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フランスの東洋学者で古代東南アジア研究の泰斗のジョルジュ・セデス(1886-1969)は、カンボジア碑文を解読してその古代史・中世史の枠組みを創った大学者である。1964年の著作(C?des,
G.: Les Etats Hindouses d'Indochine et d'Indonesie, Paris, 1964, pp.321-322)の中で「ジャヤヴァルマン7世(1181-1220頃)の事業は人々にとっては過重な負担であった。彼らはたびたびの戦争とスールヤヴァルマン2世の大寺院建設ですでに疲れきっており、それ以後カンボジアは隣国の攻撃に対して抵抗する力がなくなっていた。」と述べている。
さらにアンコール水利都市論を発表したプノンペン生まれのフランス人第一人者ベルナール・フィリップ・グロリエ(1926-1986)は、1961年に「少なくともジャヤヴァルマン7世は王朝を決定的に疲弊させ、アンコール朝の黄昏に巨大な影を落とし続けている」。そして「ジャヤヴァルマン7世とバイヨン寺院の後には、アンコール朝において注目される王も寺院ももはや存在しない」と断言している(Groslier,
B.Ph.: Indochine, Carrefour des Arts du Monde, Paris, 1961, pp.189,
191)。そしてバイヨン美術様式は全てジャヤヴァルマン7世の死によって1220年までに終わってしまったという。そしてこの2人のフランス人アンコール研究の碩学は、ジャヤヴァルマン7世によって成し遂げられた数多くの大規模な寺院建設がアンコール帝国を破産させ、王朝を疲弊させ衰退に追い込んだというのである。つまり建寺王朝の崩壊である。
この2人のフランス人碩学は、こうしてジャヤヴァルマン7世が約40年もの長きにわたり人々を多くの寺院の建設に動員したので、村人たちは完全に疲弊したという主張である。その主張の根拠は碑文史料が欠落し、その時代を示す考古出土品もなく、諦めに近い結論であった。それと同時にこの2人の第一人者に導かれた完璧な結論は一つの呪縛ともなり、多くの学者がこれまで是認してきた。
しかしその呪縛は今だに続いている。クロード・ジャック氏はセデスの後継者であり、フランス極東学院最後の世代の研究者であるが、1990年の著作の中で「よく分からぬ最後の王たち」を掲げ、ジャヤヴァルマン8世のシヴァ派回帰を指摘しているが、論調はセデスとグロリエを踏襲した内容であった(Jaques,
Claude: Angkor, Bordas, Paris, 1990, pp.162-163)。 |