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ドイツ音楽

 Interview mit  三上かーりん 先生 


 

――先生は、上智大学では「ドイツ音楽」という講座で、おもにドイツ・リート(歌曲)について講義をなさっていらっしゃいますね。 

三上 はい。リートでは、音楽と言葉の両方を取り扱うことができますからね。作曲家は、詩を一度解釈して、新しい命を吹き込んでいるんですね。同じ詩に、複数の作曲家が曲をつけていることもありますね、そういうのも、とても興味深いです。 

 

――ゲーテの「野ばら(Heidenroslein)」なんて、そうですね。 

三上 そう、ヴェルナーの「野ばら」は、薔薇の花の“一周忌”みたいな感じでしょ? もう死んでしまっているの。シューベルトの「野ばら」は歌詞の冒頭のイメージ。男の子が走ってくるのね。そういう違いがある。劇みたいに今動いているか、それとも終わった話として物語っているか……。演奏家がこれらの曲を演奏する場合、そういうことを考えてやっていますから、私の授業にいらっしゃる学生さんも、語学ももちろんできた方がいいですけれど、まず感じる心を持って欲しいんです。 

 

――リートの歌詞についての授業で、ドイツ語がそれほどできなくても大丈夫なんですか

三上 私は他の学校でも教えていますが、ドイツ語が全く分からない人でも、日本語で説明して分かってくれるんですね。それは、私がする「ドイツ語」の話は、文法のことをやるんじゃなくて、ひとつひとつの言葉の「イメージ」についてお話するから。たとえば、詩やメルヒェンによく出てくる“Wald”という言葉があるでしょう? “tiefer Wald”っていう言い方もよくしますね。 

 

――森の奥深く、ということでしょうか。あるいは、童話なら「山」と訳したほうがいい時もあるかもしれません。 

三上 赤頭巾とか、ヘンゼルとグレーテルが迷い込むのが、“tiefer Wald”です。これは、人間の無意識のシンボルというとり方もできます。心の奥深くということですね。「森」とか「山」と訳すことはできるでしょうが、“Wald”という言葉のシンボル性をとらえることは難しいですね。暗くて、形のはっきりしない心の世界を象徴しているという意味では、むしろ「海」に近いところさえありますね。こういう、文化の中で働く言葉の連想から、詩というものは生まれてくるわけで、それを知ることは歌曲の解釈にとって大切です。ゲーテの詩はたくさんリートに作曲されていますが、彼はこういう言葉のシンボルの使い方が素晴らしかった。 “Himmel”もそうでしょう? 「空」と訳すべきときもあれば、「天」と訳せる時もあります。そして、その奥の意味には“Gott”がある場合もあります。あるいは“Schein”という言葉は 「輝き」という意味もあるし、「そのように見える」という意味もある。こういうのは、単純な「語学力」ではありませんね。むしろ、イメージを感じる能力が必要になります。 

 

――なるほど、ひとつひとつの単語のイメージの広がりというのは、通常の「語学」の授業ではやりませんね。それはやはり、文学や芸術の領域、そして、ひとりひとりの感性の領域ということになるのでしょう。 

三上 もちろん、過去形、完了形、未来形といった動詞の形が持っているニュアンスというのも、詩にとって非常に大切ですね。(影響が)今まで響いてきていることなのか、もうすんでしまったことなのか、それはとても大事。でも、始めはそんなに全部細かくやらなくてもいいと思う。それより、自分の経験を足して、作品や演奏に対して、自分で共鳴するところが出てくることがもっと大切だと思います。ドイツ・リートって、さびしいっていうか、孤独な世界ね。自分の心の奥深くに、他の人にないものがあるの。だから、解釈も、それぞれの人で違っていい。お茶を立てるときみたいね。どれくらい抹茶入れて、どれくらいの水加減で……、その「差」が「自分」なのね。だから、数学みたいに教えることはできない。私はヒントを出すだけ。 

 

――正解があることを教え、学ぶのではなく、自分で何かを見つける作業であるなら、最初から細かい文法をすみずみまで説明することはない、というわけですね。 

三上 ただ、間違った演奏、解釈を避けるということも必要ですね。たとえば、Kranzという言葉があるでしょう? 普通、「花輪」と訳されるけれど、Totenkranz っていったら、花輪じゃない。モミの枝です。この言葉がシューベルト『冬の旅』の「旅篭(Das Wirtshaus)」という歌曲に出てきます。旅人は、この緑のKranzが看板になっている宿屋に泊まろうととしますが、断られる。でも、この「宿」は本当はお墓のことなんですね。死の誘いを受けながらも、主人公はまだ旅を続けなければならない。Kranzというひとつの言葉が、「墓場」と「宿屋」を結びつけているんです。こういう詩の場合、うっかりするととんでもない誤読が生じることもあります。南ドイツやオーストリアでしか使わない、宿屋の看板としてのKranzを知らなければ、間違うかもしれない。この地方では、旅篭で新酒をふるまう時にKranzを掲げるんです。

 

――先生は、音楽と言葉の両方に重きをおいておられるんですね。

三上 私が外国暮らしが長いということも影響していると思います。私は、ミュンヘン大学に入った時はドイツ文学を専攻したんです。ピアノも勉強していて、音楽大学に行きたかったけれど、両方はできないと思ったからね。でもやっぱり、ピアノもやりたくなってしまって、大学は文学を学び、自分でピアノの勉強もしました。その後、日本人の夫と結婚してロンドンに行ったんです。そこで合唱の伴奏をした時、ドイツ語の歌詞を説明したんですね。それが、今のような仕事の始まりでした。その後、ソロ歌手の伴奏をしたときも、歌詞の内容を伝えることをしました。それから日本にやってきて、ますますドイツ・リートの解釈の仕方を教える仕事をするようにりました。5年前にお茶の水女子大学で博士号を取得しましたが、それも、音楽と文学と心理学の重なった、ちょっと複雑な仕事でした。でも、リートを解釈することって、そういう色々な学際的な作業がみんなつながっているのね。 

 

――心理学も関係してくるんですか。 

三上 日本に来てから、ユング派心理学者の河合隼雄のことも知りました。すごく尊敬しているんです。彼の神話に関する考え方などはとても興味深いものです。ユング派の心理学では、人間の心の中に歴史や宗教を超えた「集合的無意識」あるいは「元型」が存在すると考えるんですね。そういう発想から、芸術に現れる様々なイメージのことも解釈していくんです。これはとてもおもしろい考え方だし、文化間の理解にも役立つのではないかと思います。 たとえば「母」のイメージ。母親は子供をやさしく包み込みますし、子供は母親を必要としますね。でも、ある時が来たら、子供は母親を離れていかなくてはならない。そんなイメージが、有名な「菩提樹」(ミュラー詩 シューベルト曲)にも読み取れます。これは、私の解釈じゃなくて、トーマス・マンが『魔の山』の中で登場人物に語らせていることですが、この歌の主人公はいつも菩提樹の木下のもとで良い気持ちだったんですね。冬になると、状況が変わる。つまり、大人になったんです。そうしたら、そのままこの場所にいたら死んでしまう。親離れをしなくてはならなくなるんです。

 

――そして、主人公はさすらいの旅に出たわけですね。そこに冷たい風が吹いてきて、帽子が飛ばされる……。 

三上 そう、帽子。つまり、身を守ってくれるものが冷たい風でとばされても、主人公は振り向かなかった。そして、長い時間が経って、いま、心の中にノスタルジーのようなものとして、あのLindenbaum(菩提樹)があるんですね。それはきっと、誰の心の中にもある。人生を戦って、30代、40代、……60代と、だんだん遠くなる、菩提樹。「あそこにこそ、お前の安らぎはあったのに」。ミュラーの詩では、この主人公は「今日(heute)さすらわなければならなかった」のだけれど、このheuteは「ある時」と理解してもいいかもしれない。 こういうのは、ひとつの解釈に過ぎません。ただ、誰の心の中にもある何かと、詩の中のイメージを結びつけているんですね。そこから、またそれぞれの人が自分の経験に応じて、解釈を続けていく。「この詩はこういう意味です」と言うことはできません。ただ、「こう考えてみてはどうですか? 」と提案してみるんですね。

 

――学生の方から、解釈の提案が出ることもありますか? 

三上 はい。とても面白い意見が出されることがあります。日本は、先生と対等に話し合うことはあまりしないから、教室で話している時はあまり出てこないの。とくに私みたいな「おばあさん」が相手だとね。でも、あとで書いてもらうと、すごく面白くて私自身刺激になることもたくさんあるんです。 

 

 

● 関連文献 

Georgiades, Thrasybulos: Schubert, Musik und Lyrik. 1976* 

Jung, C. G.: Man and his symbols. London 1954* 

Bettelheim, Bruno: Kinder brauchen Marchen. Stuttgart 1977* original englisch:The uses of enchantment. New York 1975* Staiger, Emil: Die Zeit als Einbildungskraft des Dichters. Zurich 1953 

Staiger, Emil: Goethe. Zurich 1956* 

Schweitzer, Albert: Johann Sebastian Bach. Leipzig 1908 (.1954)* 河合 隼雄:『夢と昔話の真相心理』小学館 1982

*印=翻訳あり