ヨーロッパ研究
河崎 健
1.ヨーロッパとは何か
―ドイツ語学科にはヨーロッパ研究、EU研究といった科目がありますが、いったいヨーロッパとはどの国のことを指すのでしょうか。
河崎:「ヨーロッパという地域を明確に境界づけることはなかなか難しいです。歴史的に見てもヨーロッパは変化していますしね。現在のヨーロッパを見ても、どこまでがヨーロッパなのかということはそう簡単には言えません。例えば、ロシアの領土はどこまでがヨーロッパなのでしょうか。ウラル山脈以西という意見がありますが、それで皆が一致している訳ではありません。」
―トルコをヨーロッパと見るべきかどうかも賛否両論ありますしね。
河崎:「そうですね。トルコはEUの将来の加盟国として認知されていますが、イスラム国家という特徴からヨーロッパとは異質であるという主張があるのも事実です。」
―それと、ヨーロッパといわれる地域の内部も多様でしょう。
河崎:「つい十数年前までは東西冷戦下でヨーロッパは東と西に分かれていましたよね。ポスト冷戦期においてもその溝が完全に埋まったとはまだいえないでしょう。南北で見ても、イギリスや北欧諸国と大陸ヨーロッパの相違は少なくないと言われるし、同じ大陸でもドイツを中心にするゲルマン地域と、地中海沿岸のロマン語地域では歴史的展開も文化的特徴も異なります。」
2.統合と分裂の歴史
―でもそうやって外延も曖昧で、内部にも多種多様な要素を内包しているヨーロッパがどうして統合へと向かえたのでしょうか。
河崎:「ヨーロッパの統合への試みは紆余曲折です。むしろ統合と分裂の繰り返しといった方がいいのではないでしょうか。歴史的に見れば、まず政治と宗教の問題があります。中世においては、キリスト教の教義を巡って「正統」と「異端」の争いが激しさを増しました。また十字軍に見られるように、キリスト教以外の宗教〜とりわけイスラム教〜との対立・共存関係も大きな問題です。」
―ヨーロッパとイスラム教との関係は現在もアクチュアルですよね。
河崎:「そうです。例えばドイツ国内にはトルコ人の第ニ世代・第三世代が数多く居住しています。イスラム教とヨーロッパの共存関係はこれまで以上に切実な問題になってきたともいえるでしょう。」
―宗教面での統合と分裂といえば、カトリックとプロテスタントの関係もありますしね。
河崎:「1618年からの三十年戦争はカトリックとプロテスタントの宗教戦争に端を発した初めてのヨーロッパ国際戦争でした。宗教対立がヨーロッパの分裂のきっかけとなったのです。ただし、戦争終結後の1648年に締結されたウエストファリア条約では、カトリックとプロテスタントの宗派間で共存共栄を図っていくという企図がなされました。これは「友好的妥協」とも呼ばれ、諸宗派間で神聖ローマ帝国内でのポストや権限を比例的に配分していこうという制度装置が整備されてきたのです。大陸ヨーロッパ、とりわけオーストリア、スイスなどの小国にはまだその伝統が残っているとも指摘されます。」
―宗教面では対立を乗り越えて統合の方向に進んだ訳ですね。
河崎:「そうです。もちろんその後も宗派間での対立関係は続くのですが、克服のための努力も実を結んできたのです。」
―18世紀末のフランス革命やナポレオン登場の頃には次第に国民国家が整備されてきました。
河崎:「宗教対立が緩和し、19世紀・20世紀には国民国家が次々に生まれてきました。それと同時にヨーロッパ域内の国家間の戦争も激化してきましたね。21世紀になり、国民国家を相対化するような傾向にありますが、依然として対立の歴史は続いているといえるでしょう。」
3.ヨーロッパ統合の歴史
―20世紀に入ってからヨーロッパの統合が大きく進展したのはどうしてでしょうか。
河崎:「ヨーロッパを一つにしようという動きは、第二次世界大戦以前にもありました。でもヨーロッパの人々が本格的に統合を考えるようになったのは、大戦後のことでしょう。戦争の災禍を二度と繰り返すまいという思い、とりわけ長年の宿敵であったドイツ(西ドイツ)とフランスとの和解への意志がヨーロッパ統合を大きく前進させたのです。」
―フランス人はそんなに簡単に和解しようなんて考えたのでしょうか。だってヒトラーにパリまで占領されてしまったのでしょう。
河崎:「そうでしょうね。ドイツを分割占領した西側三ケ国(アメリカ、イギリス、フランス)の中でもフランスはとりわけドイツの復活に懸念を抱いていました。しかし戦勝国の中でも戦争による疲弊が甚だしかったフランスは、国内の経済復興のためにドイツの経済力を必要としたのです。」
―どういうことですか。
河崎:「ドイツ領土内のルール工業地帯。この地域はフランスからも近いラインラント地方に隣接しておりますが、このルールの石炭や鉄鉱がフランスの産業復興には不可欠であったのです。第一次大戦後のようにルールを国際共同管理下に置き続けるという案もありましたが、朝鮮戦争に始まる東西冷戦の激化から西ドイツを国家として認知し、再軍備する必要性が出てきました。フランスとしては、西ドイツの国内化してしまうルールへの影響力をどう保持するかが大きな課題となったのです。」
―なるほど。1951年の欧州石炭鉄鋼共同体の誕生は、フランスの国益に則っていた訳ですね。
河崎:「もちろんフランスだけではありません。敗戦した上に東西分裂してしまった西ドイツ(ドイツ連邦共和国)も経済復興、国際社会復帰、安全保障等々の面からも西ヨーロッパ、とりわけフランスとの協調関係は不可欠と考えていたし、当時はまだ経済力に乏しかった敗戦国イタリアや、統合によって国力以上の代表を送れる小国(ベネルックス三国)にとっても石炭鉄鋼共同体は、それなりにメリットがあったというわけです。
―石炭鉄鋼共同体の後もヨーロッパ原子力共同体、ヨーロッパ経済共同体と、1950年代には統合は大きな進展をしましたよね。
河崎:「はい。ヨーロッパ防衛共同体は挫折しましたが、経済面での統合はこの時期順調に進みました。それが60年代になるとフランスのド・ゴール大統領の反ヨーロッパ的な政策や70年代の経済不況などがあり、統合のスピードが一時停滞しました。」
―そうなんですか。90年代のヨーロッパ統合への加熱ぶりからは想像しにくいですね。
河崎:「70年代終わり頃よりヨーロッパ共同体(EC。1967年に成立)加盟国では、アメリカや日本の経済力への脅威論が大きくなってきました。当時のヨーロッパはイギリスを始めとして不況や失業率の上昇に苦しんでいたのです。 日米に対抗できる経済圏の構築、これが80年代にヨーロッパ統合を再活性化させた大きな要因となりました。92年に完成した市場統合がこの目標の一つの到達点となったのです。」
―市場統合によって、EC加盟国内の人・モノ・資本・サービスの移動を自由にしようとしたのですよね。
河崎:「そうです。この92年はヨーロッパにとっては実りある年となりました。マーストリヒト条約が締結され(実際の発効は93年)、ECはEU(欧州連合)へと生まれ変わったのです。」
―名前が変わっただけですか。
河崎:「もちろん統合そのものも深化し、ヨーロッパ・レベルが管轄とする製作分野も拡大しました。それまで経済中心に統合したECと並行する形で、外交・内政面でも加盟国間の協力関係を緊密化させていこうという意図の下、「共通外交安全保障政策」と「司法内務協力」といった制度が新たに導入されたのです。」
―マーストリヒト条約締結後も大きな進展がありましたね。ユーロ導入もそうでしょう。
河崎:「マーストリヒト以降、統合分野を多少拡大したアムステルダム条約が締結されました。97年のことです。さらに99年初めからは加盟15ケ国中12ケ国(2002年春現在は13ケ国)で共通通貨ユーロ(EURO)が導入されました。2000年にはニース条約も締結されています。」
―ユーロの紙幣と硬貨か2002年初頭から使用されていますね。
河崎:「そうです。同じお金を使うようになると、価格の違いが消費者に如実に分かるようになります。同じ製品を買うのでもドイツとフランス、フィンランドでは全く値段が違うという具合です。こうなると高い製品は消費者にソッポを向かれる可能性も高くなります。例えば加盟国間の価格の違いを埋めるべく、ひょっとしたら各国の税金体系を調和させていこうとう努力が以外に早く進むかもしれません。」
5.ヨーロッパとドイツ
―ドイツ語学科の学生からすると、統合ヨーロッパとドイツとの関係が一番気になるところでしょう。ヨーロッパ随一の経済大国であるドイツはヨーロッパの中心国となるといった指摘はよく耳にしますが、実際はどうなのでしょうか。
河崎:「確かにドイツはヨーロッパ一の経済力を誇り、人口数も抜きん出ています(2002年の時点では8000万人を越える)。EUの東方への拡大が現実化した今、地理的にもドイツの中心的地位は強化されていく可能性は高いです。
ただしドイツといっても、追求する利益は決して一枚岩ではありません。国内諸勢力によって追求する利益は異なる場合があります。例えば連邦制国家であるドイツでは国家に相当する連邦と各州では利益が異なるケースがあるし、州同士でも立地や経済状況、与野党関係などによって利益が異なる場合もあります。 90年代以降ヨーロッパ・レベルの政策が充実していくにつれて、ヨーロッパ政治はもはや国際政治としてのみで語ることはできなくなりました。国内政治の延長線上に位置づける必要が出てきたのです。
例えばドイツ国内の官庁の中にはヨーロッパ担当の部局が拡充されてきたところも出てきており、ヨーロッパ政策は次第に「ヨーロッパ・レベルの内政」といった様相を呈するようになってきたのです。これは何もドイツに限ったことではありません。国内の個別利益、国家の利益、それとヨーロッパ全体の利益。これらをいかに調和させていくかが今後の課題といえるでしょう。」
―安全保障面の変化も大きいでしょうね。
河崎:「はい。ドイツの安全保障を考える場合、まず地政学的な変化が指摘できるでしょう。周辺を加盟国(NATOやEUなど)に囲まれたドイツは冷戦期とは安全保障上の立場が大きく変転したのです。冷戦時代には共産主義陣営(東ドイツ)と国境を接する米ソ対立の最前線に位置していたのに対して、現在ではドイツを地上から攻撃するには必ず同盟国の領土を通過しなければならないといった状況になっております。」
―直接攻め込まれる可能性が地理的には低くなってきた訳ですね。
河崎:「そうです。そしてそうなると、ドイツにとっての「国防」とは何ぞやという議論につながってきます。ドイツの軍隊である「ドイツ連邦軍」の改革案でもこの点を考慮しているという指摘もあります。」
―具体的にはどういうことですか。
河崎―:「ドイツ国内の「国防」を担う兵員数を減らし、相対的に、同盟国内や域外での仕事に従事する派兵兵力を増加させるという傾向に変わってきているようなのです。」
6.ヨーロッパの今後
―21世紀のヨーロッパはどうなっていくのでしょう。EUが中東欧諸国まで含むようになると文字通りヨーロッパは一つになっていくのでしょうか。
河崎:「ヨーロッパの東方拡大はEUの現在の大きなテーマの一つです。東欧諸国が西欧で発展した政治システムに統合されていくなんて冷戦時代には考えられなかったことでしょう。この点でもヨーロッパは一つの収斂していく方向にあるともいえます。
けれどもその一方で、すでに統合ヨーロッパに組み入れられている現加盟国間でも統合ヨーロッパの将来像については、決して意見が一致している訳ではありません。ドイツとフランスの違いについては先に離しましたが、それ以外の国の思いもさまざまです。例えば、90年代半ばには、ユーロ導入のための経済基準達成を巡って加盟国間の経済力の格差が議論されるようになりました。ドイツやフランスは基準を満たせるが、イタリアは無理かもしれない、そんな評判が起きてきたのです。
そこで出てきたのがいわゆる「先行統合論」です。つまり経済力があり収斂のための経済基準を満たせる国が先行して統合を進め、他の加盟国は自らの国力に見合う形で後からついてくればよい、という議論です。これには、加盟国間の分裂や対立につながるとして批判が相次ぎました。
この「先行統合論」に見られるように、統合が進んだとはいえ、内部には様々な意見や利益が錯綜しているのが現在のヨーロッパです。狂牛病やハイダー現象が現れると、悪玉批判でヨーロッパの意見は一致するなどと、皮肉を込めた言い方もされています。」
7.上智大学外国語学部でできるヨーロッパ研究
―では、外国語学部やドイツ語学科ではいったいヨーロッパについて勉強ができるのでしょうか。
河崎:「まずドイツ語学科には、前述のように「EU研究1・2」と「ヨーロッパ文化文明論」という科目があります。「EU研究」では現在、歴史面ではヨーロッパ概念の形成過程やヨーロッパ全体の概史を扱う講義と、戦後ヨーロッパ統合の歴史や現在のEUの政治制度や主要政策の概説、あるいは加盟国個別の歴史や制度、統合ヨーロッパとの現在の関係などをテーマした講義があります。内容は担当教員や年度によって様々です。
これ以外でも科目名に「ヨーロッパ」という名称がない講義・ゼミでもヨーロッパの思想状況や文化の対比、政治システムの国際比較といったテーマで「ヨーロッパ」を扱っているものもあります。」
―他学部他学科の「ヨーロッパ」関連の科目も受講できるのでしょうか。
河崎:「外国語学部内の他学科にも「ヨーロッパ」関連の科目は沢山あります。それら全てを受講することは現在では難しいですが、外国語学部は現在、「地域研究コース」のさらなる充実を図っております。ヨーロッパについても「ヨーロッパ地域研究コース」として、現在学科別に分散している「ヨーロッパ」関連科目を統合し、さらに学科別ではフォローできない分野の科目も随時補足して、コース全体を拡充していく予定です。」
8.文献紹介
―最後に、ヨーロッパ研究をする場合に最初にどんな本を読めばいいのでしょうか。
河崎:「ヨーロッパ研究は地域面でも学問分野の面でも多岐に渡っており、とても全てを網羅した文献を紹介することはできません。ここでは戦後のヨーロッパ統合に関連して書物を中心に紹介いたしましょう。」
☆統合全般についての読み物としての近著は、
フローラ・ルイス・友田訳『ヨーロッパー統合への道』(上・下)2002年、河出書房。
各国事情への言及もあります。
田中俊郎『EUの政治』1998年、岩波書店。
これは最近出版されたスタンダートなEUの政治に関する教科書です。
大西健夫・中曽根左織編『EU制度の機能』1995年、早稲田大学出版部。
大西健夫・岸上慎太郎編『EU統合の系譜』1995年、早稲田大学出版部。
同編 『EU政策と理念』1995年、早稲田大学出版部。
この3巻本はいささか古いですが、マーストリヒト条約以降のEUの動向を包括的に記述しています。
島野卓爾・岡村尭・田中俊郎編著『EU入門』2000年、有菱閣。
こちらは前著より新しい包括的な教科書です。
☆経済についの入門書は、
田中素香『現代ヨーロッパ経済』2001年、有菱閣。
原輝史・工藤章編『現代ヨーロッパ経済史』1996年、有菱閣
☆法律については、
山根裕子『新版・EU/EC法』1995年、有信堂。
岡村尭『ヨーロッパ法』2001年、三省堂。
☆ヨーロッパ主要国の歴史と政治構造については、
小川有美編『EU諸国』1999年、自由国民社。
英語でも沢山の本がありますが、
Wallaice,H./W.Wallace(ed.),
Policy-Making in the European Union,2000, N.Y., Oxford Univ. Pr.
Peterson、J./M.Shackleton,The
Institutions of the European Union, 2001, N.Y., Oxford Univ. Pr.
(共にThe
New European Union Series,)
Nugent, N.,The Government and Politics of the European Union, 4th.ed. 1999, Basingstoke, Macmillan.
(The
European Union Series)
などが代表的な入門書で、同シリーズに他のヨーロッパ関連の書物があります。
☆以上の他に上智大学のスタッフによる研究書も何冊かあります。
木村直司編『EUとドイツ語圏』南窓社、2000年、
この本は上智大学ドイツ語圏文化研究所が主催したシンポジウムの講演録を基にして構成された研究書です。ヨーロッパという概念の成り立ち、EU法と国内法の関係、独仏関係さらにはスイスとヨーロッパ内での役割といった多様な話題を扱っております。
H.ハム編『ヨーロッパと現代』(仮題)(近著)
は、ヨーロッパにまつわる人文・社会科学両分野の研究者による様々なテーマの論文集です。