イスパニア語圏は、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの3つの大陸にわたる広大で多様な世界です(地図参照)。さまざまな人々がさまざまな生活様式の下で暮らしています。その舞台を少しだけ覗いてみることにしましょう。

スペイン
 まずはイスパニア語の生誕地であることに敬意を表してスペインから歩き始めましょう。この「スペイン」という国名は、言うまでもなく英語から日本語に借用されたもので、イスパニア語では"España"(「エスパーニャ」と発音します)と呼びます。もちろん英語の"Spain"がこの"España"の変化した形であることは容易に見て取れるでしょう。他方「エスパーニャ」は、古代ローマ人がこの地域を指して使った"Hispania"(「ヒスパニア」ないし「イスパニア」)を語源としています。私たちイスパニア語学科は、英語ではなくこのラテン語の呼称を名乗っているのです。また、漢字への音訳ではスペインを「西班牙」と書くので、科目名をはじめイスパニア語学科では「西」と略記することも少なくありません。

 スペインは、イベリア半島の一部、バレアール諸島、カナリア諸島、アフリカ北岸のセウタとメリージャの2市などから構成されています。現在の政体は日本と同じく立憲君主制を採っていますが、スペインは後述するように地域主義が非常に強く、この点ではきわめて中央集権的な日本と好対照を成しています。イベリア半島にはスペインのほかにポルトガルとアンドーラという2つの国があります。18世紀はじめのスペイン王位継承戦争以来イギリス領となっているジブラルタル(イスパニア語では「ヒブラルタール」)もイベリア半島南端――セウタ市のほぼ対岸――に位置していますが、スペインは長年にわたりイギリスに返還を要求しています。

 このジブラルタルを通って711年にイスラム教徒がイベリア半島に入り、一時は半島のほとんど全域を支配下に収めるまでになりました。イスラム教徒はイベリア半島を「アル・アンダルス」と呼び、これは現在でも歴史用語として使われています。また現在の地名「アンダルシーア」はこの「アル・アンダルス」に由来しています。イスラム勢力は1492年に半島から追われることになりますが、スペインの文化にきわめて大きな影響を及ぼしており、イスラム時代はスペイン史でも重要な分野のひとつに数えられています。

 キリスト教徒がイベリア半島を取り戻していったことは、「国土回復戦争(レコンキスタ)」として高校の世界史の教科書にも採録されていますが、その過程は私たちが考えているよりもかなり複雑なものです。キリスト教徒とイスラム教徒、それに加えてユダヤ教徒も、かなりの期間にわたり、それぞれが自分たちの言語、文化、そしてもちろん宗教を守りながら共存していたのです。またイスラム教徒が継承していたギリシア文明をはじめとするさまざまな古代文明の遺産は、この三者の協力でアラビア語からラテン語に翻訳され、ヨーロッパに伝えられていきました。他方、戦いの面では、地理的に相互に隔絶していたキリスト教徒の諸王国は、常に一丸となってイスラム教徒に相対していたのではなく、個々にそれぞれの「国土回復戦争」を進めていったのです。先ほど現在のスペインでは地域主義が強いと事実ことに触れましたが、その直接の起源はこの時代に求められるといえるでしょう。

 少々乱暴にまとめるならば、このように分立したキリスト教小王国群がそれぞれにイスラム教徒を南へと追いやる一方で、これらの国々は支配者間の結婚などによって次第に統合の絆を強くしていき、なかでも半島中央部のカスティージャ王国が今日のスペインの中核となっていきました。私たちが「イスパニア語」と呼んでいるものは、実はこのカスティージャの言葉なのです。現在のスペインでも、このカスティージャ語(castellano)が共通語の位置を占めていますが、東部の地中海沿岸地方ではカタルーニャ語が、北西部ではポルトガル語に近いガリシア語が、北部のフランス国境に近い一帯では言語系統のまったく異なるバスク(イスパニア語では「バスコ」)語が、それぞれの地方の公用語として用いられています。スペインが多言語国家であるということは、記憶にとどめておいてよいでしょう。

 これらの諸言語は、日本で言うところの「方言」かというと、必ずしもそうではありません。そもそも「方言」の定義は何かという問いに答えることそのものもそれほど簡単なことではありません。大事なことは、それぞれの言語の話者が(より正確に言えばそうした話者を取りまとめている共同体なり政治権力なりが)その言語をカスティージャ語とは異なるものと認識し、自らの言語を育てていこうという意思を持っているということです。そしてそのような意思は、それぞれの地域の民族意識や地域主義と密接に関係しています。

 このようにスペイン一国をとっても、その内部を覗いてみると、その実態はきわめて多様であるということができるのです。

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