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ゲーテの世界的影響
ゲーテ生誕250周年にあたって
木村 直司
注目すべきことに、ゲーテの記念祭はこれまで常にドイツ史の危機的状況の中で祝われてきた。すなわち、三月革命直後1849年の生誕100年、「ゲーテなき青少年」と慨嘆された1899年の生誕150年、ナチ政権成立直前、1932年のゲーテ没後100年、ドイツを二分する国境が定められた1949年の生誕200年、分裂した東西ドイツにおける1982年の没後150年である。そしてゲーテ生誕250周年は奇しくも、ドイツ統一後10年、ドイツ連邦共和国成立50年という記念すべき年に祝われることになった。今年中にドイツだけではなく全世界で催される関連行事はおびただしい数に上り、新しいゲーテ崇拝が懸念されることから、ローマン・ヘルツォーク前ドイツ大統領が、本年4月14日フランクフルト市庁舎の「皇帝の間」で行った記念講演において、人間ゲーテを無批判に理想化することのないよう戒めたほどである。
しかし、多少の弊害が憂慮されるにしても、このように繰り返し盛大に祝われるということは、やはり詩人ゲーテの世界的影響の現れにほかならない。上智大学ドイツ語圏文化研究所でもこの機会に「現代におけるゲーテの影響」という国際シンポジウムを企画し、東京ドイツ文化センターとの共催で、10月28日(木)と29日(金)の2日間にわたり人間ゲーテおよびゲーテ文学の現代に対する意義を再検討することになった。このシンポジウムにはドイツ・オーストリア・スイス・イギリス・アメリカの専門家だけではなく、中国・韓国のゲーテ研究者も参加し、個別講演のほか「ゲーテの世界市民性」および「ゲーテと国民文化」という二つの視点からパネルディスカッションを行うことになっている。また第1日めには有名なグリュントゲンス演出の「ファウスト」、第2日めはオペラ形式の「若きヴェルテルの悩み」のビデオ映画を10号館講堂で上映できることになった。
いうまでもなくゲーテは「詩人と思想家の国」ドイツを代表する人物であるが、これまでとかく「文豪ゲーテ」あるいは「詩聖ゲーテ」などとして極端に崇拝されてきた結果、現代の若い人々には敬遠されがちである。また18世紀ドイツの文学作品は、一見、いかにも疎遠に感じられる。しかしながら、そのような先入見にとらわれずに彼の諸作品、とりわけ「ファウスト」や「若きヴェルテルの悩み」などを読めば、それらが永遠の「青春の書」であり、ゲーテがナポレオンの言葉どおり「人間の中の人間である」ことが直ぐ理解されるはずである。さいわい我が国には優れた翻訳がいくつもあるので、この機会にビデオ映画ともども原作の鑑賞をぜひ薦めたい。
なおパネルディスカッションの主題の一つである「世界市民性」とは、コスモポリタニズムに相当するドイツ語を邦訳したものである。ゲーテの人と作品が時代と国境を越えて世界中の人々から愛好されてきたという事実は、その普遍性を雄弁に物語っている。他方の問題は、ゲーテ文学のこの普遍性が特殊な国民文化と出会って、いかなる影響を及ぼしたかということである。それは原則としてゲーテの諸作品の翻訳に始まり、やがて専門的な研究へと移行していく。この影響ないし受容のプロセスを具体的に示すため、東京ドイツ文化センター図書館で行うことになったのが「アジアにおけるゲーテ受容―日本語・韓国語・中国語のゲーテ文献」という展示会である。このような企画はめったにないことなので、シンポジウムの参考資料として見ていただければ幸いである。
(ドイツ文学科教授)
「教養理念はドイツ・イデオロギーか」― 矛盾した状況にある教養
ヴィルヘルム・フォスカンプ(ケルン)
「教養」は「ドイツ語圏において、お気に入りの概念であり中心的概念である」(ルドルフ・フィアハウス)。この「教養」に関する今日の議論は、矛盾した状況によって特徴づけられている。すなわち、一方で激しい批判があるのに対して、他方で、(歴史的なものに限らぬ)関心が存在しているのである。
ディーター・ジモン(長期にわたり学術審議会の議長を務め、現在はベルリン・ブランデンブルグ・アカデミーの会長)は、教養を「市民不在の時代における市民階級的残留カテゴリー」と特徴づけ、そしてこの関連において精神科学と精神科学者を鋭く観察するとき、批判をさらに鋭利なものにしている。「精神科学者たちは、娯楽の価値で食べていく宮廷道化師の身分である。彼らは、その不快な叫びが忌避され誹謗を受ける、カッサンドラの重荷を担っている。彼らは、他人から恵まれた果実を「神の報いあれ」のひとことで食べつくすこじき僧のように、猜疑心を招くのである。」(『精神科学の未来と自己理解』より)このオード・マルクヴァルトの代償テーゼに対して述べられた論駁は、精神科学の今日の機能を時代に即して決定することの根本的な難しさへ注意を喚起している。
フランスの哲学者ジャン・リュック・ナンシーは、教養に関し、「形式の不足に際しての対応策」について述べ、しかも「知識が問題になっているのか、存在が問題になっているのかということは、全くどちらでもかまわない」(『哲学と教養』より)と言っている。彼のように「教養」という概念を可能な限り開いたものに、つまり「空に」しておくこともまた容易なことではないだろう。
ここで引用した批評家たちは、ニーチェの伝統に立っている。ニーチェはすでに19世紀末に「真の教養」の没落の理由について問い、主な原因として、単なる功利主義的雇用というものを見出した。「そのようなわけで、わが友たちよ。この教養という、華奢な足をして、甘やかされた、エーテルのような女神を、時々「教養」と名乗るものの、しょせんは生活苦、金もうけ、欠乏のために、知的奉仕をしたり、助言したりするだけの、あの実用的な召し使いの女と、どうか取り違わないでいただきたい。」(『われわれの教育施設の将来について』より)
この、一世紀以上にわたり、今日に至るまで存在する批判に対して、とりわけここ数年来は、本質的に(ポスト)モデルネという変化した社会状況によって定められた、「教養」への新たな関心が存在するのである。デジタル・メディアによって支配されている情報社会と学問社会は、単なる諸情報や情報の増加を超えたところで、文化的な統合機能の可能性を目指すような答えを問わなければならない。このことは、ドイツ学術振興会の助成によって今年発表された、二つの大規模な大学教授資格取得論文に記述されている。ハンス・クリストフ・コラーによる『教養と学問―(ポスト)モデルネにおける伝記的な教養過程の構造のために』と、フォルカー・シュテーンブロックによる『文化的教養論―哲学と精神科学の教授法のために』である。さらに、教養概念における統合の可能性への期待は、まさしく文化科学的に方向づけられた精神科学の新設という観点で、観察され得るというのである。DIE
ZEITに掲載された記事「抵抗としての教養」で、哲学者ゲルノット・ベーメは、情報から知識への転換を不可欠の目標として示し、知識それ自体は、世界観、イデオロギー、応用といった、あらゆる機能主義化から免れていなければならないと要請している。「教養は今日、もはや生の準備としてではなく、生そのものとして経験されるのである。そしてこれこそが促進されなければならない。なにしろ、労働生産性が上昇し、社会的に不可欠な総労働が減少する状況で、労働を通じての社会の統合は、結局のところもはや不可能なのだから。」(DIE
ZEIT. 1999年9月16日付)
今日、「教養」という概念に対する激しい批判と、散漫とは言わないまでも分かりずらい新たな関心を考察するならば、この概念の基本を思い出す必要がある。それゆえに、ゲーテ生誕250年の機会に、ドイツにおける教養概念の構想と機能を紹介し、そして個別の問題を手がかりにして、再び今日の状況へ立ち戻って来たい。
(清水紀子訳)
ゲーテと中国古典
Goethe und die chinesische Klassik
張 玉書 (Zhang Yushu)
『ヴェネツィア短唱』の中でゲーテは、中国を、彼が人気を博している唯一のヨーロッパ以外の国として挙げている。それは、中国が地理的に遠く離れているにもかかわらず身近に感じられていて、彼が東洋のこの国に活発な興味を寄せていたことの証左である。彼に中国の世界を開示してくれたのはマルコ・ポーロであり、マルコ・ポーロの旅行記は、非常に多くの珍らしい事物と富を有する不思議の国中国を知りたいという好奇心を起こさせた。しかし精神的な価値を彼に開示してくれたのは中国文学であった。このことを詳しく解明することは、この偉大な詩人のいくつかの面に照明を与えることになるであろう。
ゲーテに中国人の本質と中国の内面的事情を明らかにしたのは主に二つの小説である。そのうちの一つは1827年1月31日付エッカーマンとの対話において言及されている『Hao
Qiu zuan』である。イギリス人刊行者の批評によれば、この書物(小説)は、「中国人たちのもとでは最も優れたものの一つである」が、中国人にとって優れているこの小説は、ヨーロッパ文芸批評の尺度によればある意味で非難すべきものである。しかし、この小説に対するゲーテの判断はイギリス人刊行者のそれと全く異なっている。この中国小説が非常に異国風に見えるかどうかというエッカーマンの問いに対してゲーテは次のように答えている。「思ったほどではない。(中略)そこに描かれている人間はほとんどわれわれと同じように考え、行動し、感情を示しており、間もなくわれわれの仲間のように感じられる。ただ彼らのもとでは、すべてが明瞭かつ清潔で道徳的に進行している。彼らのもとではすべてが聡明かつ市民的に行なわれ、激しい情熱も詩的な感激もない。そうすることにより私の『ヘルマンとドロテーア』によく似ている。」
『Hao Qiu zuan』のほか、ゲーテが1825年に読んでいるもう一つの中国小説は『YuQiaoli』である。彼にきっと強い印象を与えたに違いないと思われるのは、中国では詩人と高官がしばしば同一人物となっているという事実であり、彼はこのことに深い感銘を覚えた。
中国のこれらの小説と抒情詩から刺激を受けて、ゲーテは1827年5月と6月に「中国風ドイツ暦」を書き、その中で彼は自分を中国の高官詩人のように感じている。中国の高官詩人の詩文を読んで成長した中国の読者たちは、ゲーテの作品に親しむとき、彼の境遇と彼の時代に容易に身を移すことができるであろう。というのは、彼と同様に中国の詩人たちも似たようなジレンマに陥ったからである。
長年ゲーテは中国において、フリードリヒ・エンゲルスの次のような批評にしたがって評価されてきた。「ゲーテの内部にあった持続する戦いは二つのものの間にあった。すなわち、彼の生活環境の悲惨さに吐き気を催す天才的な詩人と、それと休戦協定を結びそれを甘受せざるを得ないとみなす注意深いフランクフルト上流階級青年ないしワイマール枢密顧問官との間の戦いである。」
つい最近までエンゲルスのこの見解は中国において多くの過激な左翼思想によって先鋭化され、その結果、ワイマールの賢者は文化革命の間、中国文学と世界文学における彼と同様の詩人たちともその運命を共にせざるを得なかった。このようなばかげた事柄は、さいわいなことに、ようやく克服された。今やわれわれは、人間的な見地から偉大な詩人を評価することができる。
ゲーテが強い印象を受けたのは、中国文学の中で叙述されている自然の情景だけではなく、中国において支配的であり中国哲学にねざしている厳しい節度である。ヨーロッパの政治的混乱に失望したゲーテは、中国哲学の中に調和・諦念・節度を見出し、自己の思想を再確認した。そして節度と諦念はわれわれに、たとえば『親和力』のようなゲーテの後期作品を理解するための手がかりとして役立つであろう。今日われわれが人間的見地からこの小説を考察するならば、かつて論争の的であったこの作品をなんなく理解することができる。
われわれ中国人もまた『親和力』のオティーリエのような女性主人公たちに心を引かれる。純粋で、生命力にみちた、愛らしい少女が自然な優美さを備えている。ゲーテはわれわれに、オティーリエの目立たない、しかし強烈な魅力を示してくれる。このような種類の美は、中国の読者たちにも共感を呼び起こし、中国人に愛好される。
ゲーテはかつてラファエロについて、「ラファエロはギリシア様式を模倣することは決してないが、彼はギリシア人のように感じ、考え、行動する」と述べたことがある。この所見はきっと、人間的なものを自己の作品の中で描写し不滅にするすべての人々に当てはまるであろう。「中国風ドイツ暦」を読むとわれわれも、ゲーテは中国の高官詩人、詩人である高官のように感じ、考え、行動する、と言いたくなる。
(木村直司訳)
韓国文化の中のゲーテ
--ゲーテ受容の社会・文化的考察-
金 鍾大教授(ソウル)
韓国においては、ゲーテの名まえは1907年、ある雑誌誌上において初めて述べられた。その後、彼の名は繰り返し言及され、20年代と30年代にはゲーテは世界8大詩人の一人という栄誉に浴することになった。とりわけ没後100年目にあたる1932年は、ゲーテ受容に大きな影響を及ぼした。ゲーテの人物と作品が、韓国人ゲルマニストの第一世代の研究者らにより、ある文学雑誌の特別号で紹介されたのである。
韓国では60年代に至っても、ゲーテはドイツ文学とほとんど同一視されていた。ゲーテの作品ではとりわけ『若きヴェルテルの悩み』と『ファウスト』が、翻訳するに際して好んで取り上げられた。平均以上に教養のある韓国人にとり、『ヴェルテル』は幾度も翻訳されたおかげでよく知られたものとなっている。高年齢層の人々の多くは学校に通っていた時分に習ったおかげで、曲のつけられたゲーテの詩を歌うことが出来る。70年代以降に韓国の工業化が進行しても、ゲーテの名は今日に至るまで何らの痛痒を感じてはいない。ソウルに立つある高級ホテルは、「ロッテ」の名を授けられている。ヴェッツラーの「ロッテ」とソウルの「ロッテ」。世界にその名を知られた書簡体小説に登場する「ロッテ」の名は、ある大きなコンツェルンのマスコットとして用いられ、韓国全土に知られている。
韓国で軍事政権の続いた間は、若い人々はゲーテに代わりむしろ政治的な作家に関心を寄せたため、ゲーテの作品にはあまり都合の良いものではなかったようである。しかし90年代初頭に民主的な社会秩序が確立されると、ゲーテの重要さは再び増してきたように見える。さらに注目されるのは、1997年の経済危機に直面した韓国で、ゲーテが期待を遥かに上回るほど多く読まれたことである。例えば韓国語に翻訳された『イタリア紀行』は、ある小さな出版社から上梓されたにもかかわらず、かなりの長期にわたりベストセラー・リストに載っていたのである。この現象は、韓国人が経済危機により幾分思慮深くなり、ドイツの理想主義を遅れ馳せながら享受するのにより適した状況に置かれているのだと解釈することが出来よう。
ゲーテ生誕250周年を契機にさる著名な出版社が韓国ゲーテ協会と協力して、18巻から成るハンブルク版「ゲーテ全集」の韓国語訳版を刊行し始めた。本年の3月と4月にはソウルで17日間に及ぶゲーテ・フェスティバルが多様な文化的プログラムをもって開催された。驚くべきことにこのゲーテ・フェスティバルは多くの人々の参加を得て、大きな成功のうちに幕を閉じたのである。8月にはゲーテ記念切手も発行され、それは次の世紀におけるゲーテ受容にとっての吉兆として理解されうるだろう。ゲーテが韓国で引き続き文化的影響を与え続けるだろうという希望と期待に、これらの事実は通じているのである。
(今村 武訳)
韓国における『ファウスト』上演
--受容の諸問題--
Goethes Faust auf der koreanischen Buehne
Ueberlegungen zur Rezeption in Korea
李 源洋(漢陽大学)
韓国の『ファウスト』上演史は1966年の初演をもって始めるため、長い伝統を持つというものではない。西欧演劇が日本経由で伝えられ、その影響下に「新劇」が誕生したのは今世紀初頭である。しかし36年に及ぶ植民地支配、朝鮮戦争、半島の分断と続く歴史は、新しい演劇文化を築くにはあまりにも厳しい時代であったこと。また李氏朝鮮の国家教義として、娯楽的芸術活動を厳しく戒めた儒教が500年もの間支配していたゆえに、韓国には西欧的な意味での演劇文化の伝統が存在しなかったのである。儒教により規定された階層社会では、劇文学の前提とする個人間の葛藤と解決の試みが許されなかった。このような理由から、古典的と呼べるほどの演劇文化は今だ成熟してはいないというのが韓国の現状である。首都ソウルの国立劇場及び幾つかの市立劇場を除き、劇場運営に携わっているのは小さな劇団であり、深刻化する一方の資金問題に直面しつつも、観客の芸術的美的要求に応えようと日夜奮闘している。
すでにゲーテのなまえと『ファウスト』は、韓国ドイツ文学者の先達により20年代、30年代には紹介され、作品の部分訳もなされてはいたが、初演に至るのは前述のように1966年である。その後7回にわたり演出されたが(翻案作品を含めると8回)、ゲーテの他の戯曲作品が韓国で上演されたことはなかった。1999年3月26日から4月11日にかけてソウルで開催された「ゲーテ・フェスティバル」において、ゲーテの戯曲作品『シュテラ』(初演)、『イフィゲーニエ』(初演)、『ファウスト 第1部、2部』(第2部の初演)が舞台朗読の形で紹介され、観客と一般市民からの大きな反響が韓国のみならずドイツのマスコミにも好意的に取り上げられた。
韓国における『ファウスト』演出は、そのつど直接間接にドイツでの演出の影響を受けてはいるがそれぞれの独自性を持ち、上演年代順に紹介する。(1)『ファウスト 第1部』(韓国初演)演出:韓国国立劇場付劇団Tschang
Jo、場所:Altes Hausソウル、初日:1966年10月31日、上演時間:約3時間。演出家のSuh
Hang-Sukは、日本で西欧文学を学んだ留学生の第一世代に属し、1953年から1961年まで韓国国立劇場の監督を務めた。(2)『ファウスト 第1部』演出:韓国国立劇場アンサンブル、初日:1977年6月29日。(3)『ファウスト 第1部』(韓独国交100周年記念上演)演出:韓国国立劇場アンサンブル、初日:1984年10月26日、演出:Dieter
Giesing(ハンブルク)。舞台装置と衣装は、1957/58年のハンブルクにおけるグリュントゲンスとオットーの演出を連想させた。(4)『ファウスト 第1部』演出:劇団Puhwal、初日:1991年10月18日。(5)ファウスト翻案作品『ジーンズをはいたファウスト 3幕の悲喜劇Faust
in Bluejeans -eine Tragikomoedie in drei
Akten』台本・監督:Lee Youn-Taek、場所:ソウルShilheom劇場、初日:1995年4月5日。ゲーテの『ファウスト』の舞台を韓国の四半世紀の歴史の中に移し、監督個人の政治・社会的な体験を盛り込んだ作品。(6)『ファウスト 第1部』演出:You劇団、初日:1996年2月1日。 (7)『ファウスト 第1部』演出:韓国国立劇場アンサンブル、初日:1997年11月17日。(8)『ファウスト 第1部、第2部』(ゲーテ生誕250周年記念上演)初日:1999年3月27日、場所:Seoul
Arts Center。俳優は台本を手にしながら演技を行った。上演時間は4時間。
韓国における『ファウスト』上演史を検討した上で結論づけられるのは、韓国の演劇界が、その困難な状況にもかかわらず果敢にドイツ最大の詩人の作品と取り組んだことは高く評価すべきであり、『ファウスト』上演は常に多くの観客を動員することに成功している。これは韓国でゲーテが常に関心を持たれていることの証左である、ということであろう。『ファウスト』は一流といわれる劇団のレパートリーとなり、第1部と第2部の総合的な演出・上演の実現が目前のところにまで来ている。またそのような『ファウスト』総合上演のためには、観客の作品理解を促すための措置として、演劇界と文学研究者、学校関係者が詳細なプログラムの作成その他の啓蒙活動で連携する必要があろう。また演劇批評の質の向上、演劇資料館・博物館の設立、「ファウスト・フォーラム」の開催などが望まれる。
(今村 武訳)
ゲーテと日本人のメンタリティー
木村直司
この報告の主題は、ゲーテ、日本的、メンタリティーという三つの問題を内包している。ゲーテがどのような人間であったかは、東西の教養ある人々が多かれ少なかれ知っていることであり、今更あえて取り上げるまでもない。全体として彼は人間的、リベラル、ヒュ―マニスティックそして普遍的と呼ぶことができる。このゲーテ・シンポジウムで「ゲーテの世界市民性」および「ゲーテと国民文化」という二つの総合テーマが、日本的なメンタリティーとの関連から論じられることになったのもそのためである。メンタリティーとは英語の用法に従い、一人の人間ないしあるグループの人間の思考様式と行動様式の意味である。それゆえ、この論考の枠内で問題になるのは、日本人が十八世紀ドイツの詩人についていかに考えており、また彼に対していかなる態度をとっているかということである。とくに問われなければならないのは、ゲーテに対する日本人特有の肯定的な態度である。ゲーテに対する否定的な態度というものは昔から、宗教的、倫理的、政治的な動機からとだいたい決まっており、今日の問題提起においては取り上げるまでもない。
いま挙げた三つの部分的問題のうち決定的な意義を持っているのは、そもそも日本人とは誰のことかということである。ここでは文芸評論家の亀井勝一郎のように、その著作を通じわれわれが思考様式とゲーテに対する態度をよく知っている日本人を代表例として取り上げることにする。さもなければ、なんの典拠もなしにただ漠然と日本人一般について語り、それが典型的に日本的であるというようなことを主張することに終わってしまうからである。もちろん亀井勝一郎のほかに、日本の知識人の間には多くのゲーテ愛好者がいる。しかし、彼らのゲーテ像ないしゲーテ解釈は多種多様であり、何が特殊日本的であるのかを規定するのは、結局、ある程度まで個人的な判断に拠らざるを得ない。こうしてゲーテと日本人のメンタリティーの間に見出される親和性は、ほぼ次の諸点に要約されるように思われる。1)芸術的な生き方、2)人間的な宗教性、3)弁証法的思考、4)調和への傾き、5)世界内在性、6)教養主義。
これらに関する論述に続いて最後に一つのテーゼとして問題提起したいのは、
日本におけるゲーテ受容がヨーロッパ文化に対する同化の日本的試みとみなすことができないかということである。文化的試みを日本的と規定したのは、ユダヤ系ドイツ人によるゲーテ受容が同様の契機から熱心に行われたという先例があるからである。戦前の日本においてゲーテが非常に愛読されたことは周知の事実であるが、ドイツにおけるゲーテの積極的受容は、実はゲーテの生前から始まるユダヤ系ドイツ人のゲーテ研究に負うところが大きかったのである。
知られざるゲーテ
--ドイツ人とその詩人--
ロータール・エールリヒ(ワイマール)
1. ドイツにおけるゲーテ受容は、ひとりの未知の(fremd)詩人に対する国民的自覚から始まったのではない。むしろ『若きヴェルターの悩み』に代表される疾風怒濤[シュトルム・ウント・ドランク]期のゲーテ作品は、独自の精神状態を表現したものとして読者の共感を得た。
2. ゲーテが1790年代に文学活動に復帰した時、読者は失望を隠さなかった。なぜならゲーテの「古典的」詩作が、もはや読者の要求水準と相容れなかったためである。続く十年間、ゲーテはあらゆる批判を受けながらも、知的エリート達から「地上における詩的精神の代理人」(ノヴァーリス)として位置づけられたが、他方ゲーテと読者の溝は深まるばかりだった。この矛盾は、晩年の作品である『ファウスト 悲劇第二部』および『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代 または諦念の人々』に顕著に認められる。
3. 19世紀前半における人物崇拝および作品評価では、1830年頃の社会的パラダイムの変換が、「芸術世紀」への批判とともに、ゲーテの文学理論と実践を時代に不相応であるとして、依然拒否する結果を招いた。またドイツ国民に共通する記憶の中でも、ゲーテは何ら目立った役割を果たしていなかった。
4. 1885年のヴァイマール研究機関設立は、年を追うにつれて政治的利用価値が強まり、詩人ゲーテを「ヴァイマール精神」の体現者に、また「斯界の権威者」に仕立て上げた強烈な国民的受容の起点として記録される。折しもドイツ帝国は、「これまで優位を誇ってきた人文主義的道徳的理念および価値評価が、国粋主義にその地位を譲る」(エリアス)ことになる、忌避できない政治的および思想的発展への兆しがあった。「ヴァイマール精神」ではなく、「ポツダム精神」が勝利をおさめ、ゲーテは結局ドイツ人にとって「疎遠な
fremd」詩人にとどまらざるを得なかった。
5. ゲーテ受容との関連において、ヴァイマール共和国はドイツ史の流れの中で、人文主義的理想に再度価値を付与しようと試みたが、失敗に終わった。1919年、フリードリッヒ・エーヴァルトは、ヴァイマール・ドイツ国民劇場で次のような呼びかけを行った。「我々はここヴァイマールで、帝国主義から理想主義への、世界権力から精神的な偉大さへの転換を完遂しなければならない。(...)いまこそヴァイマール精神が、偉大なる哲学者達と詩人達の精神が、再び我々の人生を豊かに充たしてくれる」。
6. 第三帝国では、ドイツ民族の「気質発展Habitusentwicklung」(エリアス)が頂点に達した。ドイツ人の偉大なる詩人ゲーテに関する研究は継続的に行われていたが、真の意味では、ゲーテはドイツ国民から疎遠になっていくばかりだった。ゲーテのもつ人間性、普遍性そして世界市民性(コスモポリタニズム)がドイツ人にとってかくも縁遠くなったのは、第三帝国時代の他に類を見ない。人々はナチス民族政策に対する抵抗運動や「内面への逃避(内面的亡命)」から目を背けた。しかしながらゲーテは、権力者達から「ドイツの」詩人として政治的価値を与えられていた。
7. ドイツ人は第二次大戦後、特に[彼の生誕200周年にあたる]1949年には、再び儀礼的にゲーテを敬ったものの、ドイツ帝国から第三帝国までの間、自らがゲーテの民族であることを証明することはなかった。エレウィン(Alewyn)は、『アリバイとしてのゲーテ?』と題したケルン大学講義で、ゲーテを扱う場合に生ずるドイツ特有のジレンマにとどまらず、ドイツ史における権力と精神、政治と文化の関係も総合的に視野に入れて、この問題を扱った。ドイツ国内のゲーテへの顕著な傾倒について、彼は次の言葉を結論とした。「我々とヴァイマールの間にはブーヘンヴァルト[強制収容所]がある」。
8. 旧西ドイツでは、1970年頃にゲーテ受容の新しいパラダイム転換が行われ、以来ゲーテは公共生活においては、むしろ従属的役割を果たすことになった。これに対して旧東ドイツ・ドイツ民主共和国、なかでもウルブリヒト政権期に、ゲーテは社会主義的な意味で正統な人物としてまつりあげられ、「全社会の共有財産」とされた。古典的理念すら社会的実現として解釈することを厭わない、ドイツ民主共和国が標榜する「近ゲーテ派
Goethe-Naehe」は、現代的かつ多元的な西独・ドイツ連邦共和国の「遠ゲーテ派
Goethe-Ferne」と対峙した。むろん総じてゲーテは、現実社会主義的国家には縁遠い存在にとどまった。
9. 今日のドイツ人は、これまで間断なく国民的に受容されてきたにもかかわらず、その疎遠性が現在もなお繰り返し指摘されているゲーテと、どう取り組んでいくべきなのだろうか。――もしかするとゲーテを歴史的には完全に遠ざけながら、彼の作品だけ身近に引き寄せて、その現代性を問うことが出来るのではなかろうか。
(石原あえか訳)
閉会の辞
木村直司
2日間にわたるゲーテ・シンポジウムの終わりに当たりまして、ドイツ語圏文化研究所の所長として、ひとこと感謝の言葉を述べさせて頂きます。この国際シンポジウムが友好的な雰囲気の中で大きな成果を上げることができましたのは、主催者としましてまことに幸いでありました。ただ中国からお招きしておりました楊武能教授が、ビザの発給が遅れたため参加して頂けなかったのは非常に残念でありました。中国におけるゲーテ受容に関する同氏の発表原稿は、近日中にインターネットのホームページに掲載するように致します。今年のゲーテ生誕250周年記念祭には世界中で数多くの行事がすでに催されており、私自身も海外のいくつかの催物に参加しました。そのうえ、私どもはインターネットで無数のゲーテ記念行事を把握し、それらをある程度まで体験することができます。しかし私どものシンポジウムにおけるような広範な国際性はどこにも見出せませんでした。
まず最初に感謝申し上げたいのは、学期中にもかかわらず遠路はるばる東西からおいでくださいました発表者の方々であります。儒教文化の伝統にねざしている中国および韓国の同僚がおられますので、私はエッカーマンのその師との対話からではなく、孔子とその弟子たちとの対話から引用せずにいられません。ご承知のように『論語』学而第一の冒頭に「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからず乎」とありますが、この「朋」とはもちろん「学びて時に之れを習う」同学の士のことであり、この東洋的な「習う」ことはまた、昨日のレセプションのようにギリシア語の意味の「シンポジオン」でありました。
次に、このシンポジウムにご静聴と活発な議論によりご協力くださいました多数の参加者の皆様に感謝申し上げます。ドイツ語を母国語とされない方々にとりまして、ドイツ語の講演ばかり一日中聞かされるのはさぞお疲れになられたことと思います。しかし、他方で、中国・韓国・日本のゲルマニストたちがドイツ語で話をし、ドイツ語圏の同僚たちと議論しあう様子をご覧になるのは、一種独特の経験ではなかったかと思います。私どもはIVGの東京大会の機会に10年まえからこのようなことを始め、小規模ながら北京、ソウル、福岡で繰り返してまいりました。これによりドイツ語は、英語とならぶ世界共通語であることが実証されました。そればかりではなく、私どもはゲーテを『論語』の意味で共通の「朋」としているのであります。
時代と国境を越えてこのように生産的な影響を及ぼしたのは、疑いもなくゲーテの世界市民性であります。18世紀ドイツの詩人は、その際、精神的なギヴ・アンド・テイクにより個々の国民文化にすばらしい実りをもたらしました。この世界文学的な意味で私どもは誰よりもゲーテそのものに感謝しなければならないと思います。ひと昔まえのゲーテ崇拝に陥ることなしに、私どもはふたたびゲーテを研究し、彼の深い自然観と洗練された芸術観から改めて何かを学びとることができるにちがいありません。これこそ技術時代における倫理的・美的教養であり、既成宗教からは容易に得られないものであります。
最後に、財政およびオルガニゼーションの面で始めから協力を惜しまれなかった東京ドイツ文化センターと、このシンポジウムを忍耐づよく準備してくださった同僚ならびに職員の方々に心からお礼申し上げて、閉会にしたいと思います。
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