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さらに今回2001年8月15日からの調査では、前回の103体の廃仏発掘現場に隣接した場所から、同じ廃仏171体が見つかり、座仏が四面に多数刻まれた千体仏の石柱も発見された。石柱は砂岩で高さ約1.2m、横幅45cm。一面あたり座仏が横に12列、縦に21列、計1008体が菩薩の集合図曼荼羅のように並んでいる。この座仏の一つの大きさは2.5cmである。
石柱に刻まれた千体仏についてはインドのアジャンタ石窟寺院の第7窟(5世紀)に見られ、敦煌の千仏洞(4〜10世紀頃)にもある。日本では唐招堤寺(759年創建)の廬遮那仏光背に千体仏が描かれている。
カンボジアでは千体仏石柱の発見は初めてであり、密教がかった往時の仏教の輪郭が少し判明してくる。碑文では密教系のタントラ教の経典が存在したことを伝えている。その点から推察すると千体の仏像を曼陀羅状に刻み、拝むことで功徳を積んでいたのかもしれない。美術史・図像から考察すると、12世紀第3四半期のヴィシュヌ神四面浮彫りの石柱(12世紀第3四半期)が類例としてある。この石柱には15段×17段、四面で1020体の小ヴィシュヌ神像が彫られ、千体仏石柱と同じ様式である。ヒンドゥー教系の美術様式からも影響を受けていたと思われる。またコンポン・スヴァイのプリヤ・カーンン寺院において発見されたローケーシュヴァラ(観世音菩薩)彫像には、その頭部から上半身にかけて千体仏に似た小仏が刻み込まれており、千体仏石柱と同様の宗教的な意味を持つものであった。
これまでにアンコール遺跡群の調査・研究・保存修復活動は、1860年のアンリ・ムオのアンコール遺跡紹介から始まり、旧フランス領インドシナであったのでフランス極東学院が独占的に行なってきた。しかしながらここアンリ・ムオから140年あまり経過するが、今回のように千体仏の石柱および274体もの大量の廃仏が発見された例がない。その意味で大発見といえるだろう。しかし13世紀の後半に廃仏の事件の背景を示唆した論文が、1999年にフランス人アンコール研究者クロード・ジャック(Claude
Jaques)教授から提起されていた。これは大量の廃仏発掘を予見した論文ではないが、その示唆は興味深い(Jaques, Cl.:
Les Derniers siecles d'Angkor, Comptes Rendus des Seances de l'Annee
1999 (Jan.-Mar.), Academie des Inscriptions & Belles-Lettres,
Paris.)。
こうした大量の廃仏発見から言えることは、他の同時代の仏教系遺跡であるプリヤ・カーン、タ・プロームなどにも、廃仏が地中に埋められている可能性が高い。今回の発掘はアンコール王朝末期の歴史を塗りかえるほどの大発見といえよう。そしてこの廃仏をめぐって歴史・考古・美術・図像の諸学から新しい議論が提起されてくるだろう。廃仏発掘を手がかりに往時のアンコール時代末期の社会と文化を解明していきたいと思う。
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