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ドイツ史・ドイツ語史 J.マウツ(Joerg Mauz)
―−ドイツ語学科では歴史関係の科目はどのようなものがあるのでしょうか。またマウツ先生はどのような授業をしていらっしゃるのでしょうか。 マウツ 我が上智大学外国語学部ドイツ語学科ではドイツの歴史に関心をもっている人々のために隔年で「ドイツ史」の講義と演習(ゼミナール)を開講しております。そして「ドイツ史」を休講する年には「ドイツ語史」の講義をしております。ゼミの中ではドイツ史の中の出来事についてビデオを見ながら説明をしたり、学生同士で議論をしたりしております。 ―まず最初にドイツ史についてうかがいます。マウツ先生、先生の関心が高いドイツ史上のトピックは何でしょうか。 マウツ 皆さんは世界史の中でルター、ビスマルク、ヒットラーあるいはコールといった名前を一度は聞いたことがあると思います。言うまでもないのですが、ドイツの歴史の中にはこれらの人々以外にも多くの重要な人物、と同時に沢山の面白い出来事があります。 ―他にも興味あるテーマは沢山あるでしょうね。 マウツ 次に興味深いのは宗教改革を巡る一連の動きでしょう。宗教改革といえば、マルティン・ルターが思い起こされます。ルターとその活動が非常に興味深いのです。これは後述するように「ドイツ語史」の面からも重要です。 ―言葉には時の政治情勢が色濃く影響しているのですね。 マウツ まさにその通りです。 −以上の3点が先生お勧めのドイツの歴史における事件・トピックですか。 マウツ もちろん、これ以外にも19世紀半ばの革命、第二帝国も勃興、その後のワイマール共和国やヒトラーの第三帝国も重大な歴史です。人それぞれで重視するテーマも自ずと変わってくるでしょう。 ―マウツ先生がこの3つのトピックを重視する理由は何ですか。 マウツ まず、「ドイツ」という言葉の意味について考えてみましょう。ドイツの語源は「民」です。ドイツ人は民として当初(10世紀語頃)帝国を支持する立場にありました。でもドイツの民が本格的に政治的になっていくのは19世紀になってからです。 ―ドイツは現在でも分権的ですしね。この特徴は神聖ローマ帝国解体後も続いたのでしょうか。 マウツ ナポレオン戦争後、状況は大きく変わりました。それまでは希薄であった「ドイツ人」という意識が芽生えてきたのでしょう。反ナポレオンでドイツのナショナリズムが喚起され、やがてドイツは統一されたのです。 ―いつ頃のことでしょうか。 マウツ ドイツが初めて統一したのは、普仏戦争後の1871年です。この時、中心的役割を果たしたのが、北方より勃興してきた新興勢力のプロイセンです。北方の都市ケーニヒスベルクから台頭してきたプロイセンはドイツ騎士団を抑え、16世紀にはプロテスタントに改宗しました。その後、ポーランド王家への従属期間などを経て、ホーエンツォレルン家が台頭してきます。同家は17世紀にはブランデンブルク選帝侯を杯輩出するようになり、巨大な勢力へと変貌していったのです。 ―なるほど。ところで地方分権という点では統一したことで内部は集権的になったのではないですか。 マウツ 確かに、統一したのだから少なくとも形の上では以前より集権化したとはいえるかもしれません。でも実際には1871年成立の第二帝国もその後のワイマール共和国も決して一枚岩ではなく、つねに内部で州や政党などの諸勢力が対抗関係にありました。その意味では依然として分権的であり、とりわけ圧倒的な領土をもつプロイセンが優位なままであり、不平等な連邦制です。 ―ナチスの時代も地方分権は維持されたのでしょうか。 マウツ ヒトラーとナチスも国内全体を完全に一枚岩にはできなかったでしょう。とくに権力掌握期には、ヒトラーは地方統制にはかなり気を使っていました。それでも1933年から45年までの第三帝国の時代、集権化の傾向は強まり、地方意識が国内を分裂ような可能性は少なかったのです。 ―フランスとの関係も重要なテーマですね。 マウツ そうです。この戦間期の時期、シュトレーゼマン外相とフランスのブリアン外相のように独仏関係の改善を唱える政治家もいましたが、第一次世界大戦の戦後処理、とりわけドイツに対する賠償問題の深刻さから、関係改善は上手くいきませんでした。この時期ドイツ人からみてフランスは軽蔑の対象ですらあったといえるかもしれません。第二次大戦後、独仏関係は好転し、1957年にローマ条約や63年のエリゼ条約で両国の関係改善は確認されました。 ―第二次大戦後の戦後ドイツはどうだったのでしょうか。 マウツ 第二次大戦終結直後、ドイツは東西に分裂し、約四十年間この状態が続きました。他方で、西ヨーロッパは統合への速度は早められてきました。
―では次に「ドイツ史」とは隔年開講で開かれる「ドイツ語史」についてお聞かせ下さい。講義をしていらして、ドイツ語史で一番興味深いと思われるのはどんな点でしょう。 マウツ 私の研究テーマとも重なりますが、13世紀の中世神秘思想のおかげで、それまで方言であったゲルマン語がドイツの学問の言葉になったことでしょうか。それまでは学問のための言葉といえばラテン語でした。 ―なるほど。ドイツ語とラテン語を区別する例は何かありますか。 マウツ そうですね。「学問」という意味の「ヴィッセンシャフト」(Wissenschaft)という言葉があります。英語の「サイエンス」(science)
の語源はラテン語です。この「ヴィッセンシャフト」の「ヴィッセン」(wissen)は「知る」という意味です。英語の「ウィット」(wit)
、あるいは「ウィットネス」(witness)
という言葉もゲルマン系の語源をもっています。この「ヴィッセン」と「ウィット」両方の言葉は、つまり同じ語源をもつのです。しかし、時代を経る中で意味が変わってきました。現代のドイツ語では「ヴィッツ」(=冗談)(Witz)という言葉が「ウィット」に一番近いといえましょう。「ヴィッセン」は、部分的には「ウィット」に近いですが、「学問」という意味は「ヴィッセン」だけにしかありません。 これらの語の語尾がこの「(抽象的な)〜まとまり」を表すのです。英語とラテン語の
"scien-" (:現在分詞; "scire": 不定詞)
は「ヴィッセン」(wissen:不定詞)と同じ「知る」という意味です。しかしゲルマンの語源ではないため、ドイツ語ではこれに関連する言葉は使われません。 ―ドイツ語の発展と密接に関連するのはルターの聖書翻訳だと昔に習った記憶がありますが、彼の仕事にはドイツ語史の面ではどのような意義があるのでしょうか。 マウツ ルターの時代まで聖書の印刷は14回ありました。最初のドイツ語版の聖書は1398年にプラハで印刷されました。ルターの功績は、一般の人々に読める聖書を編纂したところにあるのです。 ―学問用語としてのドイツ語はルター以降大きく発展していきますよね。 マウツ そうです。17世紀になると、哲学と思想においてシェリング、ライプニッツ、カント、フィヒテ・・・といった具合に、著名な思想家によりドイツ語で書かれた書物が相次いで出版されるようになりました。昔からドイツ語は商売のための言葉ではありませんでしたが、この頃の展開からも分かるようにまさに学問や文化の理解のために不可欠な言葉ではあるのです。
―マウツ先生はどのようなご研究をなさっているのでしょう。 マウツ まずモリトーリスについて話しましょう。彼は、私の故郷であるコンスタンツ出身の弁護士で、司教の法律顧問でした。この人物の書き残したもの(彼の活動は多岐に渡っており、税金対策。魔女対策、1595年のウォルムスの国教会での議事録分析などがあります)を当たって、彼の業績と作品の分析をして博士論文にしたのです。 ―先の神秘思想もご研究のテーマですね。 マウツ そうです。やはりコンスタンツ出身の神秘思想家ゾイゼの写本が残っているためにこれを分析しています。もうひとつの研究は日蓮の『守護国家論』の独訳を予定しております。独訳後、出版の予定です。 ―なぜ、日蓮をテーマにするのでしょうか。 マウツ 中世神秘思想と日本の鎌倉仏教はほぼ同時代の宗教です。私は将来的には密教と神秘思想の比較を通して日本とドイツ(西欧)の思想比較をしてみたいと考えております。日蓮研究もその一環なのです。
―ではマウツ先生、ドイツ史を勉強するドイツ語学科の学生にアドヴァイスをお願いいたします。 マウツ まず第一に専門のドイツ語、とりわけ1年・2年の基礎ドイツ語をきっちり勉強して下さい。これは不可欠です。 京大西洋史辞典編纂会編 『新編西洋史辞典』 京創元社、1993年、 この中でも私は『ドイツ史』(増補改訂版)と『ドイツ史』(増補改訂版)をお勧めいたします。(3巻本の『ドイツ史』も詳しいですが、かなり高価です。) ドイツ語史の分野では、W.Konig, Atlas zur deutschen
Sprache, dtv.Taschenbuch ―ありがとうございました。最後にドイツ語学科の学生に一言お願いします。 マウツ 今まで述べてきたテーマは私の講義やゼミで言及している内容の一部です。この他にも「ドイツやドイツ語の歴史」に関する興味深い議題は沢山あるのです。また私だけでなく、学生の方からも「ドイツ史」に関する疑問やテーマが多々出てきており、それらも随時講義やゼミで扱ったりもしております。 |