社会(2)

Interview mit 永田ザビーネ先生

――先生が研究しておられるのはどのようなことですか?
永田:「私が今まで行なってきた研究に一貫しているテーマは、一口で言えば、『日本人とドイツ人の出会い』です。一番始めは、日本に最初にやってきたドイツ人たち、ドイツに初めて渡った日本人たちについての資料がミュンヘンにたくさんありましたので、それを出発点にして研究を始めました。やがて、現代の日独間の文化的接触についても研究するようになり、その間の歴史的なことを勉強するようにもなりました。
 おもしろいのは、そういう研究を通しても、また実生活で日本に暮らした印象でも、日本人とドイツ人の間で結ばれる人間関係は基本において変わっていない、という気がすることです。政治的にも、経済的にも、歴史的にも、さまざまなものが大きく変わったのに、ドイツ人と日本人が個人的なレベル、私的なレベルで出会うときの人間関係の図式は何も変わっていないのです。日独交流のごく初期の文献を見ても、現代のドイツ人と日本人の出会いと基本的な違いがありません。つまり、あいも変わらず同じような誤解があるんです。心理に関すること、歴史に関すること、宗教、仕事、教育、について。実を言いますと、私自身25年日本に住んでいますが、日を追うごとに日本が分からなくなってきている気さえします。そんなこともあって、私が一番興味があるのは、ドイツ人が日本を誤解する際の『典型的なパターン』のようなものです。」


――具体的には、どのような「誤解」なのでしょうか?
永田:「表面には出てこないことも多いんです。ペーター・グロッツは『優位の終焉』ということを言っています。もはや、ヨーロッパ人が日本に対して優越感を持つ理由はなくなっており、実際に傲慢な発想やものの言い方はなくなってきている、という意味です。でも、それは表面上のことではないか、と私は疑っています。実際、日本にいるヨーロッパ人、それも地位の高い人たちが集まっている場面に出くわすと、しばしば、日本についてきわめて傲慢な言い方をしています。もちろん、日本人のいない場所でですよ。それは、私を例外としません。たぶん、私の心の中にも、ヨーロッパ人としての偏見、傲慢があるだろうと思います。日本人の方の誤解は、私にはそういう形では把握できていません。これから、もっと日本の人々と知り合いになって、そういうことも知っていきたいと思っています。」

――そういった、リアルな社会的関係に対する学問的アプローチはさまざまなものがありうるように思えます。先生の研究方法はそのようなものでしょうか?
永田:「そうですね……。こんな言葉はないかもしれませんが、言うなれば『歴史心理学的』な方法と言うことができるように思います。つまり、社会の様々な段階において、その歴史的状況を把握するとともに、当時の人々が『何をどう感じていたか』を知りたい、というのは私の目標です。作家ローベルト・メナッセが昨年私たちの大学でも朗読会をしましたね。彼の書くものはしばしば議論を引き起こしますが、メナッセが過去を描写する方法は、私には納得がいくものです。メナッセはオーストリア出身のユダヤ人で、学生運動の時代(1950〜60年代)に成長期を送った作家ですが、<楽園追放>という小説で、17世紀にスペインを追放されたユダヤ人たちがオランダで自由を与えられて暮らしている様子を描いています。これを行うために、彼はきわめて綿密な歴史的調査を行い、そこから小説の登場人物たちの心情を作者自ら『体験しよう』としました。民族や宗教、文化が違う人々の心情を理解するための努力があるとすれば、時代の離れた人々の感じ方を理解する努力もまた必要でしょう。私はそれを『歴史心理学的』な作業と呼びうるように思います。」

――先生の「歴史心理学的」な方法で、学生も研究を行い、たとえば卒業論文などを作成することも可能でしょうか?
永田:「私がもうひとつの学問的方法として重視しているものに、『イマゴロギー(Imagologie)』というのがあります。もし、私のように、『異文化のイメージ』というものに興味をお持ちの方は、まずはこの方法で研究を始めるとやりやすいのではないかと思います。『イマゴロギー』は社会的、あるいは心理的に異文化のイメージについて研究する作業ですが、まだ新しい学問領域で、それほど方法論が確立されているわけではありませんし、人文科学のメインストリームにあるとも言えないでしょう。しかし、たとえばアロイス・ビアラッハーというドイツ文学者や、ドイツ語教育法の研究者クルシェの著作を読み、その方法を学ぶことは有益だと思います。」

――人文科学の古典的な著作で、先生のもとで学びたいと希望する学生に読むことを勧めたい書物はありますか?たとえばマックス・ウェーバーとか?
永田:「マックス・ウェーバーのような古典的な著者のものは、もちろん読まないよりは読んだ方がいいですね。それから、フロイトなどもね。ただし、気をつけて欲しいのは、ウェーバーにしても、フロイトにしても、ヨーロッパの社会やヨーロッパ人の精神構造を理解するために、彼らの学問理論を作り上げたのだ、ということです。たとえば、フロイトの『エディプス・コンプレックス』という考え方が、どの程度まで日本人の精神を分析するのに使えるのか、それは簡単には言えないのではないですか?この件に関しては、東京大学の先生たちの間でも研究が行なわれているようですが……。」

――先生はこれからドイツで1年間の在外研究に入られますが(※2002年度)、上智大学にお戻りになったら、どのような授業をなさるおつもりですか?
永田:「まだ、今後一年間の研究において、自分にどのような機会が与えられるかがはっきり分かっていませんので、あまり具体的なことは申し上げられません。ただ、メディア関連のことに興味がありますので、自分の研究にも最近のメディア研究の成果や方法を取り入れることができるかどうか、専門家にたずねてみたいと思います。でも、私はディレッタントになるのは好きではありませんから(笑)、『難しいな』と思ったら、とりあえずその方向はあきらめます。もともと私の研究は非常に分野横断的なものですので、地理についても、経済についても、歴史や文化、政治、家族生活についても、なんらかの形で触れていかねばなりません。ですから、油断をすると、すぐにひどいディレッタンティズムに陥ってしまうんです。メディアについて仕事をするのが難しければ、私は『文学』と『心理分析』に集中しようと思います。文学については『中世の女性とセクシュアリティ』というテーマの連続講演会が開催されるそうですので、そこに参加して勉強しようと思います。ドイツ語学科にも非常に多くの女子学生がいますから、帰国後に『女性』というテーマでの授業をしても面白いのではないでしょうか。」

――先生の授業に参加する学生たちには、どのような関心を持っていてほしいですか?
永田:「私の研究は今までお話したようなものですから、私のもとで卒業論文等を執筆したいという学生さんは、やはり、テーマに関連する様々なものごとについて関心を持てる人であって欲しいですね。あまり手を広げ過ぎたり、器用貧乏になってもいけませんが、一度テーマを決めたら、そのテーマの範囲内では縦横に思考をめぐらせ、様々な人々の立場になって考える、というようなことができてほしいと思います。また、授業ではグループ作業をしていただくことも多いので、相手のアイデンティティーを理解できて、ユーモアのある人が望まれます。その意味では、近年私のところで学んだ学生たちにはとても満足しています。彼らは、お互いをしっかり受けとめながら、じつに活発にグループ作業をしてくれました。」

――学生たちが卒論を書こうとする場合、研究の具体的なテーマをどのようにして決めればよいとお考えですか?
永田:「最近は、ドイツ語学科の学生で卒業論文を書こうとする人は、留学経験者が多いですね。交換留学などでドイツ語圏の大学で勉強をしてきて、ゼミナールや勉強会などで興味をひくテーマを見つけてきた場合、それについて帰国後も研究を続ける人が多いようです。ドイツ語圏のことについて卒論のテーマを見つけようとする場合、やはり、現地の人々と接触したり、ドイツ語圏の人々が今何を問題にしているかを知ることで、関心の焦点が絞れてくる、ということはあるでしょう。とはいえ、留学する機会のない人も少なくないわけで、そういう人は、たとえばドイツ語圏文化研究所が開催する講演会やイベントに参加してみるのもよい機会になりうると思います。ドイツ語圏の様々なジャンルの研究者や実務家が招待されて、講演などを行なっていますからね。そういう場所で、集中して研究したいテーマを見つける人もきっといるはずです。さらには、赤坂のゲーテ・インスティトゥートやOAGなどの催し物に参加するのもよいでしょう。もちろん、日頃からドイツ語圏の新聞や雑誌に目を通して、どんなことが起こっているのかに注目していれば、アクチュアルなテーマを見つけるチャンスも増えてくることは言うまでもありません。」





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