3. ドイツ語の位置づけ

高橋 由美子

私たちの専攻言語はドイツ語(Deutsch)です。では、この新しい言葉を学び 始める前に、まず、ドイツ語が、世界の言語の中で、どのように位置づけられるかについて考えてみましょう。ドイツ語を始めるとすぐに、ドイツ語が音声的にも文法的にも、これまで学んできた英語と非常によく似ていることに気づくはずです。これは、どのような理由に基づくのでしょうか。また、私たちは、ドイツ語をひと目見ただけで、それが日本語とは全く違うと直感します。なぜでしょう。それは、人間関係にたとえるならば、ドイツ語と英語は親戚同志で、ドイツ語と日本語は全くの他人であることに起因します。この言語の親戚関係が「語族」(Sprachfamilie)で、歴史的にさかのぼれば最後にまとめられる言語上のひとつの族、人間にたとえれば、ひとつの民族に相当します。以下、主な語族を挙げてみましょう。

インド・ヨ−ロッパ(印欧)語族:
英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ル−マニア語、ロシア語、サンスクリット語、ギリシア語 、ラテン語等
セム・ハム語族:
ヘブライ語、アラビア語、エジプト語等
ウラル語族:
フィンランド語、ハンガリ−語等
アルタイ語族:
トルコ語、モンゴル語等
シナ・チベット語族: 中国語、チベット語、ビルマ語、タイ語等
マライ・ポリネシア(オ−ストロネシア)語族:
インドネシア語、マライ語、ハワイ語、タヒチ語等
これで、ドイツ語が英語とならんでインド・ヨ−ロッパ語族に属することが 、おわかりいただけると思います。日本語は、どこにも見当りませんね。日本語は、どの語族に属するのかいまだ不明で、専門家の間でも意見が一致しません。このような言語は「孤立言語」(isolierte Sprache)とよばれています。日本語が、他のどの言語とも似ていないのは、血縁関係が不明なので、当然のことといえましょう。ピレネ−山脈の西北部で話されているバスク語も、日本語と同様に、孤立した言語のひとつとされています。

さて、今私たちが問題にしているのはドイツ語ですから、ドイツ語が属しているインド・ヨ−ロッパ語族について、少しふれたいと思います。インド・ヨ−ロッパ語族は、文字通り、インドからヨ−ロッパにかけて広く分布する世界最 大の語族です(約150言語、人口20億)。この語族の存在は、18世紀末に、イギリス人で東インド会社の法律顧問を務めていたウィリアム・ジョ−ンズが、インドのサンスクリット語とヨ−ロッパの大部分の言語との間の近親関係を発見したことによって確認されました。この語族に属する言語は、いずれも共通の「 祖語」(Ursprache)から派生したと学問的に推定されています。

インド・ヨ−ロッパ語族は広範囲に分布しているので、当然のことながら、 多くのグル−プ、つまり語派に分類することができます。死滅してしまったものを入れると、その数は10以上になります。今は、そのなかでも代表的な、1)スラブ語派、2)イタリック語派、3)ゲルマン語派の3つに限って紹介することにしましょう。

スラブ語派は、文字通りスラブ系の言葉を含み、その代表的なものとして、ロシア語、ポ−ランド語、チェコ語、スロヴァキア語、ブルガリア語等を挙げることができます。この語派の言葉を母語とする話者は、約2億5000万人と推 定されています。スラブ語派の最も古い資料は、9世紀の中頃にマケドニアの 2人の僧侶キリロスとメトディウスが伝道のために行なった新約聖書文献の翻訳で、これが古代教会スラブ語です。

これに対して、いわゆるラテン系の言葉はイタリック語派に属します。母体はロ−マ帝国の言語ラテン語で、代表的な現代語としては、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語等を挙げることができます。意外なことに、ル−マニア語もイタリック語派の言語ですが、これは、ロ−マ帝国の政治力がバルカン半島にまで及んだ例証のひとつです。イタリック語派のなかで、話者の数が最も多いのがスペイン語で、1億3500万人と推定されています。次に 多いのがポルトガル語で、本国とブラジルをあわせると1億人近くの人が母語 としています。

さて、ドイツ語は、英語とならんで最後に挙げたゲルマン語派に属しています。この語派は、一般に、東群、北群、西群の3つに分類されます。ゴ−ト語に代表される東群は、現在では全く死滅してしまいました。しかし、4世紀にヴルフィラとよばれる僧侶が新約聖書文献をギリシャ語からゴ−ト語に訳した資料が残っています。スラブ語派の場合もそうでしたが、ヴルフィラの聖書訳が、ゲルマン語派の最も古い資料とされています。北群はスカンジナヴィア半島の諸言語で、スウェ−デン語、デンマ−ク語、ノルウェ−語、アイスランド語等が属します。ただし、フィンランド語は、前に挙げましたが、ウラル語族という全く別の語族に含まれ、ハンガリ−語と親戚関係です。さて、西群に属するのが英語、ドイツ語、オランダ語等です。英語とドイツ語は、同じ語族の同じ語派、それも同じ群に属しているのですから、似ているのは当然ですね。この群の最も有力な言語は英語で、イギリス、アメリカ、カナダ、オ−ストラリアそれにアフリカ、アジア各地で約3億人の人々の母語となっています。それに次ぐのがドイツ語です。ドイツ、オ−ストリア、スイスの他、フランスのアルザス・ロレ−ヌ地方をはじめベルギ−、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン等の中央ヨ−ロッパ諸国、さらには遠くアメリカ、カナダ、アルゼンチンにもドイツ語が話されている地域があります。こうした地域の使用者を含めると、約1億人のドイツ語話者がいると推定されています。

以上で、ドイツ語が世界の言語のなかでどのように位置づけられているのかが、だいたいお分りいただけたと思います。それでは次に、私たちがこれから勉強する現代ドイツ語の位置づけについて、簡単に説明してみましょう。現在もドイツには数多くの方言がありますが、南部高地と北部低地では、特に子音の構造に大きな相違がみられます。大きく分けて、南部のドイツ語は、一般に、「高地ドイツ語」(Hochdeutsch),北部のドイツ語は、「低地ドイツ語」(Niederdeutsch)とよばれています。南北の大きな相違は、おそらく5世紀に始まった規則的な「音韻推移」(Lautverschiebung)に帰因し、その推移があったのが高地ドイツ語、なかったのが低地ドイツ語です。英語には、この音韻推移が起きませんでした。低地ドイツ語が英語によりいっそう似ているのは、このためなのです。しかし、歴史的にみますと、高地ドイツ語の方が、昔から標準的な地位にありました。私たちがこれから学ぶ現代ドイツ語も、高地ドイツ語を基にしてできた共通語です。

最後になりましたが、私たちにとって重要な高地ドイツ語を歴史的に区分してみましょう。最も古い高地ドイツ語は「古高ドイツ語」(Althochdeutsch,略:Ahd. 750年頃〜1050年頃)とよばれています。 オトフリ−トの福音書 がその 代表的な文献で、詳しい注のついた日本語訳が最近出版されましたので、機会があったら御覧下さい。次の時代のドイツ語が、「中高ドイツ語」 (Mittelhochdeutsch、略:Mhd. 1050年頃〜1500年頃)で、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィヴァ−ル』やゴットフリ−ト・フォン・シュトラ−スブルクの『トリスタンとイゾルデ』等、数多くの優れた文学作品が、この中高ドイツ語で書かれました。 1500年以降のドイツ語は、通常、「新高ドイツ語」(Neuhochdeutsch,略:Nhd.)とよばれています。新高ドイツ語の確立に偉大な貢献をなしたのが、プロテスタントの創始者マルティン・ルタ−です。よく知られているよ うに、ルタ−はエラスムス編集のギリシア語の聖書を底本とし、さらにヘブライ語の原典を熟読して、聖書の真意を平明なドイツ語に訳しました。その際、ルタ−は、ドイツ中央部に位置するマイセン方言を主体に、庶民の間で日常使われている生きた言葉をとり入れたのですが、このルタ−の聖書訳が、新高ドイツ語の基礎となりました。私たちがこれから学ぶ現代標準ドイツ語も、ルタ−の時代からかなり変化しているとはいえ、やはり新高ドイツ語なのです。

以上、ドイツ語がどのような言語かについて、簡単にまとめてみました。以下に挙げる書籍は、本稿を書くにあたり、筆者が使用したものばかりです。興味を引かれるものがあったら、是非読んでみて下さい。

参考文献
伊東泰治 他 『中高ドイツ語小辞典』 同学社
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ 『パルツィヴァ−ル』 郁文堂
興津達朗 『言語学史』 大修館
北村 甫(編) 『世界の言語』 大修館
ゴットフリ−ト・フォン・シュトラ−スブルク 『トリスタンとイゾルデ』 郁文堂
相良守峯 『ドイツ中世叙事詩研究』 郁文堂
塩谷 饒 『ルタ−聖書のドイツ語』 クロノス
下宮忠雄 『ドイツ語語源小辞典』 同学社
下宮忠雄 他 『言語学小辞典』 同学社
新保雅浩(訳著) 『オトフリ−トの福音書』 大学書林
田中春美 他 『言語学演習』 大修館
F.D.ディニ−ン 『一般言語学』 大修館
手塚富雄・神品芳夫 『増補 ドイツ文学案内』 岩波書店
P.v.ポ−レンツ 『ドイツ語史』 白水社

H.モ−ザ− 『ドイツ語の歴史』 白水社

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