::::: ドイツ社会研究 :::::

Interview mit 八幡康貞先生

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1.ドイツ社会研究と社会学
2.スイスとヨーロッパ

3.ドイツ語学科の思い出と外国語学部の将来

4.ドイツ語学科の学生へのアドバイス








1.ドイツ社会研究と社会学

――八幡先生、八幡先生には長年、ドイツ語学科の「ドイツ社会研究」という科目を担当していただいていますが、このドイツ社会研究とはドイツ社会学ということなのでしょうか?
八幡:「確かに社会学と関連した内容になっていますが、私のいう『ドイツ社会研究』はもっと包括的なものです。いわゆる社会学に限らず、思想や歴史、あるいは政治・経済も含んだ内容になっています。ですから私の授業では、歴史的な言及、とりわけ近代化についてはかなり踏み込んだ議論をしていますよ。」

――先生の社会研究が歴史も踏まえた授業ということですが、それは現在の社会学が歴史的な要素を捨象しがちであることに対する批判でもあるのでしょうか。
八幡:「これはあくまで私個人の見解ですが、日本の社会学はどんどんアメリカ社会学の方向へ行ってしまい、歴史的な考察を欠いてきているように思われます。確かにアメリカの社会学にも学ぶべき点は多くあります。
 私は昭和30年代(1950・60年代)にドイツのミュンヘン大学で社会学の勉強をいたしました。上智大学を卒業した後です。当時のドイツの大学は、アメリカ社会学の最新動向の摂取に非常に意欲的で、アメリカの有名な社会学者であるタルコット・パーソンズなどもミュンヘンに招聘されていました。
 でもアメリカの社会学は歴史的分析が浅く、果たして歴史の長いヨーロッパを理解するのに十分なのか、という疑問はつねにありました。」


――具体的にはどんな研究に関してでしょうか?
八幡:「例えば、ヨーロッパの都市研究・都市の歴史研究。あるいは19世紀以来の労働運動史研究。こういった長いスパンの研究をするのにヨーロッパの社会史・精神史の研究・知識なしで生きた社会を捉えることができるのか。そういった疑問があるのです。
 確かにアメリカ流の実証的な研究も必要です。私もミュンヘン時代に、社会調査などの実証研究をやりました。アンケートなどです。でもどれだけ真実が分かるのでしょうか。
 ドイツでは実証主義的な社会学者でも歴史研究の必要性を唱えています。ケルン大学の元教授で、ドイツの実証主義社会学の大家ともいえるショイヒ(
E.W.Scheuch)と話した時も、彼は、『社会学の歴史化は必要だ』としきりに訴えていました。
 またドイツ社会学の一学派であるフランクフルト学派は、いわゆるニューレフトとか、ネオマルクス主義とも言われていますが、この学派の研究方法も非常に歴史的です。アメリカの歴史を捨象した方法・研究に対する一種の反発であったのです。」


――なるほど。ドイツの社会学はアメリカ流の精緻な実証主義とヨーロッパやドイツに伝統的な歴史主義の狭間でつねに悩んでいるという感じですね。ところで、先生からご覧になって、今現在のドイツの社会学にはどういった動向が見られるのでしょうか。
八幡:「今のドイツの社会学では現象学派の影響が大きいように思います。例えば、ウルリッヒ・ベック (Ulrich Beck)なんかは面白い。ベックの代表的な著作といえば、『危険社会(Die Risikogesellschaft)』ですが、これはモダンの中からのモダン批判ともいえる内容ではないでしょうか。ベック自身はポストモダンの立場をとるのではなく、モダンの中からの批判をしています。彼が警鐘するのは、合理的な社会の帰結としての工業社会が、さらなる合理化の道を突き進んでいくという危険にあるのです。それはあたかも暴走する機械のような恐れを示唆したもので非常に興味深い。近代の更なる近代化への危機、とでもいいましょうか、これは私の問題関心でもあります。」

――そうですね。ベックの『危険社会』は翻訳も随分前に出ており、ドイツ語学科の学生にも読んでもらいたい本の一つです。先生がおっしゃるようにシステムの暴走による危険、天災や自然災害などのデンジャーではなく、人間が作ったシステムがもたらす危険、いわゆるリスク(ドイツ語では Risiko)の恐ろしさは『危険社会』が書かれた頃ではチェルノブイリの原発事故が挙げられますよね。このリスクについては現在も大変にアクチュアルな問題で、 9月の茨城・東海村の原発事故、あるいは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件に如実に現れているように思われます。それはシステム中枢に人間が簡単に入り込め、操作できること、そしてその結果、社会を崩壊させるほどにシステムが暴走する可能性があることですね。
八幡:「こういったリスク社会的な視点は、現在のシュレーダー政権にはあまりなさそうにも思えます。むしろ進歩的知識人の方が共有しているのではないでしょうか。」

――それはどういうことでしょう?
八幡:「私見では、ドイツの左派の最大政党であるドイツ社会民主党(SPD)の社会観では寛容さや自由を重んじ、規律をあまり重視していないようです。連邦制であるドイツでは、どの政党が強いかで、その州の文化政策が大きく変わることがあります。現在、教育水準が低いのはいずれもSPDが与党になっている州です。
 また、これは非常に難しい問題ですが、トルコ人などの外国人問題についても同様の思いをいたします。トルコ人への教育が十分に行き届かず、数が増えても社会への統合が進まない。すると、トルコ人も過激化してしまう、そういった危険をどう考えているのでしょうか。」


――しかし、移民法改正などに見られるように、ドイツの産業育成のための技術力をもった外国人を受け入れようとするなど、シュレーダー政権はもっと現実的な対応をしているようにも思えますが。
八幡:「そうですね。SPDでも中道右派のシュレーダー首相などはともかく、党内左派には『賞賛すべき楽観主義』〜これはもちろん本当に誉めるべき要素もあるのですが〜という言葉が当てはまる気がします。リスクを十分に考慮した寛容なのでしょうか。」

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2.スイスとヨーロッパ

――八幡先生といえば、スイスのスペシャリストとしても大学内で知れ渡っています。何年か前には先生の主催で「スイス・シンポジウム」も開催されました。(その成果は、木村直司編『 EUとドイツ語圏』2000年、南窓社、を参照)。八幡先生から見てスイスの魅力とはどこにあるのでしょうか。
八幡:「例えば、都市の比較を考えて見ましょう。西欧の都市は遠隔地商人などが中心になって形成された空間であり、自治が当然となっている。日本の都市とは逆。日本では市民の自由都市は堺ぐらいで、京都も奈良もお上が作った都市です。この点で面白いのがスイスで、スイスは西欧諸国や日本のように近代の国民国家化が進んだ国というより、未だに都市国家の集合体といった要素が強いのです。
 スイスに関する研究は日本ではまだ不十分ですが、この国は一種の社会歴史博物館のようなもので、ヨーロッパ諸国が昔もっていて今は失ってしまったものをスイスは沢山もっているのです。だから私はスイスのEU加盟には反対しています。加盟すると、そういう昔の宝物を喪失してしまう恐れがあり、もったいない。中世的要素をもち続ける奇跡的な国、これがスイスの魅力です。」


――2002年3月、スイスはついに国連加盟を国民投票で決議しました。でもEU(欧州連合)への加盟には消極的なようです。スイスとヨーロッパの関係はいかがでしょう。
八幡:「ヨーロッパ全体、あるいはドイツとの比較の上でもスイスは示唆に富んでいます。ドイツ、とくに19世紀以降のドイツを見るために周りの国を見るというのも意義があるのです。例えば、ドイツ的な国民形成とスイスのそれは全然違う。
 国民形成の内部原理のタイプには一般的には2つありまして、第一は、フランス型。これは近代に国民国家という存在が問題になる前にすでに将来の国家の原型ができあがっていた国です。フランスでは、『フランス人は誰か』というアイデンティティの問題が発生しなかった。住んでいる人は皆フランス人という考え方ができるのです。
 これに対して第二のタイプのドイツ型は違います。ドイツはかつては2000近くの独立主権国家の集合体でした。これが一体化するには、同一民族=ドイツ民族とは何かという人間の集団のアイデンティティを確立しなければならなかったのです。このアイデンティティの確立は、同一要素の人間は統合しますが、異質な要素をもつ人々は排除の対象になります。宗教、言葉を掲げて独立しようとしたスラブ世界の国民形成は皆ドイツ型で、バルカン半島の歴史を見れば分かるように。どんどん分裂していく危険を内包しているのです。
 この2つが大半の国に該当するのですが、これらと異なる第三のタイプもあります。これがスイスです。スイスには4つの言語があり、複数の民族の併存しているのに大きな対立が起きない。宗教面ではかつては戦争もあったが、誓約同盟(
Eidgenossenschaft)が壊れることはなかった。このような国はまれで、例えば、連邦制へ移行したベルギーには長年、2つの言語地域間でトラブルが発生しています。」

――スイスの誓約同盟とは現在まで続いているのですね。
八幡:「ハプスブルクの税金取立てに対抗すべく、3つの地域が協力し、誓約同盟が結成され、スイスの原型となったのです。これらの地域は共同で防衛に当たり、全体としては武力放棄(中立)という問題解決手段を選んで、成功してきました。これがスイスのナショナリズムの原点なのです。
 宗教も民族も関係ない。スイスは平和だが、スイスは平和主義者ではないのです。彼らには自分の国は自分で守るという意識が徹底しています。そのため徴兵制も厳しい。人口700万で40万(自衛隊の2倍)の軍隊をもっています。
 このスイスという国、つまり異種民族・異種言語の併存した国家、このスイスの存在は今後のEUの将来にとって重要なのではないかとも思います。別の言い方をすれば、『EUのスイス化』が今後は考えていくべきではないのでしょうか。」


――なるほど。スイスという国は本当に不思議で興味の尽きない存在ですよね。ところでヨーロッパと日本の関係について先生はどうお考えでしょうか。
八幡:「まずEUの発想の原点は中世にある点を忘れてはならないでしょう。ノヴァーリスが中世ヨーロッパを再発見したのはよく知られていますが、彼の言葉を今度はヨーロッパの政治家が再発見したとでもいえましょうか。ただ単に便利だからとか、役に立つからという理由で統合した、というだけではなかなか実像分からないでしょう。2つの大戦に失望したヨーロッパ人が中世を再発見したのです。
 日本の失敗は、1957年のローマ条約は自由市場政策と思い込んだこと。ヨーロッパ統合はそれだけではく、壮大な大政治プロジェクトでもあったのです。西独のアデナウアー首相、フランスのロベルト・シューマン首相らの書いたものを集めればそれが分かる。 ダーレンドルフが1970年代始めに政務次官として来日した時のこと。彼は日本と西ドイツ(当時)の自由貿易協定を提案したそうです。日本の通産省はどんな反応をしたと思います?非現実的と、全く相手にせず。それほど日本はヨーロッパ統合を見誤っていた。経済面のみに目を奪われていた。今、この自由貿易協定が実現していたら、3億人以上の市場がもっと身近に存在していたのです。
 ヨーロッパ統合は経済統合に止まらない政治統合も早くから視野に入っていたのです。当初は戦争の災禍を繰り返さないという反省から出発しましたが、その反省を活かして徐々に統合へ向けて積み上げを行ってきたのです。経済統合が先行したのは、それが見えやすいからです。」


――ヨーロッパ統合を先生のドイツ滞在時の生活で実感されたそうですが。
八幡:「1960年のドイツ人は本当にひどい野菜やを食べていました。この頃はまだ1957年調印の(欧州経済共同体を発足させた)ローマ条約も発効直後でまだ十分に機能していなかった。 それが、60年代が進むとEECの農業機構が稼動し始めて、またやがて関税同盟も発足して、ある日忽然とナスビが八百屋に現れた。またしばらくしてある日忽然と白菜も八百屋に現れた。カキも登場した。統合の深化を生活で実感したのです。」

――そうなんですか。じゃあ、西ドイツでも南の国の野菜や果物を口にできるようになったのはそんな昔のことでもないのですね。
八幡:「そうです。そして繰り返しになりますが、大事なのは、これらが結果だけでなく、あらかじめある程度計画されたということ。50年かけてならしていったということです。」

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3.ドイツ語学科の思い出と外国語学部将来

――ちょっと話題を変えましょう。八幡先生は我々の先輩ですが、昔のドイツ語学科はいかがだったのでしょうか。
八幡:「私は哲学を専攻しており、厳密にはドイツ語学科卒ではないです。ただ今とは上智の制度が違っていましたから。ドイツ語の勉強は結構やりました。
 それにしても昔は厳しかった。単位を落として留年する学生がクラスの半分いた時もあったのです。先生もえらくおっかなくて、『ドイツ語は難しいから、ストックで叩き込まないと頭に入らない』なんて平気で言っていたドイツ人の先生もいて、震えましたよ。実際、つまらない間違いをすると、激しく罵倒されました。 それと進級も今以上に厳しかった。10月頃になると留年しそうな学生がだんだん分かってくるのです。すると先生がその学生を指さなくなってくる。『あ、君は答えなくていいよ』などと言ってね。」


――では先生から見ると、今のドイツ語学科は生ぬるいですか?
八幡:「今の状態は分からないが、学生はとにかくドイツ語の『音響洪水』にさらされるべきであろう。」

――外国語学部は現在、改革を模索していますが、学生の勉強との関連で何かご意見はありませんか?
八幡:「外国語学部も包括的なヨーロッパ学科のようにして部分的に相互乗り入れできるようにしたらいいのではないでしょうか。おそらくそのような考えは出てきているでしょうが、その際、イタリア研究を絶対視野に入れるべきでしょう。
 というのもドイツ研究におけるイタリアの重要性を忘れてはならないからです。ゲーテを指摘するまでもなく、イタリアはドイツ人(とくに知識人)の心の故郷であり、文化的憧れの地ともいえます。コレギウム・ゲルマニウムという研究機関をドイツ政府がローマに設置しており、現在もドイツ文学者と芸術家を中心に有能な人材をイタリアへ派遣しています。イタリアの文化遺産維持のための募金もドイツ人はしています。
 一方、イタリア人のドイツ人への思いは愛憎合い半ばしているように思います。北部はむしろドイツ人に共感しており、ローマ以北では英語よりもドイツ語の方が通じるような感もしてきます。またドイツ人観光客が多いこともイタリア人がドイツ語をやる理由でしょう。」


――ドイツを勉強する上でヨーロッパ的視点が必要ということですね。
八幡:「その通りです。そのこととの関連で一つ指摘しておきたいことがあります。昨今、役に立つ勉強ということがしばしば言われるが、そのような発想はいかがなものか。経済学部ならそれでもいいが、ヨーロッパ研究では、『実像が立体的に見えてくるためにはどうしたらいいのか』、という視点で考えるべきでしょう。ドイツをみるためのサーチライトは中から当てるだけでは不十分。イタリアやフランス、スカンジナビアからも当ててみる。あるいはドイツ研究のためにイギリス人の書いた『ドイツ人論』を読んでみるのもいいし、ドイツの都市をイタリアの都市と比較するのも面白いでしょう。」

――そうですね。外国語学部は地域研究にヨーロッパ研究コースを設置する予定ですが、大変参考になるご意見です。
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4.ドイツ語学科の学生へのアドバイス

――最後に、ドイツ語学科の学生がドイツ語やドイツ社会研究をする上でのアドバイスを頂戴したいのですが。
八幡:「まずドイツ語学科にもっとゼミを導入すべきでしょう。そしてレポート提出だけで成績評価をすべきです。また学科内でなくとも副専攻などで学生も積極的にゼミに参加すべきです。ゼミの効用は例えば、自分で情報を見つける手段を覚えるということや、暗記ではなく、モノを考える習慣をつけることができる点など沢山あります。
 またゼミではなるべく多彩なテーマを取り上げてもらいたいものです。」


――ドイツ語の勉強についてはどうでしょう。
八幡:「最近の学生は耳からのドイツ語が少ないように思う。先ほども言ったように、とにかくドイツ語をひたすら聞くべきでしょう。それと話すことについてですが、ドイツ人ですら、完璧なドイツ語を話す人はそう多くない。だから我々日本人が完璧に話す必要はないのです。コンテキストが判れば、通じることが多々あります。
 またヨーロッパの近隣諸国の言語(イタリア語、フランス語など)も少しかじっておくことも望ましいでしょう。別に本格的にやる必要はない。でもさらっとやっておいた方が恥をかかなくてすむ。例えば、ルネッサンスの用語はイタリア語で、現在我々が使うコンピューター関連の用語が英語であるのに相当します。ルネッサンスの芸術用語の多くはイタリア語というわけです。」


――ドイツ語以外の勉強はいかがでしょう。
八幡:「日本の学生には芸術の知識があまりに欠けているように思います。ロココやバロックと言われても何のことだか分からない。ルネッサンスも分からない、なんて若者が多い。」

――ドイツに行けば教会や美術館はふんだんにありますからね。
八幡:「宝の山を目の前にして何をしていいのか分からなくなってしまう。まさに猫に小判です。大学の中で世界史受験を必修にすることも検討すべきでしょう。
 いずれにせよ、語学力+文化論の素養が必要です。これこそがまさに地域研究ですよ。辞書+文法書では足りません。また先ほどもいいましたように、この地域研究のためにはイタリア語とイタリア研究が不可欠です。こうして得た教養が大事。ドイツに留学した時、ドイツ人は仲間として見てくれる。周辺化されないで内輪に入れて、そこでしか分からない情報が入ってくるものです。ドイツ語学科での勉強はそのための入り口にしてもらいたいですね。」


――最後にお薦めの書物などありましたら…。
八幡:「これはなかなか難しいですね。どれか1冊ということは言えませんが、例えば、私の経験から言うと、近代とポストモダンの関係について、経済や工業の背後にある精神構造を読むのに勉強するのに役立ったのが、ハンス・ゼーデルマイヤーの『芸術における美と真理』でありました。もう1冊は、マックス・ブローシャ『精神史としての美術史』。これは芸術を通して時代精神を読むというアプローチを採ったものです。ちょっと翻訳があるか分かりませんが…。
 それ以外ですと、例えば歴史家ブルクハルトの一連の著作は面白いです。彼の考えでは、問題解決には多様な方法があり、一貫した法則があるというわけではない。そういう主張がブルックハルトの功績ではないでしょうか。
 社会学者マックス・ウェーバーの著作では、社会学そのものより、社会経済史に関する講義録が面白いです。大著『経済と社会』は抽象的で難しい。
 それ以外では、アンリ・ピレンヌの『中世都市』というのもいい本です。彼は、中世の自由都市(ドイツ、オランダ、ベルギーなど)の発生のメカニズムを分析したのです。
 マルクス主義の唯物史観ではなく、また自然発生史観でもない。歴史的大変動と経済構造の変化、遠隔地商人や都市へ集まってきた農民などの影響がからみあって都市を造った。それが都市の自治を生んでいったという解釈です。 それ以外にも面白い本は沢山ありますが、とにかくいろいろと読んでみて下さい。」


――ありがとうございました。
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