ドイツの政治 河崎 健
1. ドイツの政治を勉強することの意味
―ドイツ語学科には「ドイツ政治研究」という科目がありますが、いったい何でドイツの政治なんて勉強するのでしょうか。
河崎―まず第一に、ドイツ語学科に入ったのだから、ドイツ語だけでなく広くドイツ事情を知りたいという純粋な知的好奇心によるものがあるでしょう。
―でも、私、政治なんて興味ないんですよね。日本の政治だって、最近は小泉首相や田中真紀子外相や、それから自民党のムネオ・・・鈴木宗男議員で盛り上がっているから、何となくテレビを見たりするけど、本当のところ、いったい何が問題で、どうしたら良くなるかなんてよく判りませんものね。
河崎―それは、きっと多くの人が思っていることでしょう。マスコミが面白おかしく報道するから、関心は高まるけれど、肝心の政治そのものは判りづらいですよね。
―自分の国の政治ですらこの程度ですから、ましてやドイツの政治なんて・・・どうでもよくありません?
河崎―ハハハ。そうですね。まあ、どうでもいいと言われたらそれまでですよね。確かにドイツの政治や政治学という学問分野は、例えば哲学や心理学などとはちょっと違いますものね。
―そうですかね。
河崎―私が思うに、哲学や心理学では、例えば自分という存在、自分と他人の関係といったことがテーマになるでしょう。もう少し砕いていえば、例えば、あの子は俺のことどう思っているのだろう、とか、私はどうして人間関係を上手くこなせないのだろう、といった類の悩みは誰にでもある訳で、哲学や心理学、あるいは文学なんかは、場合によってはこういった問題を考えるヒントを与えてくれるのかも知れません。
―政治学は、恋愛相談には向きませんものね。
河崎―政治学だって、権力とか正当性といった概念を使う学問ですから、我々の日常と全く無縁な学問ではないのですよ。でも政治学では、国家とか地方自治体、あるいは国際機関や国際社会といった公的な制度・機関との関係で政治現象を考察するのが基本なのです。
―そうすると、まずは政治というものにある程度関心がないと始まらない訳ですね。
河崎―そう思います。でも、あなたが先ほどおっしゃったように、小泉首相にしろ田中真紀子にしろ、例え面白おかしくであっても政治家や政治のシーンがマスコミを通して我々の日常に入り込んでくることは、決して珍しいことではないはずです。そして、そういった報道がきっかけになって、政治の仕組みや考え方を知りたいという気持ちは、皆それなりにあるでしょう。
―まあ、本当のところはどうなんだ?という疑問はありますよね。
河崎―多くの人もそんな感じでしょう。もちろん、政治学を勉強したからって、その「本当のところ」がたちどころにわかる訳ではありませんし、ましてやどうしたら政治が良くなるのか、なんて処方箋のようなものがたちどころに判るはずもありません。実際、永田町(国会があるところです。政治家の世界といった意味でしょうか)の裏側なんて一般の人にはうかがいしれませんものね。
―まあそうでしょうね。心理学を勉強したらもてるようになった、なんて話は聞きませんものね。
河崎―ハハハ。でも政治学を勉強すれば、少なくとも何が問題になっているのか、あるいは何を問題にすべきかといったことが見えてくるかもしれないのです。それは必ずしも日々の新聞やテレビで報道される内容とは限りません。
―はあ、そんなもんですかね。でもだったら何でドイツの政治なんです?日本の政治を勉強した方が面白いじゃないですか。私、ドイツの政治なんて、首相がシュレーダーって名前ぐらいしか知らないし。
河崎―それを知っているだけでも上出来ですよ。
確かにあなたのおっしゃるように、日本の政治を勉強した方が、日本人には面白いかもしれません。でもだからといって外国の政治を勉強したり研究したりすることが無意味とはいえないのです。外国政治を勉強することは、始めにいったように、純粋な知的好奇心による場合もありますが、それだけではありません。自分の国の政治について議論すべき問題点を浮き彫りにしてくれる場合もあるのです。
―はあ・・・
河崎―ひとつ例を出してみましょう。日本とドイツの選挙制度の話です。
―はあ、私まだ選挙権ないんですけど。日本の選挙制度ってよく分かりません。
河崎―選挙制度って難しいけれど、面白いんですよ。何が面白いかというと、例えば、投票行動が同じでもどういう仕組みを採用するかによって、結果が変わってくることがあるんです。ですから、選挙制度を決めたり、改正したりするという議論は白熱する訳です。日本も例外ではなく、衆議院議員選挙が1996年、新たな制度によって実施されました。いわゆる「小選挙区比例代表並立制」という選挙制度です。
この新制度を考案する際に、ひとつの見本になったのが、ドイツの連邦議会(日本の衆議院に当たる)の選挙制度なのです。詳細は省きますが、このドイツの選挙制度は小選挙区の要素も加味した比例代表制で、・・・
―ちょっとまって下さい。小選挙区制とか比例代表制ってどういう仕組みですか。
河崎―簡単に言いますとこうです。
(HP上の図が入ります。)
河崎―ドイツの話に戻りましょう。ドイツの選挙制度は小選挙区の要素も加味した比例代表制で、全体の議席配分は政党に対して投票された票を比例配分して決め、各党に配分された議席から、全国の小選挙区で当選した人に優先的に議席を与えていくのです。簡単な例を挙げましょう。ある政党Aに比例代表区から計20議席与えられ、同時にその政党の候補者が14の選挙区で勝ったとしましょう。すると比例の20のうち、14をその小選挙区当選者へ、残りの6議席を比例代表区の名簿の上から順に6名に与える、という仕組みになっています。このような仕組みを日本では「併用制」と呼んでいます。
これに対して、日本では全500議席のうち、300を比例代表区の議席、残りの200を小選挙区議席と、両方を分けて配分しております。これが「並立制」といわれる仕組みです。
これを簡単に図示すると、上記のようになります。
このように小選挙区制と比例代表制を組み合わせたという点で同じ制度でも、中身は随分と違います。これ以外でも日独の違いはいわゆる重複立候補への評価にも見られます。重複立候補とは、小選挙区で立候補すると同時に比例区の登録名簿にも名前を記載されている候補者のことです。日本では選挙の後にこの重複立候補が問題になりました。というのは小選挙区で個人の名で立候補して落選した人が、政党の名簿の上位に登録されていたおかげで復活当選できるケースが目立ったからです。これについては、曰く、「候補者を落選させることができることこそデモクラシー(民主制)だ。」、「政党の名簿で復活当選するようでは、落選を選んだ民意が無視される」等々の批判が続出しました。
―そうですよね。昨今の汚職疑惑のある政治家が、比例で復活当選して、平然と「みそぎは済んだ。」って言っているのを見ると腹がたちますものね。
河崎―このような重複立候補者はドイツにも沢山います。もっともドイツでは、あまり批判の声は聞こえてきません。が、実際には重複立候補者も含めて、少なくとも2/3以上の候補の当選が事前に確定しているとさえ主張する論者もいます。本番の選挙が実施される前に既に当落の予想がかなりはっきりしているのです。
―へえ、じゃあ、何か当選をあらかじめ保障しているみたいですね。何か変だなあ。
河崎―そう。落とすデモクラシーか、当選を保障するデモクラシーか。これが問題です。このことをもう少し別の視点から見るとこうなります。選挙民の意志が十分に反映され、その議員に対する批判的な意見が大半を占める場合はすぐに落選させるべきなのか。それとも少々のことには目をつぶって、国政を担うことを目的に、例えば官僚の言いなりにはならず、また次の選挙を心配するあまりに利益集団からの献金を当てにしすぎたりしないような政策知識と実行力をもった政治家になってもらうことを願うべきか。
この議論を聞くと一見、前者の議論の方が正解に近いと思えますが、必ずしもそうとはいえません。議員だって人間です。落選すれば失業する人が沢山いるのです。失業してもすぐに新たな職が見つかればいいでしょう。でも日本の多くの企業のように終身雇用制・年功序列制度をとっている場合には、落選した人が例えばすぐさま会社員になれる可能性は低いです。
加えて日本はドイツと比べると国政選挙間の間隔が平均的に短いのです。すると、落選して失業することを恐れる政治家はいきおい選挙のことばかり考えがちになります。と同時に政治家に立候補できる人は、落選してもご飯の食べられなくなる心配のない人、例えばお金のある人、あるいは有名人、お父さんの地盤を引き継いだ人などに限定されてくるでしょう。
つまり、我々普通の人が政治家になれる可能性は非常に低いのです。こう考えると、当選した政治家の生活をある程度保障すること、当選の保障をある程度してあげることは、幅広い人材を政治の世界へリクルートする上で必要なことのようにも思えてきます。もちろんだからといって簡単に当選の保障をしてしまっては、
例えば汚職をした政治家を落選させることもできなくなる訳ですから問題はあります。いずれにせよ、選挙制度の問題は社会経済的な条件とも密接に絡んでくることが分かるでしょう。
―なるほど。確かに、もしうちのお父さんが選挙に立候補するなんて言い出したら、家族中で止めますものね。
河崎―結局、この二つの相矛盾する問題−いつでも落選させられる制度と当選の保障をある程度してあげる制度−を両立できる正解は簡単には見つかりそうにありません。
でも実際の制度においてはどこかで折り合いを見つけなくてはならないのです。そこでドイツでは選挙に立つ候補者を決める段階で各政党の中で十分に議論をして、政治家としてふさわしい人を候補者にしようという工夫をしています。各政党の地域本部や州本部で選挙に出馬する候補者を絞った段階、
比例区だったら名簿の順位を決める時に必ず党員の秘密投票にかけて決定することになっております。本番の選挙に出る前の段階で候補者を民主的に決定する、
このことで本番の選挙で当選がある程度保障される難点(とばかりいえませんが)をカバーしているとも考えられるのです。もちろんこのやり方にも批判はあります。例えば、候補者を決める段階が重要だといっても、そこで投票権をもつのは普通はその党の党員(もしくは党内の代議員)だけです。一般有権者には候補者を決める権利はありません。すると本番の選挙はどうなるのか。本番の選挙で落選させる可能性が低い場合、その選挙に何の意味があるのか。こういった問題は常につきまとうし、
実際ドイツにおいて候補者擁立を巡っては議論の対象になります。
でも前述のように、完全な制度を作ることはなかなか難しいのです。といっても実際の制度面ではそうもいっていられないので、各国は各国なりにどこかで妥協点を見つけて制度を運用しているのではないのでしょうか。その一例として、ドイツでは候補者を擁立する段階でできるだけ民主的決定を導入しようとしているのです。
このように、ドイツの政治を勉強することは我々の日本の政治の課題を考える一つの契機になること、と同時に政治現象が抱えている原理的な問題を見つけるきっかけになることがあるのです。
2. ドイツの政治は何の役に立つのか。
―なるほど、よく分かりました。
でもそんなことを知っていったい何の役に立つんですか。
河崎―それも難しい問題ですよね。例えば大学卒業後の就職について考えてみましょう。 普通の会社に入ったからといってドイツの政治があまり役に立つとは思えません。ドイツ系の会社に入れば少しは役立つかもしれませんが、法律や経済の知識を方が有用でしょう。そもそも「政治」を勉強することは、どれだけ役に立つのでしょうか。
―ほとんと役に立ちませんよ、きっと。
河崎―そうですね。実はこれは政治学(あるいは他の学問分野にもあるかもしれませんが)全般にわたる問題なのです。政治学や政治学者の役割、これについては専門の研究者の間でも決して一致してはいないようです。
1993年の政権交代、自民党単独政権が終わった時ですが、この頃、 「政治改革」を旗印に現実の政治に積極的に関与した政治学者たちがいました。彼らは政治に関して具体的なビジョンを提示して、「改革」に積極的に携わろうと考えたようです。
他方で、このような現実政治への積極的な関わりに批判的な学者も存在します。政治学者の役割は具体的な政策を提言するよりも、政治的現象の奥にあるその原理を指摘すること、「改革」へのビジョンよりも、まず現実の政治現象の分析をすることを優先するべきだと考えているようです。そして現実政治へのコミットメントには禁欲的です(朝日新聞、1994年1月10日)
。
具体的な提言か、それとも政治の分析・原理の究明か。そのどちらがよいのか。このように政治学・政治学者の役割については専門の研究者の間でも依然として議論になるテーマなのです。
―専門家の間ですら意見が分かれていたら、我々大学生にとってはなおさら難しい問題でしょう。
河崎―おっしゃるとおりです。専門家でさえ論争しているのですから、大学生が勉強する政治や政治学、ましてや外国の政治の勉強がどれだけ役に立つかは分かりません。たしかに政治学やドイツの政治を社会生活・職業活動に役立たせる機会はあまり沢山はないかもしれません。
でも、実際に役に立つ−それはそれに越したことはないのかもしれませんが−以外にも勉強をする意味はあると思います。
そのひとつは上で述べたように、外国(ドイツ)の政治を観察することで、日本の政治の問題点、日本の政治制度の長所・短所、あるいはマスコミで取り上げられている議論の重要な部分、そうでない部分そして政治のもつ原理的問題等があなたなりに見えてくるかもしれないということです。あるいは、勉強をしていく中で皆さん自身がそれぞれに政治学を勉強する意義を見いだしていくかもしれません。皆さんのこれからの大学生活において、
ドイツの政治や政治学についてゆっくり考える時間があってもよいのではないでしょうか。
―そうですね。パソコンや簿記検定じゃないんだから、あまり即物的に役立つ・役立たないという議論も不毛ですよね。
3. ドイツ語学科で勉強できる「ドイツの政治」関連の科目
―ドイツ語学科では、ドイツ政治関連でどんな勉強ができるのでしょうか。
河崎―今年度、上智大学外国語学部ドイツ語学科では、政治関係の科目は 「ドイツ政治研究」 という講義(前期)・ゼミ(後期)と、 「ドイツ政治ゼミナール」という講座を開いております。他の社会科学関係では「ドイツ法ゼミナール」、「ドイツ語経済原書講読」、「ドイツ社会研究」、「EU研究」といった講座があります。
言葉の勉強と平行して、その国の社会事情等を学ぶことは有意義だと我々は考えております。その国の様々な特徴を知ることが、言葉の学習にも役立つだろうし、日本を知る大きな助けにもなることでしょう。
―「ドイツの政治」はどんな内容なんですか。
河崎―私が担当する「ドイツ政治研究」では、講義内容としては、ドイツの政治制度を扱います。具体的には、上で述べた選挙制度や政治家のリクルートメントの話、それから議会や官僚制、圧力団体(利益集団)といったテーマを扱います。
―日本との比較はしないんですか。
河崎―そんなことはないです。年度によっては、日独比較をしたり、先進国(とりわけイギリスやフランス、イタリアなど)との比較に重点を置いたりしております。
また制度の話だけでなく、ドイツの政治史、とくに現在のドイツ連邦共和国の歴史をテーマにする時もあります。
これ以外にもドイツの外交政策など、随時新しいテーマを扱う予定です。
―後期のゼミはどんな内容なのでしょうか。
河崎―ゼミでは基本的に、参加する学生に1回のゼミ発表とレポート提出を求めています。
テーマとしては、例えば、現代ドイツの諸問題というのがあります。ここでは環境・女性・社会福祉などを扱います。またヒトラーとナチス、第三帝国の問題も随時扱います。具体的なトピックとしては、ワイマール共和国の政治史、ナチ党の特質、ヒトラーという人物、第三帝国の権力構造などです。
ゼミの方も今後、随時新しいテーマを扱う予定です。
―最後に、「ドイツの政治」を勉強するのに最適な本を紹介していただけますか。
河崎―はい。全般的にいって、「ドイツの政治」が十全に分かるような優れた書物は日本語ではほとんど読めません。いかに紹介する本はそのような中で広く読まれているものです。
大西健夫編 『ドイツの政治』 早稲田大学出版部、1992年。
これはドイツの政治制度についての基本をまとめた本。議会、政府を始め、政党や連邦制などを教科書的にコンパクトにまとめています。 同シリーズではイギリスやフランスなど国の政治を扱ったものもあります。
平島健司 『ドイツ現代政治』 東大出版会、1994年。
この本は戦後からのドイツ連邦共和国の政治史をさまざまな分野について詳述したもので、専門の研究成果も網羅してあります。
D.マーシュ/高野孟訳 『新しいドイツ』 共同通信社、1991年。
筆者はイギリス人のジャーナリスト。統一ドイツのみならず、長年ドイツで議論されてきた様々なテーマを扱っており、読んでいて面白い内容です。
雪山伸一 『ドイツ統一』 朝日新聞社、1993年。 日本人の特派員がドイツ統一時に自らの体験を中心に記した書物。 ドイツが統一して早、十年以上が立ちますが、現在でも当時に状況への関心は高いです。これは1989/90年の一連の統一のプロセスを知るのに便利な本です。
事典 『現代のドイツ』 大修館書店、1998年。 ドイツの現在を知るのに最適な事典。政治・経済かつ文学・芸術まで広い分野が網羅してあります。インターネットによるドイツ情報検索ガイドもあります。
走尾正敬『ドイツ再生とEU』1999年、勁草書房。1998年のシュレーダー現政権誕生後の政策面での新動向を追ったジャーナリスティックな本です。
ドイツ語では、
Rudzio,W. Das politische System in der Bundesrepublik Deutschland, 5.Aufl.
Opladen, 2000.
がドイツの大学でも使われているドイツ政治の教科書として最適です。
またドイツ語版「現代用語の基礎知識」としては、
Aktuell 2002, Harenberg,2001.
(洋書購入については、図書館と書店の項を参照して下さい)
この他にも、テーマによっては優れた著作・論文が沢山あります。興味がある人は私のところまでいらして下さい。
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