文学・思想史![]()
粂川麻里生 先生
――粂川先生は、ドイツ語学科では「ドイツ思想研究」という科目を担当していらっしゃいますが、そもそもは「文学」がご専門なんですか?
粂川:「難しいご質問です(笑い)。私はたしかに大学は文学部独文科でした。ドイツ語で自分の仕事を紹介する時は「Ich bin Germanist.」と言います。「ドイツ文学者」ですね。Philosoph(哲学者)じゃありません。ただ、これまでに発表した論文は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインについてのものが最も多く、その次に多いのが、ヴァルター・ベンヤミンについてです。」
――ヴィトゲンシュタインは哲学者ですね。まあ、哲学をこの世からなくそうとした「哲学者」。ベンヤミンは……、何でしょう。
粂川:「批評家、エッセイスト、哲学者、作家……、とてもひとつの名詞では現わせませんね。彼の友人だった高名な女性政治学者ハンナ・アーレントは一寸迷って「文人」と言い表しています。
ヴィトゲンシュタインとベンヤミンに共通する点があるんです。それは、「言語」というものについて非常に多角的に考えることで、彼らの思想活動の基礎を作っていったということです。私が彼らについて書くことが多いのも、「言語哲学Sprachphilosophie」が私のメインテーマのひとつだからです。」
――言語哲学というのは、どういう哲学と考えればよいのでしょう。
粂川:「言語哲学と呼ばれる思想的営みにも、じつに様々なものがありますが、いちおう「言語について考えることを出発点として、哲学上の様々な問題に取り組もうとする作業」と言えるのではないでしょうか。たとえば「言語とは何か? 」と問うてみましょう。言語は、音声でしょうか? 文字でしょうか? でも、手話だって、立派な自然言語ですね。とにかく、何か「意味」を伝えるものと言えるでしょうか。では、「記号」は言語でしょうか? たぶんちょっと違う。記号は、「何かの記号」ですね。ハートは、「愛」の記号。×は「だめ」の記号というふうに、記号はその意味をい言うことができます。じゃあ、「愛」、あるいは「だめ」という語の意味は? ……たぶん、言語というのは人間にとって「記号」よりももっと複雑で、もっと根源的なものです。言語は、「記号」のように見えることもあるけれど、それだけじゃない。「制度」という側面もあるけれど、そればっかりでもない。「習慣」? ちょっと違う。「言語とは何か」という問いに、最終的な答えを与えることはたぶんできないでしょうが、でも、こう問うてみるだけで、いろいろなことを考えるための多くの重要なヒントが与えられます。他にもいろいろ面白い問いをたてることができます。「言語の意味とは何か? 」、「言語は人間が生み出した“制度”なのか? それとも先天的な“能力”なのか? 」、「“話す”、“聞く”、“書く”、“読む”とは、それぞれどのような営みか? 」。いずれも難問ですが、これらの問いは、人間や社会のことを考えるときに深く関わってくる問いです。人間の営みで、言語と無関係のものというのはほとんどありえないんですから。
――言語活動として見つめると、文学と哲学は、同じ次元に属することになりそうですね。
粂川:「そうですね。もちろん、文学と哲学の違いも無視してはいけませんが、どちらも言語を用いた営みであり、さまざまな比喩が交錯し合う「テキスト」であったり「言説」であったりする点では共通していますね。フランスの哲学者ジャック・デリダも、エクリチュール(écriture)、ドイツ語では
Schrift
ですが、つまり「書く」という行為について緻密な考察を行なうことで、哲学を文学と同じ次元でとらえようとしました。そうなると、構築された概念の体系のように思われていた哲学が、文学のテキストと同じように、解釈に対して開かれたものとなります。その解釈は、無色透明のものではないわけで、様々な意図ですとか、権力関係などが影響を与えてきます。そう考えると、あらゆるテキストや言説が詩的なものであると同時に政治的なものとして見えてきます。
20世紀後半以降は、言語と政治の関係にも新たな形で関心が寄せられるようになりました。政治思想とだって、密接な関係があります。ドイツの詩人ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーも言っていますが、文学を創造することが、言語を新しい方法や独自のやり方で用いることであるとすれば、それはその言語を用いて動いている社会のしくみにも影響を及ぼすことになります。非常に個人的な感情を歌った抒情詩であってもです。政治家になったり、選挙をしたり、デモや書名活動をしたりするだけが政治的な行為ではありません。たったひとつの単語を、それまでとは違う意味で用いた時、社会システムは多少なりとも変わった、ということになります。」
――その意味では、言語を学ぶことを通して、社会、文化、思想などにアプローチして行こうという外国語学部というのは、すぐれて現代的な面もありますね。
粂川:「多少手前味噌ですが、まあそう言えないこともないでしょう。とりわけ、第二次世界大戦の敗戦によって現在の国家の枠組みが決定された国として、日本人がドイツの思想を様々な面から研究し、自国の思想的状況を移す鏡とすることは大きな意味があることだと思います。以下、私がインターネットにも載せている文章もご参照ください。
続く