ことばと心

-心はことばを計算するシステムである-

西川 泰夫



注*) 本稿は、『心の科学基礎論』研究会第2回例会
(1996年12月21日、上智大学にて開催)において行った筆者による講演
(演題は、「心はコンピュ−タ?」)を基に加筆修正したものである。


0 はじめに

本論では、「ことば」という「記号系」を基に、「心」の謎解きに取り組みます。この試みの大枠は、「認知科学(心の科学)」という新たな分野からのものです。まず、一言で、心の定義をしてみます。

「「心」とは、「ことば」を「計算する系(システム)」である」、となります。そこで、まず以下に、このように心を定義する前提になにがあるのかみてみます。人類の精神史の中で哲学者をはじめ科学史や科学基礎論に携わった多くの人々の思索の歴史があります。この間一群の人々によって担われたものの見方や考え方や方法論を「パラダイム」といいますが、その典型的なものを紹介します。つづいて、いったい「計算する系(システム)」とはなんでしょうか。その概略を説明します。そして、より一般的な議論として、ことば(記号)の処理系としてもっともよく知られる機械、「コンピュ−タ」やその論理的原形である「オ−トマトン(受機)」は、はたして「ことば」を理解するのか検討します。もしそうだとすると、それでは「機械は心をもちうる」のでしょうか。この他にも最新の話題の一端をめぐって、かいつまんで紹介しましよう(なお、より詳細は、西川、1994、1996、1997、1998などを参照下さい)。


1 認知科学(心の科学、知の科学)の基本的前提、
  パラダイム

  1・1 心とは、知を現実する系(システム)。

あらためて心を規定しますと、それは混沌とした無秩序状況の中から何等かの秩序を、すなわち意味や知を生成する系(システム)のことです。この生成過程での営みが、計算、つまりことばに代表される記号の処理、操作に他なりません。そして、計算とは、ことば(記号)を一定の規則にしたがって並べたり順序付ける操作をさすより広い概念です。したがって、意味や知を生成するシステムである心を、ことば(記号)を計算するシステム、あるいは記号処理システムとよぶことができます。なお、生成された秩序は、一般的には知識や概念、意味、認識、理解などの心が示す多様な諸機能に該当します。また生成過程は、思考過程、推論過程、問題解決過程、創造的思考過程ともよばれます。広義には高次心理(精神)機能全般を指します。

  1・2

システムとは、まずその内部に任意の内部状態(初期状態)をもちます。そしてある時点で外部から入力される入力に対して何等かの写像、変換、計算を行ない、あらたなある内部状態(終局状態ないしは均衡状態。基本的には外部の構造と同型ないしは準同型である状態)を生成します。そして、その結果とその際の入力をもとにある出力関数のもとでなんらかの出力をする機能と構造をもったものです。

  1・3

こうしたシステムは、一般的には「オ−トマトン(automaton、ないし受機、acceptor)」といいます。この概念はあらゆる生物や機械に共通してあてはまり両者を区別しない包括的な概念です。これを

力学システムとよぶこともできます。つまり、時間とともに変動する、運動する物体、物理システムという意味においてです。現実の具体物をあげると、すべての生物のもつ「脳」システムはこの典型的なものです。物理工学的には、現行のさまざまな機械、その代表格となる「コンピュ−タ」をあげることができます。

あらためてオ−トマトンを定義すると、以下のような要素から構成される集合です。

  A=(I、S、O、f、g)

  ただし、 I;有限の入力集合。      S;有限の内部状態集合。

       O;有限の出力集合。      f;内部状態関数、S=f(I×S)。

       g;出力関数、O=g(I×S)。

  なお、狭義には以下のような集合をもってオ−トマトンを定義します。

  A=(I、S、So、F、f)

  ただし、I;有限の入力集合。      S;有限の内部状態集合。

       So;内部状態集合のある要素で、これを初期状態とよぶ。

       F;内部状態集合に含まれる部分内部状態集合で、
         これを終局状態集合、ないしは均衡状態集合という。

       f;内部状態集合の任意の要素と入力集合の任意の要素
         からなる集合(直積集合)を、ある内部状態集合へ写像、
         あるいは関係付ける関数で、これを内部状態関数という。
         すなわち、F=f(I×So)、なお、F⊂S。

狭い意味での知の生成過程は、上のような関数fによって、内部状態をその初期状態からある終局状態へ状態を変換、ないしは写像することとなります。つまり、入力された入力記号列をその時の内部状態とその際の写像、変換関数によって変換し、何等かの記号列を生成することです。これを記号の処理、操作(広義の計算)とよびます。こうして生じたある内部状態に伴う記号列をもって、このシステムによってこの記号を受容した、ないしは理解したといいます。オ−トマトンを受機とよぶのはこうした論理内容からでてくることです。すると、次ぎのようなことがらが問題となります。

  1.4 ことばとその受機

まず、受機によって受容される「ことば」、記号とはどのような内容のものでしょうか。どんな記号系も受容可能でしょうか。それとも特定の内容をもった、つまり固有の論理構造、一般的にいって言語の文法の

構造に制約された言語でしょうか。より一般的には、オ−トマトンに理解可能な言語、使用可能な言語とはなにか、と問うことになります。翻って、そもそも人における言語、自然言語とはなにかという基本的問いに通じます。

さらに、オ−トマトン内部で行なわれる内部状態の変換とは、具体的にどのような内容の変換でしょうか。それは記号間の計算、あるいは記号の作るパタ−ン間の変換計算であることは改めて論じます。しかも、計算とは、文字通り数の間での四則演算に相当します。この点は、三段論法以来の記号論理学並びに数学基礎論からの帰結です。以上の論旨展開をまとめると、「心」のもつ3つの特性が明白になります。

つまり、心は、

1) 記号並びに記号パタ−ンの処理・操作、変換システムです。

2) 処理・操作とは一定の規則に則ってここの記号と記号を
    結び付けることです。広義の計算並びに写像、変換対応
    を指します。また、その際の規則とは、構文構造規則ない
    しは写像対応関係規則です。

3) 記号の全体と個々の記号どうしを結び付ける規則のセット
    (集合)は、現実の意味論です。

これらをふまえて、さらに以下のような第4の論点が可能となります。それを「人工知能研究」といいます。すなわち、

4) 上記のような心のもつ3つの特性をもった記号処理・
    操作システムである機械を具体的に作ること

ができます。言い換えると、心を実現する機械、考える(知性をもった)機械を作ることができるのです。

こうした発想の下で行なわれる研究活動が人工知能研究(artificial intelligence、AI)とよばれるにいたった経緯は、1956年夏にダ−トマス会議を主催したマッカ−シ−がそう命名したことによるからです。したがって、彼を人工知能研究のゴッド・ファ−ザ−(つまり名付け親)と、哲学者のホジランド(Haugeland,1985)はよんでいます。ちなみにホジランドによると、人工知能研究の祖父はホッブスであり、父はチュ−リング、そしてその使徒はサイモンとニュ−ウエルということです(この会議に彼等の持参したプログラムはロジック・セオリストといい、コンピュ−タ上で実際に作動しました)。

その考えることのできる機械とは、「コンピュ−タ」に他なりません。また、コンピュ−タの原理的な原型となる論理機械は、チュ−リング・マシンであることもいうまでもありません。これがもっとも高級なオ−トマトンであることは、後述するいくつかの受機たるオ−トマトンが処理可能な記号系とそれらの処理・操作に用いられる規則のもつ関係構造、論理構造から明らかになります。この点は後に譲るとして、以上のまとめの論旨から、次ぎのような命題を導くことが可能です。すなわち、「心は、コンピュ−タである」、と。このような論点を検討するためにまず以下のような問いから始めます。

 問題

 以下の2つの前提文から導き出された帰結文は、
 論理的に正しい命題文ですか。

 「心は、記号の処理・操作システムである。            大前提文。

 コンピュ−タ(機械)は、記号の処理・操作システムである。  小前提文。

 ゆえに、心は、コンピュ−タである。                帰結文。」

 

2 命題「心は、コンピュ−タである」、その適否。

  2.1

規則にしたがって上のような任意の2つの文章命題(前提文)から第3の文章命題(帰結文)を導く過程は、三段論法として知られるアリストテレス論理学といわれるものです。この観点から以上の問題を構成する各命題から導かれる帰結文の論理的整合性を調べてみよう。この帰結文、「心は、コンピュ−タである」は、明らかに誤りです。たしかに三段論法の推論形式を踏んではいますが、この帰結は真ではありません。これは、例えば次のような三段論法による帰結文が誤りであるのと同じです。「男は動物である。オオカミは動物である。ゆえに、男はオオカミである。」。

もっとも、この誤りは、帰結文自体のもつ直接の意味内容に関するものではありません。もちろん、各前提文の言明内容や意味に関するものでもありません。あくまでも個々の文章命題(主語・述語文)を構成する主語・述語にあたる各々の語と、これらの語と語を結び合わすル−ル、つまり構文関係構造規則に照らして行われた論旨展開の結果の誤りです。なぜなら、動物集合の部分集合として男もオオカミ集合も含まれますがお互いに同値関係な部分集合ではありません。したがって、「男はオオカミである」、とはいえないのです。この帰結は構文構造に照らして誤りです。なるほど日常の言語使用における意味論から納得できてもです。さらに「満月に大変身する狼男がいるではないか」というのは、これは虚構の世界でこそ可能でしょうし、あるいは巧みなレトリックとしては有効でしょうが、あくまでも構文論上は誤りということになります。しかしこの一方では、個々の文章の意味内容並びに文章を構成する個々の語の意味概念に係わる議論は、あらためて「意味論」上の検討を必要とします。これは記号構造に対する形式的な議論に加え、メタ記号による議論、意味論による議論です。その上で、帰結文の意味内容の成否が問われます。ただしもちろんその場合でも、論証過程そのものは記号系のもつ論理構造、規則に左右されるのはいうまでもない。しかし、問題の核心は、「心」や「機械」という語の意味構造、概念内容、そして両者の関係にあります。この両者はあらためて集合論的にいって包含関係にあるのか、それともまったく相互に独立な関係にあるのかが問題です。この点はしかしながら、論理的導出に係わる論理的整合性をめぐっての議論というよりはむしろ、基本的には心と機械の意味論、あるいは個々の文章命題の意味論に係わるもので、本論では以下に若干触れる以上のことには立ち入りません。

  2.2 心と機械をめぐる意味論的検討

基本的な哲学史の上での争点として、心身二元論と一元論の対立があります。

それぞれの代表者を近代を代表する哲学者に求めると、前者がデカルトであり、後者がホッブスであることに異論はないでしょう。しかもこの両者は、まったくの同時代人です。細かなことをいうとホッブスの方が年長でありしかも長生きしたという違いがあります。デカルトは、心と身体とを明確に区分し、両者をそれぞれ独立の存在としました。この結果とくに人ではこの両者がいかに統合されるのかをめぐる哲学上の大問題が残されたのは周知のことです。これが心身問題です。そして身体は、人間以外の動物を含め機械と位置付け、その作動原理は反射であると主張しました。一方、心の第1原理に当たるものが、思惟、考えることです。その主張は、ego cogito, ergo sum(私は考える、それゆえに私は存在する)、に集約されます。この点は、ホッブスの主張と何等かわりないのです。

一方、ホッブスは「心は、計算する」という命題を明確に表明しました。これは、心は機械であることを主張する心身一元論です。また明らかに人間機械論です。この両者の論点は、さらに歴史を遡ると、結局古代ギリシャ・ロ−マ時代の哲人プラトンやアリストテレスに端緒を求めることができます。そして、歴史を下って、デカルトやホッブスを引き継ぐ、ライプニッツ、パスカルをはじめ後継者たちも多岐におよぶのです。なお、これらの人物に言及する紙数はないので、例えば、拙著(1994)に譲ります。

それでは、心や機械(コンピュ−タに代表される)を記号処理・操作系ととらえることを可能にする前提を吟味しましょう。この立場は、人や機械の知の作用に内在する形式を演繹体系(公理系と定義から論理規則に基づき導出した定理系の総体)のもとでとらえる記号論ないし計算論からのものです。記号論理学と数学基礎論を基本背景とします。

 

3 記号論理学の変遷。

  3.1 アリストテレス論理学(主語・述語命題)、三段論法。

三段論法の一般的な基本構造は以下のようなものです。まず、個々の命題は、主語・述語から構成される一つの文章です。その基本構造を示すと以下のように書き示すことができます。このことは3文すべてに当てはまります。「〜は、〜である」。したがって任意の命題は、上の文章構造の中の各々の箇所に任意の主語、述語、つまり任意の記号を入れることで可能となります。しかも、それらの記号どうしは「交換可能」とみなします。これに加え、まず、主語のところにくる記号は、その「すべて」についての言明なのか、「ある」ものについての言明なのかが区分されます。これを量限定詞(全称詞と存在詞)といいます。さらに、個々の述語については、それを「肯定」する場合と「否定」する場合があります。つまり、「〜である」の場合と、「〜でない」の2通りです。これより、一つの主語・述語文(命題)は、基本的には次の4通りの文型、タイプがあり得ることになります(タイプの違いをアルファベットの小文字で示してあります)。

 すべてのSはPである。 SaP。

 すべてのSはPでない。 SeP。

 あるSはPである。    SiP。

 あるSはPでない。    SoP。

 このような命題を基に行われる三段論法の推論過程の構造と、その論理的に可能な組み合わせの数が何通りになるのかみてみよう。まず大枠として以下の4つのタイプ(核ないしは図ともいう)があることが分かります(表1)。


その各々の核の文章命題の主語・述語の間には、さらにa、e、i、oの4文字が入ります。したがって、大前提文で4タイプ、小前提文で4タイプ、帰結で4タイプの文型があります。もともとの核の4タイプで、総計、4×4×4×4=256通りとなります。つまり、三段論法の可能な数は全部で256通りということです。それでは、そのすべてのタイプが論理的に整合性を持つのでしょうか。アリストテレスは、その正当なタイプを確定したことがその業績です。それによると、以下の19通りが論理的に整合性を持つということです(例えば、Devlin,1994)。

その19タイプを核ごとに、そのa、e、i、oのパターンだけを示します。

 1)aaa、eae、aii、eio

 2)eae,aee、eio、aoo

 3)aai、iai、aii、eao、oao、eio

 4)aai,aee、iai、eao、eio

ただし、パタ−ンの重複を除くと全部で10通りです。


  3.2 現代記号論理学−命題論理学、述語論理学−。

ところでこのパターンの中になお2つの誤り(第3格のaai、eao)が含まれることが証明されるのは、19世紀に入ってからのことです。その突破口を開いたのは、ブールでした。今日それをブール代数といいます。こうした試みをきっかけにして論理学は、現代論理学へと変遷を遂げます。その背景に論理学の数学化という方向と数学の論理学化という両方向からの新たな進展が起こったことによります。この変遷を担った人々には、カント−ル(集合論)、フレ−ゲ、ペアノ(命題論理学、述語論理学)、ラッセル(記号化)、ツェルメエロ(集合論のパラドックス)、ヒルベルト(公理主義、演繹体系)、ゲ−デル(不完全性定理)、チュ−リング(チュ−リング・マシン)、フォン・ノイマンらがいますが詳細は、一部を除き省きます(詳しくは例えば、西川、1994などを参照)。ポイントだけ述べると、論理学は命題論理学と述語論理学をもって構成されること。命題論理学における命題間の関係結合構造は、4つの基本規則に還元できること。それは、基本的には数の間の論理構造、四則演算と同型であること。一方、述語論理学は、任意の主語を導入することで、すべての命題が述語化され(任意の主語を変数とする命題の関数化を意味する)、そのような文章構造を基にもとの文章がいかに再現されるかを論じ、そこに命題論理学の結合規則を適用する道を開いたのです。同時に、三段論法でも問題にした量限定詞と文の肯定、否定によって関数化した命題の結合関係が論じられます。かくして、任意の命題を基にした論理的推論を一般的に扱うことが可能になりました。このことは同時に、心を記号処理・計算システムととらえる基本的な基盤を提供します。


  3.3 論理的整合性をめぐる論点−
      ゲーデルの完全性定理、不完全性定理−。

しかし、この結果、述語命題の全体の論理的整合性の問題が発生します。この点は、チューリング・マシンの計算可能関数という論点と、ゲーデルによる命題の論理的整合性をめぐる完全性定理に求められます。幸い、命題論理学と、1変数の述語命題に基づく論理的世界の完全性は証明されています。しかしながら、それ以上の高次の述語命題を基にした論証命題が無矛盾であるにせよ、全体の論理的な整合性(完結性)は証明できない、不完全である。また無矛盾にせよ、それ自体を証明できない。こうしたことが証明されています(第1不完全性定理と第2不完全性定理)。このことは人の心の知の機能の限界を、同時に機械の知の限界を意味するでしょうか。問題は開かれたままに残ります。なお、ゲ−デルの証明に関する平易な紹介は、例えば、ナ−ゲル・ニュ−マン(はやし訳、1968)などに譲ります。

 

4 オートマトン(受機)と言語。

あらためて、ことば(記号システム)とル−ルのセットを現実の言語と重ねて論ずるとどうなるのかみてみましょう。この分野の研究としては、チョムスキ−(例えば、1959)による、生成変換文法(構文構造論)の研究に代表されます。これは、言語学の数学化という全く新たな試みです。この分野を数理言語学といいます。その研究成果はきわめて重大です。オートマトンが処理・操作できる記号系とその記号同士を結びつけるための規則、言語学でいう文法、をめぐる議論が大筋において整理されたことです。それを以下の表2に示してみます。

この中で一つ注目すべきことは、自由言語です。これが自然言語やコンピュ−タ言語のよきモデルになることが明示されていますが、一方少なくともそれがそのまま逆に自然言語そのもののモデルであるとはいえない点です。それにしても、オートマトンとそれらが受容可能な言語系が何であるかについてのこれらの検討結果は驚異的です。「心は、コンピュータである」という命題の意味論上の内容はかなり正当ではないでしょうか。



5 コンピュータから形式ニューラル・ネットワーク
(非線形力学系モデル)、そして複雑系へ

心をコンピュ−タとみなす観点はその各々の意味論からいってかなり正当であることは以上の概観で明らかでしょう。しかしながら、当のコンピュ−タが現在の技術的な制約や、その基本構造の制約によって問題をはらんでいることも明らかです。とくにアーキテクチャー(フォン・ノイマン型とよばれる)に内在する制約があります。最大の論点はプログラムと記号処理方式にあります。まずプログラムですが、これはさきのオートマトンでの記号処理操作の手順を一定の順序で指示する記号列に当たるものです。

この時間を追って一つずつ行なわれる処理を直列処理といいます。すると当然ながら計算が複雑になるほど計算量とともにかかる時間が膨大になります。多くの記号列を万遍なく調べるので組み合わせ爆発が生じます。これがソフトウエアー危機と一般に称されるものです。さらに、あらかじめ完璧なプログラムを用意しておかなければならない。これらにいかに対応するかが問題です。計算速度をあげるというのも対策の一つですが、抜本的な対応策も求められる。例えば、コンピュ−タが自ら学習し、自己組織化を図ることはできないだろうか。そうであればプログラム問題は軽減します。また、直列処理に代わって、並列分散処理方式は取れないだろうか。計算量と時間の問題は大きく解消されるでしょう。このような観点に立つた時、生物の脳が実際に行なっている処理方式と計算過程が解決の大きな糸口となるという期待とともに新たな研究動向をもたらしています。

その一つの方向が、「形式的ニューラル・ネットワーク研究」です。これは、生きた脳の構成単位である脳神経細胞の基本的な機能を数理モデルによって再現し(非線形閾値素子モデル)、これらを結合した形式ニュ−ラルネットワ−クによって脳全体の機能をシミュレ−トしようという試みです。そうしたネットワ−クとして、1960年代のパ−セプトロンというアイデアにはじまり、現在もっとも関心を集めている非線形力学系モデル(ホップフィ−ルド・マシンやボルツマン・マシン)から最先端のファジ−、カオスといった複雑系に至る研究の推移をみることができます(詳しくは、例えば、合原、1989、甘利、1979、西川、1998a、b、などを参照)。このネットワ−クにおいて行なわれる計算の特色は、個々の記号間の結合計算というよりは、個々の記号の作るパタ−ンの間のパタ−ン変換計算です。例えば、なんらかの物理刺激の作るパタ−ンをある二つのカテゴリ−に分類するような、パタ−ン認識、変換計算です。これは、ネットワ−ク上に外部構造と同型ないしは準同型なパタ−ンを自己組織化、つまり誤り訂正などの学習原理に基づき構築することによって達成されます。しかし、その学習の収束原理にも制約があり、事態の抜本的な解決にはなお遠い現状です。今後の展開を待ちたいと思います。それには、こうしたテ−マに知的好奇心 をもったあなた方のような若々しい心の持ち主の参加と創造的な問題解決が欠かせません。知のフロンティアへようこそ。


6 終わりに

以上、「心はことばを計算するシステムである」という命題の論理的整合性や意味論的検討を加え、「心の科学である認知科学」における基本パラダイム、記号論・計算論の現状紹介を試み、オ−トマトンという受機一般を基にそれが受理可能な記号系、つまりどのような「ことば」を理解可能かという観点から「言語学」との接点の一端を概括しました。本論では一切割愛しましたが、以上の「心の機械論」に対する鋭い批判のあることを指摘します(哲学史上つねに問われ続けたのもう一つの論点です)。その批判点となる点をかいつまんでいうと少なくとも次ぎの3点あります。知の領域固有性(知の文脈依存性、状況依存性)。感性や経験に基づくものこそ知の根源にあるものであるという知の身体性。そして、知の意図性(知の志向性)です。これらの論点への考察は、例えば、Dreyfus(1972)やペンロ−ズ(1994)などに譲り、本論を閉じます。

引用文献

脳と神経に学ぶ。東京電機大学出版局。

甘利俊一 1978 神経回路網の数理。産業図書。

Chomsky,N.  1959 On certain formal properties of grammars. Information and control,2,137-167.

Devlin,K. 1994 The science of patterns. Scientific American Library. 山下純一訳 1995 数学:パターンの科学、宇宙・生命・心の秩序の探求。日経サイエンス社。

Dreyfus,H.L. 1972 What computer can't do. 黒崎政男・村若修訳 1992 コンピュ−タには何ができないか。産業図書。

Haugeland,J. 1985 Artificial intelligence,The very idea.MIT.

Dreyfus,H.L. 1972 What computer can't do. 黒崎政男・村若修訳 1992 コンピュ−タには何ができないか。産業図書。

Haugeland,J. 1985 Artificial intelligence,The very idea.MIT.

Nagel,E., & Newman,J.R. 1958 Goedel's proof. New York University Press. はやしはじめ訳 1968 数学から超数学へ、ゲ−デルの証明。白揚社。

西川泰夫 1994 心の科学のフロンテア−心はコンピュ−タ−。培風館。

西川泰夫編集 1997 認知科学−人の心を科学する−。現代のエスプリ362号。至文堂。

西川泰夫 1988a 心は物理事象でありかつ物理空間に属する−死生観、クロ−ン羊、チェスをさすコ ンピュ−タをめぐって−。 科学基礎論研究、89(印刷中)。

西川泰夫 1998b 心理学は生き残れるか(5)−心は物からいかに生成するか−。 上智大学心理学年報、22(印刷中)。

ペンロ−ズ・林一訳 1994 皇帝の新しい心。コンピュ−タ・心・物理法則。みすず書房。