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IV なぜ日本がカンボジア人中堅幹部養成プロジェクトをやっているか -10年前から発掘を続けている現場実習-



  アンコール遺跡群は1992年に世界遺産(文化遺産)に登録された。カンボジア人の精神的な象徴としてのアンコール・ワットの世界遺産登録は何よりの快挙であった。しかし、今なおこの遺跡群は倒壊の危機にさらされている27件の世界遺産リストの中の一つに挙げられている。
カンボジアは1970年から内戦が始まり、ポルポト政権による虐殺、ヘンサムリン政権下ではベトナム軍進駐と内戦があったが、その後87年からはじまった内戦終結に向けての協議、91年のパリ和平協定と国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の成立、93年の総選挙と王制復活など、和平に向けてのスケジュールがこなされてきた。そうした中で、98年の総選挙によりフンセン内閣が成立し、順調な復興が進んでいる。平和となり2000年1月には故小渕首相、2001年6月には秋篠宮同妃両殿下のカンボジア公式訪問があった。
登録された遺跡群は東京都区内ほどの広さであり、そこに62ヶ所の石造りの構築物がある。それらは寺院、僧院、橋、貯水池、堤防、都城などであり、その伽藍の規模の壮大さ、浮彫りや彫像の美しさ、発想豊かな宇宙観などから往時の人々が考える神の世界が明示され、同時にそれを実現した往時の社会・技術・思想があり、その繁栄ぶりがしのばれる。
ここ数年多くの観光客が来訪し、アンコール・ワット西参道は銀座通り並みの混雑ぶりである。日本人観光客の中には遺跡はアンコール・ワット一カ所だけであると思って来た人がいて、アンコール・トム、その他多数の大遺跡を訪ねアンコール大文明にびっくりする人が多い。
私たち上智大学アンコール遺跡国際調査団は、1980年の戦塵けむる時から遺跡の保護活動を手伝ってきた。ポルポト時代にはかつての私の同僚であった30数名のカンボジア人保存官が行方不明となり、保存修復活動はゼロからの出発であった。鎮魂のために人材養成が始まった。1992年に王立芸術大学の考古・建築両学部が再開された。調査団は1996年に第1回と第2回の同大学の卒業生の中から10名を選び、世界に通用する一人前の保存官を養成するため中堅幹部養成プロジェクトを始めたのであった。そのために人材養成の拠点として現地に上智大学アンコール研修所(Sophia Training and Cultural Center)を建立し(1996年)、そこで3年間考古・建築の研修を受けた後日本に来て学位を取らせるプロジェクトで、現在8名の中堅幹部候補が来日している。調査団の文化協力の哲学は、「カンボジア人による、カンボジア人のための、カンボジアの遺跡保存修復」である。