現代ドイツの思想を学ぶ意義![]()
粂川 麻里生
1.「私たち」は誰か?
現在ほど、日本国内においても、国際関係においても、世の中の流れが見えにくくなっている時代も珍しいと言えましょう。何か大きな変化が起きていることは誰もが感じていながら、それがどのような変化なのかをつかむことはなかなか難しい状況です。
ましてや、私たちがどのような考え方で生きていけばよいのか、という問いに対しては、今日ほど答えるのが難しい時代はかつてなかったのではないでしょうか。もちろん、個人的な人生の方針のようなものは、つねに自分自身で決めてゆくべきことでしょう。けれども、人間が社会的生活を営む存在である以上、「私たち」という複数形の主語で考えなければならないことも多いはずです。山ごもりでもすれば幸福になれるのなら、その必要はないかもしれませんが、人間はやはり、人と人との交わりの中で、個を超えた何かを感得したときにはじめて幸福を感じる存在でありましょう。
しかし、人間同士の交わり、すなわちコミュニケーションが成立するためには、根本的な価値観や世界観がある程度(当然ながら“ある程度”です)共有される必要があります。たとえ同じ日本語を話していても、世界が2週間後に滅亡すると確信している人や、ミイラを「生きている」と言い張る人を相手にする場合は、通常のコミュケーションが成立しないことを覚悟しなくてはならないでしょう。コミュニケーションの総体としての「社会」は、価値観と世界観、すなわち「思想」を“ある程度”共有する人々によって建設されるものなのです。
さてしかし、私たちは今どのような価値観・世界観を共有しているのでしょうか? この問いには、2つの困難な点があります。第一に、今日においては「私たち」とはいったい誰なのかが、そもそも分からなくなってきているという点です。「私たち」というからには、何かが共有されていなければならないはずです。皆さんは、ここまでこの文章を読んでこられて、「私たち」をどのような集団としてイメージしていましたか? 「人類」? 「日本人」? 「上智大生」? たぶん、「日本人」とイメージした方が一番多かったのではないかと思いますが、その「日本人」という概念にしても、必ずしも確固とした輪郭が与えられていなかったのではないでしょうか。日本社会とはかくかくしかじかの価値観と世界観を共有する人々が構成する社会である、ということを言うことは今や非常に難しいことでしょう。
たしかに、19世紀の後半からごく最近までは、社会の一番基礎的な部分と言うのは、「国家」が担っていました。国家はその成員の自由と独立を保障するために存在するものであり、そういう国家を存続させるためには国民もそれ相応の義務を負わねばならない、というのが、ドイツ語でNationと呼ばれる「国民国家」の要求する考え方でした。とりわけ西欧型の民主主義国家にあっては、国家のためなら最終的には身命さえも賭す、というのは倫理的要請としてほとんど当然のように導かれる結論でさえありました。けれども、今その「国家」の存在が揺らいでいます。
2.国家の揺らぎ ―グローバル化
1989年、ベルリンの壁が崩壊し、それまで共産主義を標榜していた東ヨーロッパの国々の政権が相次いで倒れました。あれから10年、世界はほとんど市場経済一色となり、アメリカを起点とする「グローバリゼーション」の波が地球を覆おうとしています。グローバリゼーションを推進する力は、「マネー(資本)」と「情報」です。かつて共産主義圏の国々では、この2つの力を「国家」によってコントロールして、安定した社会を実現しようとしたのでしたが、試みは失敗に終わりました。国家によって飼いならされた経済はやがて腐敗した怠惰なものとなり、共産主義圏の社会は(総じて)貧しく不活発なものになってゆき、80年代の終わりに限界に達したのでした。
壁崩壊後10年間、「国家」から解放された「マネー」と「情報」は凄まじい勢いで世界中を移動し始めました。さらに、めざましく発展するコンピュータや通信の技術と結びついて、情報の奔流は加速する一方です。その結果、多くの生活手段が、ひとつの国家内にはおさまりきらないものになってきました。いまや誰が貯金をするにも、投資をするにも、ドルでも円でもユーロでも貯蓄したり資産運用したりすることができます。そして、どの通貨を選ぶかで時には得をしたり大損をしたりしますが、それは貯金をする人自身の国籍とは関係のないことです。
また、企業もますます多国籍的な経営が要求されるようになってきました。たしかに、トヨタであれソニーであれ、会社の風土、いわゆる社風にはどこか日本的な部分をおそらくは色濃く残しているはずですが、かといって会社の営利活動が日本という「国家」にしばられているわけにはいかないし、日本の「政府」が彼らをコントロールできる部分も限られています。
経済だけではありません。日本は、軍事戦略は基本的にアメリカ頼みで戦後50年を過ごしてきました。国家を「暴力を正当化された手段で独占する人間集団」と定義したマックス・ヴェーバーの見方なら、ある意味で日本はアメリカの一部ということになるかもしれません。しかし一方、日本には自衛隊というものも存在し、99年に国会を通過した「新ガイドライン」によって、日本国の「周辺」で起きた事態に対しても、アメリカとともに(制限つきではありますが)それなりの軍事行動をとることを要求されることになりました。
また、環境問題や人権問題、経済問題その他の世界的な関心事をめぐって活動を展開するNGO(非政府組織)も、各国政府からは独立した組織ですが、国際会議などでの発言権を急速に強めつつあります。NGOがある意味で国家と対等の力を持つようになるのも時間の問題かもしれません。
このような世界情勢において、「私たち」と1人称複数で呼びうる人間関係は、急速に多層化・多次元化しています。EUの政治経済的統一を急ピッチで推し進めるヨーロッパにおいて、あるいは台湾において、チベットにおいて、東チモールにおいて、また沖縄において、「私たち」という表現の持ちうる意味を想像してみてください。これらの地域では「近代国家」の溶解(しかし、けっして消滅するわけではありません)という今日的な問題が、具体的な現象となって新たな時代を開始しようとしています。
もちろん、諸メディアの急速な発展も、社会の多重構造化を促進しています。皆さんの中にも、近所に住んでいる人々より、インターネット上で知り合った顔も知らない人々の方がシンパシーを感じる、というような人がいることでしょう。満員電車の中で、多くの人々が小さな携帯電話に取りすがるようにして遠隔の人々とコミュニケーションを取り合っている様子は、なんだか切ないほどではありませんか。
そんな現代にあって、共同体としての社会を運営していくことは、まことに難事業といわざるをえません。
3.「自由」との戦い
さて、「私たちは今どのような価値観・世界観を共有しているのでしょうか? 」という問いを問うことには、もうひとつの困難さがあります。ひとつの社会において価値観や世界観を共有するためには、イデオロギーによってあらゆる出来事を解釈するか、歴史を物語として共有することによるか、2通りのやり方しかないのですが、この両方の方法がいまや根本においては無効になりつつあるのです。
イデオロギーとは、たとえばマルクス主義においてなら、「資本主義がその歴史的発展をすべてし終えた時、必然的にプロレタリアート革命が起こり、階級のない社会主義の世界が現出する」というような、あるフィクションを出発点として世界の出来事の意味を解釈する方法のことです。しかし、20世紀終盤において、そのようなイデオロギーに基づく世界解釈で運営された国家のほとんどは破綻を迎えました。いまや、理論的にも、実践面でも、永久に信頼するに足るイデオロギーなど存在しないことが証明されつつあります。
現存する最大のイデオロギー国家はアメリカです。アメリカは15世紀にヨーロッパ人たちの入植が始まり、18世紀には独立した、歴史がないとは言えない国ですが、原住民と闘争することによって国土を確立した経緯、また各文明圏から移民が集まってくる国であるという事情から、全国民が歴史を物語として共有することはきわめて難しい状況にあります。
そこで、アメリカ人がアメリカ人としてまとまるためには、「アメリカは世界で最も自由な国である」という根本的了解が必要とされます。そして、現在のアメリカはさらに進んで「自由は最も価値ある理念であり、アメリカはこれを世界に押し広める使命を帯びている」というイデオロギーによって「国民」としての思想的なまとまりを生み出しています。
しかし、「自由」とは、仮借なき「競争」のことでもあり、多くの「敗者」を生み出すことがあるのも事実です。実際、1980年代のアメリカおよびアメリカにならった西ヨーロッパ諸国には、大量の失業者が出現しました。さらに、深刻の度を深めてきた環境問題も、素朴な「自由」礼賛に冷や水を浴びせるものでした。現在EUのもとに統合を進めているヨーロッパ諸国の多くが、社会主義的与党による政権をいただいているのは、いきすぎた「自由」に対する警戒の念によるものです。
「自由」は20世紀において最終的な勝利を収め、現在もっとも優勢なイデオロギーではありますが、人々が安心して身を委ねられるような福音などではなく、あくまでも相対的な思考法に過ぎません。「自由」の背後に潜む弊害を克服するような価値観の創出こそ、次の時代の最大の思想的課題のひとつと言えるでしょう。
4.「開かれた物語」の獲得へ
一方、ヨーロッパ諸国や日本のような、歴史や伝統を共有する民族単位でまとまった国は、イデオロギーではなく、数百年あるいは数千年来の歴史を「国民の物語」として共有することで、基本的な世界観や価値観を作り上げていることが多いのです。そこでは、日常の無数の出来事の連鎖というカオスの中から「国民の物語」をつむぎ出すためにも、ある超越的な視点が必要になります。
しかし、この「視点」は超越的という意味ではイデオロギーと等しいものであり、実際にはやはり相対的な思考法に過ぎません。しかも、公に語られる歴史の「視点」は、政治的闘争の「勝者」の視点であることを完全には免れ得ません。それは一国内においても、国際関係においてもそうなのです。後に述べるように、日本において現在語られている歴史は、第二次大戦後の占領軍によって強制された思想によって、きわめて重要かつ基本的な点において歪み、ねじれたものになっています。
けれども、歴史を映す鏡がどこかに歪みをきたしているのは、日本に限ったことではありません。とりわけ、ヨーロッパや中央アジアのように、古来さまざまな民族が入り乱れて生活を営んできた地域においては、2つの世界大戦の「結論」として国境が確定された「近代国家」以前の記憶が今も生々しく残っています。このような地方では、個々の民族の独立したアイデンティティ−を前提とした近代国家による社会運営は、どこかに無理があったのです(ヨーロッパには、ユダヤ人やジプシーのような、独自の方法で存続してきた民族もいます)。血で血を洗うようなコソボ紛争は、その「近代以前」がもっとも不幸な形で現象化した事件と言えますし、人や資本の往来を自由化するEUの実験は、この近代国家の「無理」を克服しようという試みと見ることもできます。
日本もそうですが、幸か不幸か自らの歴史や伝統を意識せざるを得ない社会においては、歴史記述という哲学的難問と取り組みつつも、外部(あるいは内部)に存在する他の社会との可能な限り平和な共存を可能にする「物語」を見出していく必要があります。それは、構築された建築のような物語ではなく、外部に開かれていながら自立性を失わない、いわば生命体のような物語ということになるでしょう。そのような、生命感のある物語こそ、多次元的な構造の世界に生きる現代人に、「私たち」を語る術を与えてくれるはずです。
5.「戦後」の克服 ―新たなる次元のために
以上に述べてきたような極めて複雑でしかも激動する世界情勢の中で、「私たち」は人生を生きるに値するものにしていかなくてはなりません。そのために、ドイツのことを、またヨーロッパのことを、思想の問題として研究してゆくことには重要な意味があると思います。それにも、いくつかの理由があります。日本とドイツは、近代国家としてきわめて重要な運命を共有している上、また別の面では非常に異なってもいるからです。
共有されている運命というのは、20世紀前半の植民地獲得競争に「後発組」として参加し、ひきつづいて起こった2つの世界大戦の結果、「敗戦国」として国際社会の中の位置付けが決まった、ということです。異なっている点というのは、日本が歴史を通じて島国としてかなり孤立した文明と社会の形成をしてきたのに対し、ドイツの歴史は大陸国としてつねに多くの異民族との接触の中にあり、今またEUというきわめてユニークな国家共同体の中に重要なメンバーとして参加しようとしている、ということです。
第二次世界大戦およびその戦後処理問題は、それまでのどの戦争とも異なり、思想的にきわめて重大な意味を持つ事件でした。それまで戦争といえば、クラウゼヴィッツが言ったように外交の延長線上にある政治手段のひとつであり、敗れた国は領土を失い、賠償金を払う、という決着のつき方でした。それが、先の戦争においては、史上初めて戦勝国による裁判が開かれ、敗戦国を裁くということが行われました。史上初めて、戦争で勝った側には正義があり、敗れた側は悪である、という決着となったのです。あの戦争は、民主主義をかかげる正義の陣営と、全体主義に冒された悪の陣営の戦いであり、正義が勝った、という意味が与えられたのです。ナチス・ドイツがユダヤ人の殲滅政策という悪魔のようなプランを国家の政策として遂行していたことが明るみになるにつれ、この「判決」はある種の説得力を増してゆきました。
しかしここには、「正義」と「民主主義」の戦勝国による独り占めという、虚偽をはらんだ構図があることも否定できません。
日本軍が南京で中国人市民を虐殺したこと(どれくらいの規模で行なわれたのかは、可能な限り正確に明らかにしなくてはなりません)も、アメリカ軍が東京で11万人の一般市民を虐殺したことも、どちらも「人道上」はけして許されない罪です。しかし、国際政治の力学の中では、日本だけが「有罪」とされ、米軍による大空襲や原爆投下は、「戦争を早く終わらせるために仕方がなかった」ということになりました。その結果、日本では戦死した兵士たちに弔意を表することすら、「近隣諸国を刺激し、民主主義を踏みにじる行為」と非難されるようになりました。しかし、単純にこの状況を嘆いたり、非難したりするのは、あまりに素朴な発想でしょう。ここではひとまず、国際社会における「倫理」とはそのようにして決まる、と踏まえねばなりません。
このような妙なことが起こるようになった背景には、2つの苛烈な大戦を通して、国際社会が「戦争はそもそも悪である」という気分を抱くようになったということがあります(戦争は歴史上つねに「悪」と見なされていたわけではありません)。戦争が単なる手段に過ぎず、善でも悪でもなかった頃は、戦争行為に対する思想的な説明は要りませんでした。しかし、第二次大戦を境として、以後、ベトナム戦争であれ、湾岸戦争であれ、コソボ空爆であれ、「人権と民主主義の擁護のためやむを得ぬ」という理由が必要となったのです。
(たとえば、「サダム・フセインは本当に悪魔のような独裁者なのか? 」と疑ってみることも必要かもしれません。毒ガスなどの強力な武器を持っている権力者は、彼だけではありません。イラク軍のクェート侵攻を「悪魔的行為」と非難する人は、少なくとも、クェートという国が同地の豊かな石油埋蔵量に目をつけたイギリスにより、1914年に突如作られた委任統治領であったこと(1961年独立)を考えにいれておかねばならないでしょう。クルド人問題等に目をつぶり、ことさらにフセインを支持するとしたらそれこそ奇妙で危険なことでしょうが、彼やミロシェビッチを「悪魔」と呼ぶ人々の多くは、広島の原爆を「虐殺」とは呼ばない人々でもあることを忘れてもいけないでしょう。)
現在の日本とドイツは、そのような徹底した「思想戦」が人類史上に初めて登場した時期を背景に、国家の再建をスタートさせました。したがって、その内面に思想的な矛盾を多く抱えています。なによりも、現在の社会において最も尊重すべき価値とされる、「平和」、「民主主義」、「自由」といった理念が、自分たちの歴史を断罪し、父祖が戦場で死んでいったことの意味を否定することによってもたらされたことは、大きな悲劇でしょう。たしかに、平和ほど尊いものはないでしょう。それならなおのこと、その平和を守ろうとする「私たち」の決意の背景には、記憶喪失や自己欺瞞があっていいはずはありません。私たちの「平和」や「自由」は、原爆によって「押し付けられた」ものにとどまっているのであり、私たちはまだ、それらを本当には選びとってはいないのです。けれども、真に自分たち自身による思考がない限り、そこには本当の意味での「謝罪」も「和解」もありえないし、ましてや未来を切り開くことなどできないはずです。
さらに大きな問題は、自分たちの過去を否定する形で始まったこの社会の思想構造が自分たちにどのような影響を及ぼすかが、今まではごく限られた人々によってしか考察されてこなかったことです。すでに述べてきたように、内外の社会構造は急激に多層化し、新しい時代が始まっています。この始まりに際して、これまでの社会運営の方法を継続するにせよ、変更するにせよ、「私たち」の世界観と価値観を出発点として決定できるような思想状況を作る必要があるのではないでしょうか。さもなければ、日本社会に生きる人々は共有すべき価値観を見失い、内面から崩れていくかもしれません(すでにその兆候は見えているのではないでしょうか)。
歴史を克服し、新たな歴史を作って行くためにこそ、近代において同じ道を肩を並べて歩き、今ではまったく別の状況に踏み入っていこうとしているドイツ語圏の人々の思想を知る意味があると思われます。そこには、歴史哲学、言語哲学、宗教、社会批判、心理学、メディア論など、さまざまな領域からの興味深い問いかけや解答の試みが提出されています。皆さんも、それぞれの関心の持ち方に応じて、自分なりのアプローチで研究を始めていただければよいでしょう。思想の問いは、しばしば終着駅のない旅ですが、自分の生活感情や問題意識に立脚していれば、道の途上でさまざまな収穫をえることができるはずです。
関連図書
☆ウィトゲンシュタイン・セレクション(平凡社ライブラリ− ):ル−トヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/黒田亘訳(平凡社 2000)
☆啓蒙の弁証法
哲学的断想:マックス・ホルクハイマ−/テ−オド−ル・ヴィ−ゼングルント・アドルノ(岩波書店
1990)
☆ドイツ悲劇の根源(ちくま学芸文庫 )
上・下:ヴァルタ−・ベンヤミン/浅井健二郎訳(筑摩書房
1999)
☆根源の彼方にグラマトロジ−について 上・下 : ジャック・デリダ/足立和浩訳(現代思潮新社) 1972
☆敗戦後論:加藤典洋 (講談社 1997)
☆戦争の記憶 日本人とドイツ人:イアン・ブルマ /石井信平訳 (TBSブリタニカ 1994)