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III アンコール王朝末期も繁栄を示す



 
1 ジャヤヴァルマン8世の反宗教革命 -激しい権力闘争-
  ジャヤヴァルマン8世は前2代王の仏教信奉の残余勢力と戦い、勝利して登位した。王はヒンドゥー教への篤信が、前2代の王に対する敵意と重なって、廃仏処分という一連の過激な行動に出たと思われる。王は強権を発動して前2王が建設した寺院の改築、仏像の投げ棄て、碑文の叩き壊しや地中への埋め隠しなどをやってのけたのであろう。そのため前2王の碑文もあらかた壊され、棄てられ、埋められたのかもしれない。ジャヤヴァルマン8世は前2王と仏教を否定し、在位中に徹底的な破壊を命じていた。これまでに仏教を最優先させてきた63年間および前2王への恨みも重なって激しい敵意となったのかもしれない。その裏にはたぶん王位継承をめぐる激しい権力闘争があったものと思われる。8世王は当時仏教寺院に何十万と安置されていたであろう仏像をすべて破壊させた。
ジャヤヴァルマン8世は、仏教寺院や仏像の破壊を徹底する一方で、まずヒンドゥー教寺院への改造とそれに伴う建築装飾の工事も実施していた。前述の通りバイヨン寺院では鋭利な石のみで仏像浮彫を削り、代わりにヒンドゥー教の苦行僧像を彫り込んでいる。
また、バイヨン寺院は建立初期の十字形テラスを東西に少し増拡して長方形に変えてあるが、この一部改造はジャヤヴァルマン8世の仕事と推察できる。8世王は、前2王時代からあった四面仏尊顔塔に加えて四面のブラフマー神として同じく新四面塔を建てたかもしれない。ヒンドゥー教はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3大神を中心に形成され、ブラフマー神は理論的には最高神とされるが、カンボジアではいつもヴィシュヌ、シヴァ両神の陰に隠れ、第二儀的な役割しか与えられていなかった。そのブラフマー神は常に4つの頭と4本の手で造像されているところから、四面のブラフマー神尊顔塔と解釈していたのかもしれない。
バイヨン寺院第2回廊の内側壁面に薄肉浮彫りが刻み込まれたのは、多分このジャヤヴァルマン8世治下であろう。その証拠にヒンドゥー教に由来する題材が多く見られ、さらにこの第2回廊の浮彫りは明らかに第1回廊の浮彫りに見られる美術様式とは異なる様式であり、描出方法や図像が粗雑で急造りであることは、誰が見てもすぐ分かる。そこには例えば、乳海攪拌図、あるいはヒンドゥー教の叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の絵図が彫り込まれた。みんなヒンドゥー教に関するものである。
タ・プローム寺院ではまぐさ石のところに仏像に代えてリンガ(男根)と台座を彫り込んである。



 
2 アンコール王朝は疲弊するまま衰退説
  フランスの東洋学者で古代東南アジア研究の泰斗のジョルジュ・セデス(1886-1969)は、カンボジア碑文を解読してその古代史・中世史の枠組みを創った大学者である。1964年の著作(C?des, G.: Les Etats Hindouses d'Indochine et d'Indonesie, Paris, 1964, pp.321-322)の中で「ジャヤヴァルマン7世(1181-1220頃)の事業は人々にとっては過重な負担であった。彼らはたびたびの戦争とスールヤヴァルマン2世の大寺院建設ですでに疲れきっており、それ以後カンボジアは隣国の攻撃に対して抵抗する力がなくなっていた。」と述べている。
さらにアンコール水利都市論を発表したプノンペン生まれのフランス人第一人者ベルナール・フィリップ・グロリエ(1926-1986)は、1961年に「少なくともジャヤヴァルマン7世は王朝を決定的に疲弊させ、アンコール朝の黄昏に巨大な影を落とし続けている」。そして「ジャヤヴァルマン7世とバイヨン寺院の後には、アンコール朝において注目される王も寺院ももはや存在しない」と断言している(Groslier, B.Ph.: Indochine, Carrefour des Arts du Monde, Paris, 1961, pp.189, 191)。そしてバイヨン美術様式は全てジャヤヴァルマン7世の死によって1220年までに終わってしまったという。そしてこの2人のフランス人アンコール研究の碩学は、ジャヤヴァルマン7世によって成し遂げられた数多くの大規模な寺院建設がアンコール帝国を破産させ、王朝を疲弊させ衰退に追い込んだというのである。つまり建寺王朝の崩壊である。
この2人のフランス人碩学は、こうしてジャヤヴァルマン7世が約40年もの長きにわたり人々を多くの寺院の建設に動員したので、村人たちは完全に疲弊したという主張である。その主張の根拠は碑文史料が欠落し、その時代を示す考古出土品もなく、諦めに近い結論であった。それと同時にこの2人の第一人者に導かれた完璧な結論は一つの呪縛ともなり、多くの学者がこれまで是認してきた。
しかしその呪縛は今だに続いている。クロード・ジャック氏はセデスの後継者であり、フランス極東学院最後の世代の研究者であるが、1990年の著作の中で「よく分からぬ最後の王たち」を掲げ、ジャヤヴァルマン8世のシヴァ派回帰を指摘しているが、論調はセデスとグロリエを踏襲した内容であった(Jaques, Claude: Angkor, Bordas, Paris, 1990, pp.162-163)。



 
3 インドラヴァルマン2世とジャヤヴァルマン8世の活躍ぶり再評価
 

今回見つかった274体の大量の廃仏行為は、インドラヴァルマン2世とジャヤヴァルマン8世の時代が、これまでのアンコール王朝末期や建寺疲労による衰退の時代であるという通説を覆すことになるだろう。この8世の王命が行き届き、通常の政治が執り行なわれていたということになる。ジャヤヴァルマン7世後の2人の後継王は行動的であり、実力派であったことがわかる。
13世紀末のカンボジアは海外の商人たちに「富貴真臘」(『明史』真臘伝掲載)と称された。この評判は、アンコール都城の絢爛豪華な寺院や城郭のさまを風聞した人たちが伝えたものであろう。1296年に中国人周達観が来訪したアンコール都城ではいつも通り政治が執り行なわれていたと伝えている。その記載の様子から、外観的にはジャヤヴァルマン7世時代とそうかわらないほど物資が流通し、平和な日常生活、いつも通りの政治と儀礼が執り行なわれていた。この周達観の報告ではシャム勢力の伸張に困却していると伝えているが、この王朝が衰退しつつある過程にあるという記載は全く見られない。周達観は特派員的な眼で華麗な大王宮の様子を伝えている。そして日常生活の見聞を25項目に分けて挙げ、その活況を見せている王都の様子を伝えている。確かに13世紀末頃はカンボジアの外領であったチャオプラヤ川方面や東北タイにおいてシャム(タイ)人が勢力を伸張させ、クメール人太守の軍隊と戦闘が行なわれ、太守が追い払われたと思われる。周達観はその攻防については言及している。
史実上からジャヤヴァルマン7世時代には現在のタイ中部のスコータイ地方にまで領域を拡大していたが、シャム(タイ)勢力の興起と伸張に対して撤退せざるを得なかった。しかし7世王逝去と同時にタイ人土候が反乱を起こし、スコータイの興起となった。スコータイより北方の王国チェンマイはマンライ王により1296年に建国された。
アンコールの王たちはそれまでの慣例として新都城、新山岳寺院、新王宮の3点セットを建立することが王たる者の義務であった。前王のものを使わないしきたりがあった。しかし内外の雲行きが怪しい政治情勢の中で、ジャヤヴァルマン8世は新寺院を建立する余裕がなかった。それにもかかわらずシヴァ派の祭儀を型通りに執り行なうため、旧来の仏教寺院を改造し使用することになったようである。従って王はバイヨン寺院の中央祠堂を改造し、仏陀像の代わりにハリハラ神(シヴァ・ヴィシュヌ両神)を祀ったのである。その意味ではアンコール・ワットを建立したスールヤヴァルマン2世とジャヤヴァルマン7世の両統治のような大繁栄ではなかったかもしれないが、それなりの隆盛が持続していたと思われる。




 
4 これまでの通説を覆す新発見?
  1295年にジャヤヴァルマン8世を退位させ、力づくで即位したのはシュリンドラヴァルマン王であった。同王はジャヤヴァルマン8世の娘婿で、上座仏教を初めて公認した王でもあった。
アンコール・トム都城内では現在60ヶ所以上に敷石をした「テラス」が発見されている。これらは上座仏教小寺の基礎土台であったし、しばしばアンコール時代の石材を再使用して造作されてたものである。これらの仏教テラスは、早ければシュリンドラヴァルマン王以降からアンコール都城内をかなり長期間にわたり占拠していたと思われる。この史実が正しいとするならば、これら上座仏教の信徒たちは昔のアンコール・トム都城へ戻ってきていたのであった。家族たちはテラスと上座仏教小寺の近隣に住み、旧都城内を自由に使っていたように思われる。タ・プローム入口の「小碑文」は、明らかに14世紀初頭のものである。同じくプリヤ・カン寺院の中央祠堂のローケーシュヴァラ像に取って代わって持ち込まれた上座仏教の仏塔は、この時代に建立されたものであろう。
これまでアンコール王朝の通説では、ジャヤヴァルマン7世の40年間にわたる寺院建築のせいで国が衰退し、15世紀になってアユタヤに滅ぼされたといわれてきた。
しかし、今回の大量の廃仏の発見で、ジャヤヴァルマン8世の統治下でもそれなりに通常の政治が機能し、国内の繁栄が維持されていたことが明らかになってきた。1296年にカンボジアを訪問した中国人周達観による『真臘風土記』の記述もそれを裏付ける。アンコール王朝末期の歴史を塗り替える新しい議論が始まろうとしている。