した。ずっとあとになってから、私はそれが埴輪の人形に見られるのと同じであったことに気づいた。なす術もなく茫然としていた丁度その時に、あの完全性の象徴である「金のりんご」が私に差し出されたことにより、私の心は限りない喜びで満たされた。私は、この少女のうちに日本は私を受け入れてくれたのだ、私はこの民族、この国、この文化をあらゆる異質なものがあるにもかかわらず好きになるだろう、と感じたからである。
最初の7年間を私は岩手県の盛岡で過ごした。東北のこの山国は「日本のチベット」とみなされている。というのは、古い風俗習慣がきわめて忠実に現代まで生き生きと保存されているからである。私は神道の祭りをたびたび見るようになったが、それらの祭りの中では儀式的演劇の上演が大きな役割を果たしていた。
神道の神学
祭りの本質は、神々と人間、全宇宙の生命力を、自然宗教の世界像の文脈の中で、象徴的な儀式を通じて新たにすることである。
驚いたことに私は、スイス民話の習俗とのさまざまな類似点を発見した。しかし、われわれのもとでは、ゲ
ルマンとケルトの自然宗教に由来するこのような儀式の意味に対する理解は失われてしまった。しかし神道との平行関係から、それらの儀式のも
ともとの機能は解明されることができた。バーゼルのカーニバルで手にした樅の小枝を打ち振る未開人は、自分が植物の神を呈示していることを、もはやほとんど意識していない。私に徐々に分かってきたのは、日本で宗教的な儀式、それと密接に結びついた宗教演劇の儀式が原始的形態を間断のない系列のまま保存しているという事実は、人類全体の宗教史ならびに演劇史に対する一つの引証システムを提供しているということであった。
このような観察を私は「神道の祭りにおける宗教的経験の諸元型」という論文と「日本の演劇」に関する写真集において提示することができた。神道の神学について私がUeda
Kenji教授に問い合せたところ、彼は「神道は祭りです」と答えた。この神学は書き記されることは決してなかったが、儀式の中に含まれている。何年も前からさまざまな儀式の背後にある世界像を、私は国学院大学のMitsuhashi教授と一緒に探究しようとしている。昨年、彼はソルボンヌ大学とローマのグレゴリアーナ大学に招聘され、まさにこのテーマについて講義を行った。研究は現在も進行している。恐らく信じにくいと思われるが、この研究は私にカトリック典礼のより深い理解をももたらしてくれた。私が一年間ウィーン大学神学部で宗教学の客員教授を務めたとき、私は典礼学者のアウフデルマイヤー教授とともにカトリック典礼と神道の祭りの比較のための共同ゼミナールを開講した。第2学期に私たちは、いろいろ異なった宗教における儀式的演劇を比較した。他のところでは古文書や民話の珍しい習俗からしか解明されえないものが、日本では現在でもなお宗教の文脈のなかで生きている。
もしスイス奥地の風俗習慣に自らねざしていなかったら、私はこの世界に近づくことはほとんどできなかったであろう。(自己のものを異質なものの中に発見する)それから能は私に全く新しい次元を切り開いてくれた。「井筒」には若い女性(彼女の霊)が現われ、かつて子供のとき井戸端で幼友達と背丈比べをしたことを語る。ところが彼女がいま井戸の底を覗き込むと、水面には彼女自身の顔ではなく、彼の顔が見える。これはC・G・ユングの理論と全く合致するのである。それによれば無意識の中で正反対のものが現われてくる。男性の場合はアニマ、女性の場合はアニムスである。人格統合の可能性はここにあり、反対原理を創造的に自分のものにすることは、後半生の主要な課題である。C・G・ユングより500年もまえに、世阿彌はこの可能性をすでに能の中で描いていたのである。これによって促された能研究により得られた洞察は、死者の霊が現われてくる夢幻能においては治療法的プロセスが起こるということである。主役(仕手)は、彼の魂が依然として憎しみや怨恨その他の激情に満たされているために、涅槃に入ることができない。歌と踊りの中で亡霊はその苦しみに満ちた運命をあらわにし、そうすることにって自分のネガティブな感情から解放され、遂に(癒されて)涅槃に入ることができる。すなわち自分のノイローゼからの解放として救済を経験するのである。私の論文「能の深層心理学」に触発されて、千葉の2つのサナトリウムは能を精神分裂症治療のために導入した。いま一つのすばらしい結果は日本ユング協会の設立であり、私はその初代の会長となる栄誉を担った。
地域文化
若い頃、私は「スイス奥地の文化史」を執筆しようという考えを抱いていた。私には、ウリ、シュヴィツ、
オプワルデン、ニートワルデンの諸地方が特色と才能の面で大きな違いを示していることが顕著であったからである。このテーマのために私はいろいろな書物を集めていた。もちろん東京は、このような論文を執筆するために適当な場所では全然なかった。とはいえ、この問題提起により私の観察力は鋭くされていたので、岩手の儀式的演劇のさまざまな形態を分析するに際し、ここから住民の出自を推測することができるということが分かった。しかしながら、私は「岩手の文化史」を書くには至らなかった。私がこの興味を大阪のハラルド・ミュラー元領事に話したところ、彼は東京のスイス文庫を財政的に援助してくれることになった。私が東京大学で何年にもわたり、1学期間、スイス文学の講義をすることができたのは大きな喜びであった。スイス奥地から見ると日本はかなり世界の端に位置している。しかし正にここで私は、私自身のルーツ、私の故郷の過去の文化をより深く理解することを学んだ。
顧みると私は、ここで与えられたチャンスに対する深い感謝の気持ちに満たされる。そのお陰で、スイス奥地出身の私の素質は日本でこそ発展させられることができたからである。この「深い泉の国」の深層では、遥かな過去のさまざまな流れがもろもろの大陸と海の下で合流しているので、東と西に共通する事柄があらゆる異質なもの、分離するものを越えて、認識するというよりは感じ取ることができるのである。このような経験はたぶん、日本とスイス奥地がその根をアルカイックな深みにまでおろしているという事実によって説明することができる。私は明らかに、故国に全くいることができるために、全世界をさまよい歩かなければならなかったのである。
オーストリア大使 Dr. Martin Vukovich(EU議長国代表)
シンポジウム「欧州連合とドイツ語圏諸国」開会の辞
すべてのEU加盟国のなかで最もヨーロッパ的な国であるルクセンブルクに特殊な地位を容認するならば、欧州連合の内部には二つのドイツ語圏諸国があると言ってさしつかえないでありましょう。すなわちドイツとオーストリアであります。ヨーロッパの残りの二つのドイツ語圏諸国であるスイスとリヒテンシュタインが、経済的・政治的に密接に発展しつつある中核的ヨーロッパにいつ加盟国として参加するかは、今のところ予測することができません。
ドイツ語圏諸国の共通点と相違点をヨーロッパ統合過程との関係から分析することは、たしかに興味深いことであります。オーストリアは1998年後半の半年間、初めて欧州連合の理事会の議長を務めておりますが、東京における現在の議長国の
代表と致しまして私は歴史的および政治的な事実にもとづいて分析を試みてみたいと思います。
冒頭に強調しておきたいのは、欧州連合の内部にはもちろん、ドイツ語圏ブロックなど存在していないということであります。15のEU加盟国は自分たちのしばしば非常に異なる国家的利害関係を等しく考慮して調整を図りますが、理事会におけ
る票決のさいには具体的な事柄に関して実にさまざまな形の提携がありえます。
ヨーロッパの統合過程との関係からドイツとオーストリアを結びつけているのは、統合に対するきわめて
前向きの態度、国民国家的思考の放棄であり、このような態度は現代史の苦い経験の結果生じてきたものであります。第二次世界大戦の終結後
間もなく開始されたヨーロッパ統合過程の根底には、政治的な動機があります。それはヨーロッパ諸国の国内経済と政治行動を緊密に結びあわせて、ヨーロッパで戦争が二度と再び起こらないようにすることでありました。ヨーロッパにおける最初の超国家的連合体である欧州石炭鉄鋼
共同体の生みの親であるコンラート・アデナウアー、ロベール・シューマン、アルシード・ド・ガスペリは独仏の永続的な和解に達することを
目標にしました。そして、その和解は、とりあえず6つの加盟国からなる中核的ヨーロッパにおいて実現されました。
ヨーロッパの統合過程を推進した第二の重要な動機は、冷戦の結果生じたヨーロッパの政治的・イデオロ
ギー的分裂と、ソヴィエト連邦による西ヨーロッパの軍事的脅威でありました。政治的に強固にされ、経済的に繁栄し、社会的に公正なヨーロッ
パ、そして民主主義の諸原則が実現され人権が尊重されるヨーロッパを創り出すことにより、東方からの共産主義の危険に対する防塁が築かれ
得たのであります。この見地においてもヨーロッパの統合過程は、西ヨーロッパの軍事的防衛を目的とするNATO同盟の協力のもとに大きな成果を挙げました。
オーストリアはヨーロッパの統合過程に当初から大きな関心を寄せていました。日本人を母とするオーストリア人、クーデンホーフ・カレルギー伯爵が、とにかく1920年代にすでに、汎ヨーロッパ運動を創始したのであります。13世紀半ばか
ら通常ハプスブルク家出身の皇帝がウィーンから統治していた神聖ローマ帝国と、後には多国家のオーストリア=ハンガリー・ドーナウ二重帝国は、しばしば統一ヨーロッパの先駆けとみなされております。自分たちの超国家的帝国の崩壊後、また第二次世界大戦における攻撃的ナショナリズムの悲劇的破綻のあと、オーストリア人は、新しい平和的ヨーロッパの建設に協力したいという強い願望を抱いておりました。1955年の条約により完全な主権を回復したあと間もなく、オーストリアはすでにシュラスブールの欧州会議加盟国になりました。欧州会議は、民主主義と法治国家性の確保ならびに人権の維持を目標とするヨーロッパの機関であります。しかしながら、1958年に創設された欧州経済共同体への加入は、冷戦の論理にもとづき、中立国オーストリアには拒否されました。ソヴィエトは欧州経済共同体をNATOの経済的下部構造と呼んでいました。そこでオーストリアは欧州自由貿易連合に参加しましたが、この組織は多数の国々に欧州共同体に加入を認められるまでの待合室として役立ちました。
その後オーストリアは何十年も、相互理解と協調の政策により、ヨーロッパにおける当時の政治的・オデオロギー的境界線を越えてヨーロッパ大陸の分断克服に寄与しようと熱心に努力しました。ウィーンの東方わずか50粁のところに40年以上も横たわっていた鉄のカーテンが1989年についに取り去られたとき、オーストリアは直ちに、欧州共同体に加入したいという意図を明らか
にしました。なお、加盟申請書はすでに1989年7月に、ですから中欧・東欧の共産党政権が崩壊する数カ月まえに、オーストリア政府から提出されました。1995年1月1日、オーストリアはフィンランドおよびスウェーデンと一緒に、中核的ヨーロッパの名称となった欧州連合
に迎え入れられました。それに伴いEU加盟国の数は15カ国へと拡大しました。
連合の諸機関の改革に関するEU加盟国の首脳会議が1997年6月にアムステルダムで妥協のうちに終わったとき、オーストリアはとりわけ、欧州連合のより効果的な決定機構、また共通の外交および安全保障政策の案件に対する多数決による議
決の導入のために尽力しました。旧ユーゴスラヴィアにおける流血の葛藤を解決することにヨーロッパが失敗したとにより明らかになったのは、欧州連合がいまや外交政策および安全保障政策において行動能力をもたねばならないということであります。しかし、これに関するいろいろな提案は残念ながら、部分的にしか実現されませんでした。
オーストリアとドイツは、1999年1月1日にユーロをヨーロッパの単一通貨として導入する11のEU加盟国に属しております。経済および通貨統合の目前に迫った完成はヨーロッパの経済的・政治的統合への最も重要なステップであります。それは40年前の欧州経済共同体創設いらいの懸案事項でありました。しかしオーストリアは、ヨーロッパ統合をさらに深めていくことに賛成
であるばかりではなく、同時に欧州連合を地理的に拡大していくことにも賛意を表しております。議長国オーストリアのもとで先ごろ、加盟候補の6カ国、ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロベニア、エストニア、キプロスとの最初の実質的交渉が始まったところです。
ヨーロッパの中央に位置するEU加盟国オーストリアとドイツは、当然、隣接する東方の諸国が欧州連合の安定した域内に結び付けられることに関心をもっております。もちろん、加入希望国の国内経済は加盟のために準備されなければなりません。
それは、労働者の移動の動きが大きくなりすぎたり、過当競争の問題が起こったりしないためです。この点について、オーストリアの東の周辺
地域、また恐らくドイツのほうでもよく理解できる心配があります。欧州連合の東方への拡大は、それゆえ今後なお何年かの猶予期間と綿密な準備を必要とするでありましょう。
望むべきことは、欧州連合の将来の東方への拡大が、いつか西方への拡大によっても補われることであります。ノルウェーではすでに2回、1972年と1994年に、住民投票で欧州共同体ないし欧州連合への加盟が否決されました。それゆえノルウェー政府が近い将来にこの方向に新しい前進を試みることは考えられません。これに反しスイスと、したがってまたリヒテンシュタインに
おいても、これまでと違い、欧州連合加盟に賛成する声が徐々に聞こえるようになってきました。とり残されていることの不利な点が、スイス経済に対してますます明瞭に感じられるようになってきたからであります。
ユーロの導入に伴って、欧州連合の世界における立て役者の一人としての経済的および政治的意義はますます増大していくことでしょう。この事実は日本でもはっきり意識されています。90年代の始めから明らかに緊密になってきた欧州連合と日本の関係は包括的なパートナーシャフトへのポテンシャルを有しており、このパートナーシャフトの対象は交易や経済だけではなく、そこには
また、細分化した科学的・技術的な協力や国際政治の諸問題における協調もあります。
ドイツ語圏諸国は、ヨーロッパ統合理念を最も積極的に提唱する国々に属しています。1999年1月1
日付でオーストリアと交代してEU議長国となるドイツは、農業政策、機構改善、財政支出などの領域において懸案となっている欧州連合の改革計画をきっと飛躍的に推進することでしょう。
私はこのシンポジウムのイニシャティブをとられた関係者の方々に心から感謝し、参加者の皆様に2日間の活発な議論を願ってやみません。
シンポジウム「欧州連合とドイツ語圏諸国」閉会の辞
木村直司
昨日と今日と2日間にわたり上智大学ドイツ語圏文化研究所と致しましてシンポジウム「欧州連合とドイツ語圏諸国」を開催しましたところ、学内外から多くの方々のご参加を得ることができました。師走でお忙しいなかを、何人もの専門家に充実
した研究発表をして頂いただけではなく、パネルディスカッションで皆様に活発な議論をして頂くことができましたことに厚く御礼申し上げます。ウィーンでEU首脳会議が行われていた時とちょうど時期が重なり、しかも現在の議長国オーストリアのヴコヴィッチ大使と、来年1月1日から議長国となるドイツのユンカー公使にご出席いただき、たいへん有益なお話をうけたまわりましたのも非常に幸いでありました。発表者の方々にはすでにお知らせしてありますが、来年2月末くらいまでに完成原稿を頂戴しまして、シンポジウムの成果をできるだけ早く出版したいと思っております。
今回のシンポジウムについて少し個人的な体験と、それにもとづく私見を述べさせて頂きますと、私とヨ
ーロッパの付き合いはもう40年になります。私が1959年に初めてドイツへ行ってから見聞したヨーロッパは一言で申しますとライン川中心でありました。その頃はすでに鉄のカーテンがありましたので、東独との国境線が西欧と東欧の分け目でありました。従ってそれから先の東の方はよく見えませんでした。逆の見方をしますと、EWGとEGというものが組織されていったときのヨーロッパの概念はこの意味の西欧にねざすもので、独仏ともに相互の結束を必要としておりました。ところが、40年後にベルリンの壁が崩壊しますと、エルベ川の上流モルダウ川、ポーランドとの国境オーデル川とワルシャワを流れるヴァイクセル川が視野に入ってきて、これらの地域はもともと中欧と呼ばれていたことが分かってきました。そればかりではなく、ソ連邦が消滅しますと、ヴォルガ川もかすかに見えてきました。なぜなら、ヴォルガ・ドイツ人と呼ばれる人々が突然姿を現わしてきたからであります。
そのうえ、EU成立後のユーゴスラヴィア紛争とともに、ドイツのシュワーベン地方からトルコの黒海まで、ヨーロッパを東西に流れる唯一の川であるドナウ川が特別な意味をもって現われてきました。ウィーンの東にブダペストがあり、その先にベルグラードがあって、オーストリア・ハンガリー二重帝国の東部を含むこれらのドナウ川流域がほんらいの意味で東欧と総称されていたことに、私はしだいに気づいてきたからであります。すなわち、欧州連合と呼ばれるときのヨーロッパの概念は、ベルリンの壁が崩れる前と後では著しく変化し、それに伴ってEUの意義も変更を余儀なくされてしまったように思われました。英国がこの大陸ヨーロッパに対して政治的にな
ぜ依然として距離をおいているのかは、昨年の秋にドーバー海峡をわざわざフェリーで渡って見たときに少し分かりました。それはある程度まで、釜山から下関までフェリーで渡ったときの体験に似ておりました。このように私はヨーロッパについて私なりにいろいろ考えておりましたので、今回のシンポジウムからは個人的に大いに得るところがありましたが、それはまた来年のゲーテ生誕250年祭のために企画しているゲーテ・シンポジウムにも多くの示唆を与えてくれるものでありました。ゲーテはドイツ文化の象徴であるばかりではなく、ヨーロッパ人の代表者のように思われてきたからであります。しかし、これ以上深入りしますと文字どおり我田引水になりますので、これで閉会の辞とさせて頂きます。ありがとうございました。
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