言語(2)

 

吉田 有 先生

 

――事前にアンケートさせていただきましたところ、先生のご研究の対象は「音便と普遍的音韻変化」、もうひとつが「意味形態文法」とお答えいただきました。これはそれぞれどのようなものなのでしょうか? 

 

吉田 日本語にはさまざまな音便がありますね。たとえば、「ふみ書きて」と言っていたものが「手紙を書いて」となるように、「き」が「い」になる「い音便」といいます。これは[k]という子音が脱落していると考えられる。あるいは、かつて「転びて」といっていたものが現代語では「転んで」となっています。これは、[b]という音が脱落した上で、[n]という音が入ってきている、日本語独特の音便です。これらは、一般には「発音の負担を軽減するために起こった現象」とみなされています。一方、ゲルマン語からドイツ語が出てくるときに、たとえば[b][g][p][k]になりました。[b][g]の有声性が取れてしまった。有声が取れるっていうのは、これもまあ「発音の負担の軽減」と解釈できます。総じて、音便や音韻変化というのは、発音の際の負担を軽減するために起こると言われることが多い。そこで私が関心があるのは、こういった音韻変化は本当に発音労力の軽減に向かっているのか、それとも、単にそれだけの理由に留まらない、ある共通する原因・理由があるのか、そういうようなことなんです。

英語などでも、「騎士」の意味のknight ですとか、「筋肉」のmuscle といった語には、[k] の音が脱落した形跡があります。こういう例はゲルマン系の言語にはたくさん見られます。そういった例を見ていくことで、音便とドイツ語の音韻変化というものは関係付けられるかもしれない、と考えています。

一方で、本居宣長などを参照しますと、音便が必ずしも発音の労力の軽減とは考えられていないんですね。もっと特殊な事情をいろいろと考えている。たとえば、「発音のしやすさ」にある意味では関わるとしても、それが発音機関の労力としてはむしろ増加している場合もある、というようなことも言っています。いつも経済性の論理だけでは説明がつかない。日本語の音便というのは、もちろん、主に国語学者が研究しているのですが、なかなか簡単には説明がつかないのですね。そこで、ヨーロッパの言語史における音韻変化と結び付けて考えることができたらなあ、と思っている次第です。

 

――よく分かりました。それでは、もうひとつのテーマ、「意味形態文法」というのは?

 

吉田 上智大学ともゆかりのあるドイツ語学者関口存男氏(文学部哲学科卒)は、演劇をやったり、幅広い活動をしていましたが、最終的にはドイツ語教育とドイツ語の普及につとめた方ですけれども、この関口氏が「意味形態」という言葉をしきりと言っていたんです。彼によれば、「意味形態」というのはドイツ語、英語、日本語といった個別言語と直接に結びつくものではないんです。それぞれの言語を用いる前の段階に、思考上の、ものを考える上での普遍的なカテゴリーを人間は持っているというんですね。関口氏は、このカテゴリーを「意味形態」と呼んでいるんです。たとえば日本語の「ABなり」、ドイツ語の「A ist B.」、英語の「A is B.」という文の背後には共通の「意味形態」があって、それがそれぞれの言語によって様々な「発現形態」で現れてくる、というわけです。

ドイツ語を研究する際に用いる概念に Wortfeld というのがあります。たとえば、「A ist B.」という意味においてsein という動詞が使われている時、このsein の場所に代わりに入れても、似たような意味の文が成立する動詞がありますね。bilden とか、dastellen とか。こういった動詞は、「A ist B.」におけるsein と同じWortfeld にある、というような言い方をします。ところが、関口存男の『独作文教程』の「ABなり」のくだりを読みますと、今述べたような Wortfeld に属するような動詞も出てくるんですが、それ以外の表現も出てくるんです。たとえば、「es handelt sich bei A um B」とか、「Man spricht von 〜」、「Es liegt hier〜」といった言い方も、意味的には「ABなり」の構造を持っているともいえるがそれが顕在化していない、と考えるんですね。また、さまざまな副詞も出てくるんです。たとえば、「Am besten sprechen Sie mit ihm. 」という文の「am besten」も、「……することが最善である」という意味として、ここにも「ABなり」の構造を読み取るわけなんです。こういう考え方が可能だとすると、そういう副詞はたくさんあるんですね。さらに、前置詞句や副詞にとどまらず、関口氏は文と文の関係の中にまで「ABなり」という構造を読む、というふうにどんどん「意味形態」の世界を広げて行きました。

つまり、単語レベル、熟語レベル、さらに統語論レベルと、横断的に広がっていけるのが、この「意味形態」論の面白いところなんです。私はたまたま98年のベルリンでの学会で、人に勧められて、関口氏の「意味形態」論について話すことになったので、内発的に出会ったのではなくて偶然もあるのですが、それ以来、とても面白いと思って取り組んでいます。

 

――そうしますと、「意味形態」とはある種の普遍文法、あらゆる言語に共通の文法のようなものと考えることもできますか? 

 

吉田 普遍的に、「言語以前」にそういうものがある、という考え方ですね。しかし、その発現形態は諸言語によってそれぞれ違う、と。しかも、その発現形態は、単語レベルだけでもなく、モダリティだけにとどまるものでもなく、さまざまなカテゴリーを横断している。ですから、幅広くこの実現形態を見ていかねばなりません。「Es handelt sich bei A um B」の構文において、「主語はessichは再帰代名詞で……」というふうに見ていっても、「ABなり」の形は見えてきません。意味全体の構造を洞察する必要があるんです。

 

――言語の表面的な構造の背後、もしくは前提として存在する普遍的な構造を取り扱った言語理論としては、チョムスキーの「生成文法」が有名ですね。しかし、チョムスキーの理論も、特にその初期においては英語の発想にとらわれていた、という言い方もされます。お話をうかがっておりますと、関口存男の「意味形態文法」は、非インド=ヨーロッパ語圏の人間ならでは、日本人ならではの発想でドイツ語の意味構造にアプローチしている、という感じがしますが。

 

吉田 おそらくそうだと思います。関口次男は、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語、英語、サンスクリット語、非常に多くの言語を知っていましたので、そういう観点からも、ドイツ語がよく分かっていた。そんな関口氏が、日本人、日本語使用者から見れば、ドイツ語の意味構造はこうなっている、と記述したのが「意味形態文法」なのだろうと思います。一度、表面上の構造を崩して考えないと、かえって分からなくなってしまう、と。彼の言葉を借りれば、「形式文法は役に立たない」ということになります。

 チョムスキーとの比較を考えますと、私はあまり詳しくありませんが、生成文法の理論における意味組成というのと、関口の意味形態の間にはかなり距離があって、関口の理論を現代の文法学や意味論、統語論に結びつけるのは難しいだろうな、とは思っています。逆に言うと、現代言語学では把握するのが難しい何かを、関口次男は捉えたのかもしれない、という言い方もできると思います。

 

――吉田先生は授業では翻訳論、統語論を講じておられるそうですが、どのような教え方をしていらっしゃるのでしょうか。

 

吉田 基本的に、日本語とドイツ語の対照研究なのですが、そこでは他の研究者が使った言葉や、私自身が考えたいくつかのキーワードを使って、考察を行なっています。一例をあげれば、「人間志向性」というのがあります。池上嘉彦先生が書かれたものの中にあった例ですが、「You have stains on your coat. 」という文を、「コートに染みがついてますよ」という日本語の文に対応させてみましょう。英語のほうは、行為者や行為を受ける「人」を中心に構文を立てるところがありますが、日本語の方では「You have…」の部分はなくなってしまい、人間が背景にしりぞいているんですね。私がある小説で見つけた例でも、ドイツ語で「Er hatte ein Messer im Rücken. 」というのがありました。これは日本語では「彼の背中にナイフが刺さっていた」と訳すことができますね。このドイツ語と日本語を比較すると、ドイツ語の方は、まるでer、彼 が動作者であるかのような構文になっています。日本語の方は、もっと具体的なものに焦点があっていますね。飛行機で誰かが空港に到着する時でも、ドイツ語なら「er が「landen」するわけですが、日本語なら「(彼の乗った)飛行機」が「着陸する」という言い方をしますね。あるいは、「Can you hear me? 」は、日本語では「私の言っていることが聞こえますか? 」となる。このように、英語やドイツ語では、さまざまな事柄をそれに関わっている「人間」でもって言い表すことが多い。これを「人間志向性」と言っているわけです。

あるいは、「断面層提示」という言葉も使います。たとえば「Ich war in München. 」というのは、「私はミュンヘンにいた」じゃなくて、「行ったことがある」という意味になることがありますね。あるいは、ホテルのフロントに呼び出されたら、「In einer Minute bin ich unten. 」などと言う。「一分後に下にいる」ということですが、日本語なら「(一分後に)行く」と言いますね。あるいはまた、「ボールペンをお返しします」というのを「Hier haben Sie den Kugelschreiber zurück. 」などと言う。本来、sein とか haben というような動詞は「動作」ではなくて「状態」を表わすわけですが、ある種の状況においては、移動や変化を表わす意味になりうる。そのため、seinhabenを用いてかなり複雑なことが言えます。ある一時点の状態を示すことで、動作や移動など表わすわけですね、これを「断面層提示」と呼んでいます。

よく、外国語修得において、「その言語の発想までも身につけなくてはいけない」と言いますね。私は、今述べたようなことを学ぶのも、ドイツ語ならドイツ語の特有の発想を知ることにつながるだろうと考えています。


 

読んでほしい図書10

 

1.鈴木孝夫『:ことばと文化』岩波新書

 −異文化理解の古典的名著。

 

2.安西徹雄『英語の発想』講談杜現代新書

 −日本語にない無生物主語、問接話法等の理解のための古典的名著。

 

3.倉田直臣『英会話上達法』講談杜現代新書

 −日本人とは正反対の欧米人のコミュニケーションのスタンスを知るために。

 

4.中山純『コレクション・ドイツ語3「話す」』白水杜

 −ドイツ人の会話の戦略を知るために。

 

5.中山豊『コレクション・ドイツ語8「文法」』白水杜

 −ドイツと日本のドイツ文法研究の最先端を知るために。

 

6.関ロー郎『「学ぶ」から「使う」外国語へ』集英杜新書

 −教職課程をめざす人のための必読書。

 

7.吉田研作『英語リスニング上達の方法』ジャパンタイムズ

 −リスニングを通して発音と会話のトレーニング方法を知るために。

 

8.加賀野井秀一『20世紀言語学入門』講談杜現代新書

 −言語学を目指す人のための刺激的な現代言語学史入門。

 

9.育木やよひ『べ一トーヴェン〈不滅の恋人〉の謎を解く』講談杜現代新書

 −ドイツ音楽研究の<フィールドワーク>の好例。

 

10.浜崎長寿/乙政潤/野入逸彦編『日独語対照研究』大学書林

 −本格的対照研究の(私の著作が出るまでは)本邦唯一の研究書。