2. 地 域 研 究 の 歴 史 と 現 状
(1) はじめに / (2)地域研究の定義 / (3) 地域研究の必要性 / (4)地域研究の歴史 /
(5) 日本における地域研究の現状 / (6)おわりに
(4) 地域研究の歴史−「国家」研究から「地域」研究へ
(i) 米国

 地域研究は第2次世界大戦中、米国において行われるようになったが、当初はいわゆる「敵国研究」("know-your-enemy"studies)が中心で、主として米軍によって日本語、中国語などのインテンシブ・コースが設けられた。そして戦後は、東西冷戦の進展もあってソ連研究の必要性が高まり、カーネギー財団やロックフエラー財団の資金援助によって、コロンビア大学およびハーバード大学がロシア研究センターを設立した。この両大学のロシア研究センターの組織と活動は、他の地域研究センター(areacenter)のモデルとなった。1950年代末になると、フォード財団かラテンアメリカ研究などの地域研究の発展のために、多くの大学に多額の長期資金援助を与えるに至った。
 事実、フォード財団は米国における地域研究センターの設立に最大の貢献をなしており、1950-73年間に国際研究(Intemational Studies)のために2億7800万ドルの資金供与を行っている。そのうち1億7660万ドルが地域研究と見なされる国際訓練研究(International Training and Research)に対するもので、その大部分は地域研究センターの設立と強化のために使用された。また同財団は1952年に、海外地域奨学金計画(Foreign Area Fellowship Program=FAFP)を発足させ、大学院生の海外実地調査に対して奨学金を供与し始めた。1952-72年間にFAFPは、40の専門分野にわたる2,050人の学生に対して奨学金を与えた。
 一方、連邦政府も国家防衛教育法(National Defense Education Act=NDEA)を通じて、地域研究を促進するため資金を供与した。1958-73年間にNDEAの第6部門(Title VI)は、2億600万ドルに上る資金供与を行ったが、このうち6,850万ドルは外国語および地域センターに対するものである。NDEAが資金援助した地域研究センターの数は100以上に上り、これらの地域研究は、3万5,500人の学士(B.A)、1万4,700人の修士(M.A.)および5,OOO人の博士(Ph-D.)を育成した。
 このように、米国では戦後、財団や連邦政府の後援もあって、地域研究は著しい発展を見せたが、それは主として国家安全保障上や、政治的、経済的要因によるものだった。すなわち戦後のソ連・中国研究ブームは、東西冷戦によってもたらされたものであり、1960年代のラテンアメリカ研究ブームは、キューバ革命を契機として米国のラテンアメリカに対する関心が高まったからにほかならない。
 しかし1970年代に入ると、米国における地域研究は全般的に低迷期を迎えた。
 これは財政上および社会的理由から、米国民の関心か都市問題や黒人、女性問題、公害、エネルギーなどの国内間題に移ったからである。 連邦政府や州政府の援助資金打ち切りやインフレ高進によって、大学の予算は大きな影響を受けたし、またベトナム戦争の終結とともに、就職が厳しくなった大学生が法律、経営、工学などの実務的で高収入が得られる仕事に関心を向けるようになった。このため、地域研究を目的として人文科学や社会科学の分野に入学する学生の数が滅少した。
 こうした中で、米国の関心はキューバのミサイル危機の解決によって米ソの核対決の危機が無くなったラテンアメリカから、アジア、アフリカ、 中近東に向けられるようになった。こうした傾向は財団や連邦政府の資金援助額にも見られる。
 財政困難にみまわれたフォ一ド財団は、国際研究への資金援助を削滅したが、その影響を最も大きく受けたのがラテンアメリカ研究だった。一方、NDEAによる資金も凍結されたため、インフレによって連邦政府資金は実質半滅した。 そして1970年代末に国際研究のための連都政府資金の約40%が、アジアに向けられたのに対して、ラテンアメリカが受けたのはわずかに10%に過ぎなかった。
 1980年代に入ると、米国では地域研究に対する関心が再び高まる傾向が見られるが、そのきっかけのひとつとなったのは、1979年に発表された 「外国語と国際研究に関する大統領委員会報告」であるとされている。

(ii) 欧州

 欧州における地域研究の発展も米国と同様に、政治的、経済的要因によるものだった。英国では英領植民地の行政官などの言語訓練を目的として1916年に東洋アフリカ研究学院(School for Oriental and African Studies)が設立されたが、 第2次大戦後は同学院などの地域研究機関の拡充が図られた。
 1947年には、外務省が設立した「東洋・スラブ・東欧・アフリカ研究に関する調査委負会」が報告(いわゆるScarbrough Report)を発表、 西欧以外の地域の人々の言語と文化に関する研究を強化するよう勧告した。その内容は「現状は英国およびその国民にとってふさわしくないものであり……、これら非西欧諸国の文明および言語の研究は、現世代さらに次世代にとっても極めて重要であるので、現状のまま放置あるいは後退させるようなことがあれば、それは国益を害することになろう」というものだった。
 こうした勧告に基づいて、英政府は6つの大学の外国語学科に資金援助を与えたが、 1961年には上記諸研究に関する新たな報告(いわゆるHayter Report)が発表され、外国語学科以外の地域研究の拡大を勧告するとともに、 米国における地域研究の発展から英国が学ぶべき3つの教訓があることを強調した。すなわち、(1)大規模な努力、(2)地域研究センターの組織、(3)近代研究の重視、の3点である。
 フランスでは、1955年以降、地域研究の顕著な拡大が見られた。同年、高等研究学院(Escole Pratique des Hautes Etudes)が、ロックフェラー財団の資金援助を得て、極東、ロシア、インドおよびイスラム研究の拡充に乗り出し、文部省などからの資金協力の下に、1957年までにこれらの研究を行う16の講座が新設された。さらに極東言語学院(Escole des Langues Orientales)、人類博物館(Musee del’Homme) などとの協力関係が強化されるとともに、アフリカおよびラテンアメリカ研究のための新たな地域センターが設立された。
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